いつもの日常
物語の時間はラファエルたちが教主ディオスと対峙する、その少し前に遡る。
レナック王国のとある街。
スフィアたちが拠点としている『角笛亭』のある、多様な人々が行き交う活気に満ちた街である。
石畳の敷かれた大通りには露店が所狭しと軒を連ね、商人たちの威勢の良い呼び込みの声が飛び交っていた。
焼きたてのパンの香ばしい匂い、香辛料屋から漂う異国の香り、そして人々の熱気。
その賑やかな市場の真ん中を三人の冒険者が並んで歩いていた。
先頭を行くのはスフィア。
彼は何か上機嫌なことがあるのか、三角の耳をぴこぴこと動かし、長い尻尾をリズミカルに左右に振りながら小さな足取りで軽快に進んでいた。
その後ろには大きな荷袋をいくつも背負ったブルが続く。
その巨躯は人混みの中でも一際目立ち、周囲の人々が驚いたように道を開けていく。
しかし当の本人は周囲の視線にすっかり慣れた様子で、穏やかな表情を浮かべていた。
「ええっと、あとは保存食も買い込んでおきたいですねえ」
メリアが手にした買い物リストを眺めながら呟く。
「商業連合で作り方を教わったザワークラウト用に、キャベツも欲しいな」
ブルが荷袋の隙間から顔を覗かせてリクエストを口にする。
あの海上の街で出会った発酵キャベツが気に入ったらしく、作り方を聞いてからはたびたびキャベツを買い込んで自作していた。
作り方が簡単だったことも大きいだろう。
「あ、そうですね。ブルさん用の保存食にもなりますし、多めに買っておきましょう」
メリアがリストに素早く書き加える。
「僕の漬物も、ぼちぼち良い頃合いかな。あと数日ってところだと思う」
「いいですね。漬物に合うレシピも探しておかないと」
二人が和やかに買い物の計画を練っていると、それまで機嫌よく前を歩いていたスフィアの鼻が、ひくん、と大きく動いた。
「お、良い匂い」
三角の耳が匂いのする方角を捉えようとぴんと立ち、スフィアの足が自然と匂いの発生源へと向かっていく。
そこは大通りから少し入った広場で、いくつかの屋台が集まっている一角だった。
そして、その中でもひときわ甘く香ばしい香りを放つ屋台。
鉄板の上で円形の型がずらりと並び、その中で生地が焼かれている。
「いらっしゃい、いらっしゃい! オーヴァン焼きだよー! 焼きたてだよー!」
屋台の店主である恰幅の良い男が、朗らかな声を張り上げている。
「オーヴァン焼き?」
スフィアが初めて聞く名前に首を傾げた。
その金色の瞳は鉄板の上で次々と焼かれていく菓子にくぎ付けになっている。
「確か……東国から伝わったお菓子で、豆を砂糖で甘く煮詰めた『餡子』っていう具材を小麦粉の生地で包んで焼いたもの……でしたっけ」
つまるところ、大判焼きである。
「そうそう。前に一度、街の出店で買って食べたけど生地が香ばしくて中の餡子が甘くて美味しかったよ」
ブルがそう補足した瞬間、スフィアの喉がごくりと鳴った。
口の端から、きらりと光るよだれが垂れる。
「美味そうだな……よし、買ってくるか。お前らの分も買ってきてやるよ!」
スフィアはそう宣言すると、自分の財布を取り出し意気揚々と屋台の列に並んだ。
「ありがとうございまーす」
「ゴチでーす」
メリアとブルが手を振る。
その背中を見送りながらメリアが楽しそうにブルに話しかけた。
「スフィアさん、すっかり甘党になりましたねえ」
「うん。あの森でルミナさんのところで食べたお菓子が、よっぽど美味しかったんだろうね」
ブルも穏やかに笑う。
あの森での一件以来スフィアは肉以外の、果物を除いた「甘いもの」にも明確な興味を示すようになっていた。
もちろん、肉が一番であることに揺るぎはないが。
やがて、スフィアがほかほかと湯気の立つオーヴァン焼きを三つ、紙袋に入れて戻ってきた。
