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グルメ猫ファンタジー  作者: 万年亀
第七話 温泉街の竜

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温泉街へ

福引きの熱狂から数日が経過した。


市場で仕入れた物資――その大半はブルが当てたライス一俵と、メリアが買い込んだ調味料や保存食であるが――をゴーレム馬車に積み込んだ一行は、次なる目的地へと出発していた。


進んでいる街道は街と街を結ぶ主要な道の一つであり、石畳が美しく整備されている。


時折、立派な馬車に乗った貴族の一行や荷馬車を連ねた商人たちとすれ違う。


一行のゴーレム馬車は無機質で特徴的な外見ゆえに好奇の視線を集めることもあったが、三人はすっかり慣れたものだ。


御者台には今日はブルが座っている。

その巨体が御者台を占拠している様は、傍から見れば馬車が小さく見えてアンバランスに見えるだろう。


普通の馬であれば食事休憩が必要な時刻だが、ゴーレム馬は生身の馬と違って疲労も感情も持たない。


カッポ、カッポ、と石畳を打つ蹄の音は、どこまでも一定のリズムを刻みながら馬車を目的地へと着実に進ませている。


そして、その馬車の荷台でスフィアは盛大にやる気を失っていた。


「温泉かぁ~~~」


力の抜けた声が、馬車の走行音に混じって消える。

彼は荷台の床にうつ伏せに寝そべり、まるで溶けた猫のようにだらりと手足を投げ出していた。


三角の耳はぺたんと後ろに倒れ、長い尻尾も力なく床に垂れている。

その手には昨日買ったばかりの干し肉が握られており、それを時折、億劫そうにかじっていた。


バリ、ボリ、と乾いた咀嚼音が時折荷台に響いている。


水嫌い、風呂嫌いのスフィアにとって「温泉」という目的地はテンションが下がる要因でしかない。


特賞を当てたというのに、一等の肉セットではなかったという無念がやる気を根こそぎ奪い去っていた。

当たり前だが交換も断られたし。


対照的に、メリアのテンションは最高潮に達していた。


「いやあ~、一度行ってみたかったんですよね、温泉! 地面から熱いお湯が沸き出るって一体どういう仕組みなんでしょうね、スフィアさん!」


彼女は荷台の窓枠に身を乗り出すようにし、流れゆく景色をキラキラとした瞳で眺めている。


その手には福引きの景品として貰った「温泉街イドラ」の豪華なパンフレットが握られており、既にもう何度も読み返して端が少しよれていた。

どんだけ楽しみなんでしょうかね。


「しらん」


床に転がったスフィアから干し肉を齧る音と共に、実に素っ気ない返事が返ってくる。

特賞を当てた時からこのテンションがずっと続いているため、そろそろ相手にするのが億劫になってきたところだ。


森での森林浴に感動したように、メリアは海上の商業連合出身であるがゆえに大地が生み出す自然の神秘というものに強い憧れを抱いていた。


書物でしか読んだことのない「温泉」という未知の文化。

それが今、現実のものとして体験できる。

彼女の興奮は無理もないことだった。


「そういえば、温泉街に行くのに交易品を持ってこなくてよかったの、メリアさん」


御者台からブルの穏やかな声が聞こえてくる。


今回の旅では以前に辺鄙な村へ向かった時とは違って、荷台は彼らの私物とライス一俵で占められ、塩や砂糖といった交易品は一切積んでいなかった。


「今回は辺境の村に行くのとは違いますからねえ」


メリアはパンフレットから顔を上げ、今度は商人としての顔つきで答える。


「距離はありますけど拠点の街から別の街を経由して、ちゃんと整備された主要街道を通っていますし流通が無いわけではないでしょう。それに『温泉街イドラ』はパンフレットを見る限り、山中ですが有名な観光地です。それだけ大勢の人が訪れる場所で商人たちが安定した独自の流通ルートを確保していないわけがありません」


メリアがパンフレットの特産品が紹介されているページを、指でなぞりながら説明を続ける。


「私たちのような新参者がいきなり塩や砂糖を持ち込んでも二束三文で買い叩かれるか、最悪、既存の商人たちと揉め事になるだけですよ」


「なるほどなあ」


スフィアが三角の耳だけ動かしながら、メリアの説明を寝転がって聞く。

とはいえ、こういったことはメリアを信用して任せっきりなので聞くだけだ。


「温泉街は私も初めてで現地の人が何を欲しがっているのか、その需要が全く分かりませんしね。下手に商売しようとするより、今回は純粋に休養と観光ってことでいきましょう」