彼は早速自分の分を取り出すと何かの小さな紙切れを眺めながら、はぐはぐと頬張っている。
「ほい、お前らの分」
「あ、どうも」
「ありがとう兄さん」
二人がそれぞれの分を受け取ると、メリアがスフィアの手元を覗き込んだ。
「……何見てるんです?」
「あ、いやな。これ、オマケで貰ったんだが『フクビキ券』だってよ」
スフィアは、メリアに残りの紙切れを手渡した。
そこには派手な意匠と共に「福引き券」と印刷されている。
「福引き券?……あ」
メリアがスフィアの視線の先を追うと、市場の広場の片隅に人だかりができている場所があった。
赤と白の幕が張られ「大福引大会」と書かれた大きなノボリが立っている。
「なるほど、オーヴァン焼きを買ったら貰えたんですね」
「行ってみようよ! 楽しそう」
ブルが巨体を弾ませるように提案する。
三人は顔を見合わせると、まだ温かいオーヴァン焼きを片手にその人だかりへと向かっていった。
福引き所は、祭りのような熱気に包まれていた。
中央には、使い込まれて年季の入った六角形の木製抽選機――通称「ガラガラ」が鎮座している。
その隣では店員が景品を並べたり、当選者に対応したりと忙しなく動き回っていた。
「はい、福引きですか? 福引き券一枚で一度回せますよ!」
店員が三人に気づき、明るい声をかける。
「これなんなんだ?」
スフィアが物珍しそうにガラガラを見つめる。
どうやら辺境にこういうシステムは無かったようだ。
「これはですね。お店で買い物をした時のオマケで貰える券でガラガラを回して、出た玉の色に応じた景品を無料で貰えるっていう、お得な催しですね」
メリアが解説する。
商業連合でも似たような客寄せの催しはあったため、彼女には馴染み深いものだ。
福引きは客寄せの口実に大変便利である。
解説を聞いてブルが素直に感心する。
「へえー、お得」
「まあ、ほとんどは残念賞ですけどね。まずはお手本で私が回してみますか」
メリアはそう言うと、福引き券の一枚を店員に手渡した。
「はい、一回どうぞー」
メリアはガラガラの取っ手に手をかけ、シャラシャラと軽快な音を立てて回す。
コロン、と受け皿に転がり出てきたのは何の変哲もない白い玉だった。
チリン、と小さなベルが鳴らされる。
「はい残念賞ー。こちら飴玉です」
店員が小さな籠からカラフルな飴玉を一つ取り出し、メリアに手渡す。
そうそう色のついた玉が出るわけがなかった。
「あ、どうも……。まあ、こういうわけです。だいたいはこんなものですよ」
メリアは苦笑いを浮かべながら飴玉を受け取り、ブルが納得したように頷く。
「なるほどー」
「飴くれ!」
スフィアがメリアに向かって背伸びしながら手を伸ばす。
相変わらず食い意地の張った猫さんであった。
「はいはい」
メリアがその小さな手に飴玉を乗せるとスフィアは器用に包装を剥がし、オーヴァン焼きを食べ終わったばかりの口に放り込んだ。
口がもごもごと動き、甘い香りが漂う。
「じゃあ、次は僕がやってみるね」
ブルが前に進み出ると、福引き券を店員に渡した。
「はい、一回どうぞー……。あ、あの、お手柔らかに。壊さないでくださいね?」
ブルの巨体とその大きな手を見て、店員が慌てて釘を刺す。
「はぁい。わかってますよ」
ブルは人差し指と親指だけで器用に取っ手を掴むと、機械が壊れないよう絶妙な力加減で、しかし勢いよくガラガラを回した。
ガラガラガラガラッ!
尋常ではない速度で回転する抽選機から勢いよく玉が一つ飛び出す。
コロン、と転がったその玉の色は――赤だった。
「お、色付き」
ブルが声を上げると同時。
チリンチリンチリン!
先ほどよりも大きくベルが鳴らされた。
「おお! おめでとうございます! 三等のライス一俵です!」
店員の喜びの声と共に景品所の奥から屈強な男が二人、汗だくになりながら巨大な荷物を運んでくる。
ズシン!