「なるほどー」


御者台からもブルの納得したような声が返ってくる。

彼もまた、メリアの商売のプロ的な分析には全幅の信頼を寄せていた。

何度も繰り返すが、この女は冒険者です。


「それにしても五名様までの招待券で三人しかいないのって、ちょっともったいないよね」


ブルが、ふと現状を口にする。


福引きで当てたのは五名まで宿泊可能な豪華セット券だ。

二名分の枠が完全に無駄になってしまっている。


「仕方ないですよ。急な話でしたし、誘える人もあまりいませんし……。ギルドのマチルダさんは、それはもう血の涙を流す勢いで行きたがってましたけど今はとても休暇は取れないって言ってましたし」


メリアが苦笑いを浮かべる。


マチルダに温泉旅行の話をした時の彼女の反応は、凄まじいものがあった。

「タマちゃんと混浴!?」と叫びながら鼻血を吹いて倒れそうになった彼女を、ギルドの同僚たちが必死で押さえつけていた光景は記憶に新しい。


なお混浴などではなく、獣人たちも普通に男女で分かれている。

人間と獣人では羞恥心は出ずとも、獣人同士は普通に羞恥心は沸くのだ。


「メリアの父ちゃんは呼ぶには距離がありすぎるもんな。今から商業連合に連絡しても、こっちに着くまでに大分かかるだろ」


スフィアが、干し肉をごくりと飲み込みながら付け加える。


「ええ。二人分の空きが出てしまうのは諦めるとして、その分、私たち三人で温泉を楽しみ尽くしましょう!」


メリアがパンッと手を叩き、再びテンションを上げる。


「温泉を楽しむ、ねえ……」


スフィアの声が、再びやる気のないトーンに戻る。


床にだらりと寝そべり、新しい干し肉の袋を漁り始めた。

水が嫌いな彼にとって「熱い湯に浸かる」という行為は、楽しみどころか苦行ですらあるのだ。


そこにメリアがふふん、と得意げな顔になる。


「もう、スフィアさん。知らないんですか? 温泉は入るだけが楽しみではないんですよ」


「というと?」


スフィアの手が止まる。

お湯に入る以外の楽しみといえば――。

少しだけスフィアは期待に胸を膨らませる。


いや胸じゃなかった。

胃袋だった。


メリアはスフィアのわずかな反応に、待ってましたとばかりにパンフレットをスフィアの目の前に広げてみせる。


「温泉地には『源泉』という、お湯がまさに湧き出ている中心地があり、そこは触れたら火傷するほど物凄い熱いお湯だそうです。それを冷まして入浴するのが温泉なんですが……」


メリアは芝居がかった様子で一度言葉を切り、パンフレットのある一点を指差した。


「その源泉の『蒸気』で調理した、特別な食べ物があるそうですよ」


「ほう」


スフィアの耳が、ぴくりと反応した。

寝そべっていた彼の身体がわずかに持ち上がる。


「源泉から噴き出す高温の蒸気で野菜やお肉、魚、卵などを一気に蒸し上げる『湯煙蒸し』は素材の旨味が凝縮されて、それはもう絶品だとか」


「ほう!」


スフィアの耳が完全に立ち、尻尾の先が期待に震え始めた。


「それから、オーヴァン焼きと同じく餡子を薄い皮で包んで蒸し上げる『温泉饅頭』とか。こちらは蒸気のほのかな塩気が餡子の甘さをより引き立てるそうです」


「餡子……!」


スフィアの脳裏にオーヴァン焼きの記憶が蘇る。

彼は、いつの間にかうつ伏せから起き上がって説明に集中している。


「さらに、温泉水を鍋汁として贅沢に使い、地元の新鮮な野菜や魔獣の肉を豪快に煮込む『湯釜鍋』! ミネラル豊富なお湯が、食材を驚くほど柔らかく仕上げるとか……色々あるみたいですよ!」


「詳しいね、メリアさん」


御者台のブルからも、感心した声が飛んでくる。


「ふふん、全部このパンフレットの受け売りですけどね!」


メリアが得意げに胸を張る。


スフィアは今や目を爛々と輝かせ、パンフレットの料理写真にかぶりつかんばかりの勢いで見入っていた。

水への嫌悪感など、未知なる美味への期待によって既に頭の彼方へと吹き飛んでいるようだ。

現金な猫さんですね。


「あとは、そうですね……女性の接待役……『ゲイシャ』さん?もいるようですね。独特の舞が美しくて、宴席を盛り上げてくれるとかなんとか」


メリアがパンフレットの別のページを指差す。

そこには白塗りの化粧をして、色鮮やかな着物を着た人間の女性が微笑んでいる写真が載っていた。


「そっちはどうでもいいな」


スフィアは料理の写真から一瞬だけ視線を移したが、すぐに興味を失って再び湯釜鍋の写真へと視線を戻す。


「まー、人間のゲイシャさん?は、ねえ。僕たちには関係ないかな」


ブルもまた、御者台から同意する。

二人にとって人間の女性の接待など、美味しい肉や野菜以下の価値しかない。

むしろ、スフィアにとっては可愛いと愛でられ、やかましいと感じる要因でしかないのだ。


「お二人は興味なしですか。……あ、でも」


メリアはパンフレットの隅に書かれた、小さな注意書きに気付く。


「『当館では、犬獣人、猫獣人、牛獣人の芸者も、皆様のお越しをお待ちしております!』……ですって。へえ、牛獣人のゲイシャさんもいるんですね」


その言葉が発せられた瞬間。


ピタリ。


御者台に座るブルの、山のように巨大な背中が硬直した。

それまでリズミカルに馬車を制御していた彼の大きな手が、手綱を握りしめたまま石のように停止する。


「マジ? 珍しいな。牛獣人は内向的だから、あんまり自分の村や地方から出てこないもんだけど」


スフィアが、湯煙蒸しの想像をしながら何気なく相槌を打つ。


「そういえば、私たちの街でもあんまり見ませんね、牛獣人の方。ブルさんくらいかも。温泉街イドラには少数いるみたいですけど。ほら、ここの書き込み」


メリアが、その小さな文字列をスフィアに見せようと近づく。


――その時。


「早く行こう」


御者台から、地響きのような低い声が響いた。


「え?」


メリアが振り返ると、ブルがゆっくりと、ゆっくりと御者台からこちらを振り返っていた。


その巨大な牛の顔。

穏やかだったはずの瞳は、今やカッと見開かれ、その奥には尋常ではない熱量が渦巻いている。


鼻息が「フンス、フンス!」と荒くなり、蒸気機関のような白い息が噴き出していた。


「一刻も早く行こう。飛ばすよ!」


「え、いや、そんな急がなくても、パンフレットによればお昼前には」


メリアの言葉は、轟音によってかき消された。


ゴゴゴゴゴゴゴゴッ!!


ブルがゴーレム馬を制御する手綱を操作し、ゴーレム馬の速度が上がった。

馬車の駆動速度が上がり、荷台の荷物が慣性の法則に従っていくつか倒れ、メリアの身体は荷台の壁に叩きつけられることになる。


「ちょっ……!? んきゃああああああああっ!」


そして速度が上昇した馬車は、整備された石畳の街道を文字通り火花を散らすほどの勢いで爆走し始めた。


転がった荷物の中でメリアがどうにか声を絞り出す。


「そういえばブルさん、牛獣人の方にモテたいから冒険者やってるって言ってましたね、スフィアさん」


「そーな。あんま牛獣人に会わねえから、最近俺も忘れがちだったけど」


スフィアは先ほどの爆発的な加速の瞬間、器用な動きで転がる荷物を躱しきっていた。

そして今は猛烈に爆走する騒音の中、荷物のライス一俵の上で再び器用に丸くなって寝る体勢に入っている。


「まあ、早く着く分にはいいだろ。俺は寝よっと」


「そりゃそうですけど……! ブルさーん! 安全運転でお願いしますねー! 聞いてますー!?」


メリアの悲痛な叫びも虚しく、ブルの耳には届かない。


彼の頭の中は、温泉街イドラで待っている――かもしれない未知なる牛獣人のお姉さんへの期待で一杯だった。

普段大人しいやつのリミッターが振り切れると怖いですね。


スフィアたちを乗せたゴーレム馬車は土煙を上げながら、温泉街イドラへと向かって物凄い勢いで街道を爆走するのであった――。

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