重い音を立てて、地面に巨大な俵が置かれた。
「おー……ライス?」
ブルが自分の身長の半分ほどもある俵を見下ろし、首を傾げる。
「ライスってなんだ? 食えんの?」
スフィアも飴玉を口の中で転がしながら、興味津々で俵の匂いを嗅いでいた。
「ライスとは穀物ですね。パンと同じ主食の仲間です。ここレナック王国がある大陸とは別の大陸で主食として広く食べられている白い麦のようなものですよ」
メリアが解説する。
「パンと違って味は淡白ですが、噛み続けているとじんわりと甘みが出てきて……何より、肉や魚にとても合うと言われています」
「パンとどっちが合う!?」
スフィアの目がカッと見開かれた。
食べ物と分かった途端に物凄い食いつきである。
食べ物だけに。
「人によるそうです。パンよりも遥かにライスの方が合うと主張する人たちも多いとか」
「野菜は!?」
ブルも身を乗り出す。
「濃いめの味付けなら野菜炒めや煮物とも抜群に合うそうです。ライスの食べ方とレシピ、あとで調べておきましょうか」
「「やったぜ(よ)!!」」
スフィアとブルの声が綺麗にハモった。
「よくやったぜブル!」
「いえーい! 僕最高!」
二人はハイタッチを交わし、未知なる食材の登場に小躍りして喜んでいる。
肉にも野菜にも合う主食。
それは彼らにとって、まさに夢のような食材だった。
しかも無料でこんなに!
素晴らしい収穫であった。
「さて、最後は俺の番だな」
スフィアはすっかり機嫌を良くし、ガラガラの前に歩み寄った。
そして、その小さな体躯ゆえの致命的な事実に気づく。
「……届かない。メリア、抱っこ」
「はいはい」
メリアは苦笑いを浮かべながら、スフィアの脇に手を入れて軽々と抱きかかえた。
まるで子供を抱き上げる母親のような、すっかり板についた動作である。
スフィアがガラガラの取っ手に手をかけようとした、その時。
彼の視線が福引き所の奥に掲げられた景品一覧のポスターに釘付けになった。
『一等:特選魔牛肉 食べ比べセット(五種盛り)』
「食べ比べセット……!」
スフィアの金色の瞳に、ギラリと狩人の光が宿った。
脳裏には霜降りのサーロイン、濃厚な赤身、希少なタン、様々な部位の魔牛肉が乱舞する。
彼は店員に最後の福引き券を手渡すと、決意と覚悟に満ちた表情でガラガラの取っ手を握りしめた。
――絶対に当てる。
それはもはや願望ではない。
食に対する飽くなき執念が生み出した、揺るぎない使命感。
「そんなそうそう都合よく出るもんじゃないですよ、こういう豪華景品は……」
メリアが抱っこしたまま呆れたように呟くが、スフィアの耳には入っていない。
彼の全神経は右手に握られた取っ手の一点に集中している。
――俺の中に眠る力よ。今こそ目覚め、力を貸してくれ!
眠る力も寝耳に水でびっくりである。
なんなの?
世界の危機かなんか?
「うおおおおおおおおお!!」
気合の雄叫びと共に、スフィアは渾身の力を込めてガラガラを回す。
ガラガラガラガラガラガラッ!!!
先ほどのブルの比ではない、凄まじい回転音が響き渡る。
店員が「あ、あ、壊れる!」と悲鳴を上げる中、抽選機から一つの玉が弾丸のような勢いで飛び出した。
カランッ!
軽やかな音を立てて受け皿に収まったその玉の色は――。
まばゆい、金色だった。
「え、嘘……」
メリアの動きが止まる。
「おお……!?」
ブルも目を丸くする。
福引き所を包んでいた喧騒が一瞬にして静まり返った。
人々が息を呑む音だけが響く。
店員は受け皿の中の金の玉を凝視し、わなわなと震え始めた。
そして、次の瞬間。
カンカンカンカンカンカンカンッ!!!
店員がカウンターに備え付けられた鐘を、壊れんばかりの勢いで打ち鳴らした!
「おめでとうございまああああああああす!!」
店員の絶叫が、市場全体に響き渡った。
「いよっしゃああああああああっ!!」
スフィアが、メリアの腕の中で勝利の雄叫びを上げる。
その小さな拳は天高く突き上げられていた。
「すっご――――い! すごいですよこれは! スフィアさん!」
メリアも一緒になって大興奮し、スフィアを抱きかかえたままぴょんぴょんと飛び跳ねる。
「えー! 金の玉って一番良いやつじゃない!? 兄さんすごい!」
ブルも巨体を揺らして大喜びしている。
「ま、俺にかかればざっとこんなもんよ!」
スフィアはメリアの腕の中で、これ以上ないほどのドヤ顔で胸を張った。
「いや、本当におめでとうございます! 特賞が出ました! 特賞ですよ!」
店員が興奮冷めやらぬ様子でカウンターから身を乗り出す。
――特賞?
スフィアの耳が、その聞き慣れない単語を拾った。
彼は景品一覧のポスターをもう一度見上げる。
確かに「一等」の上。
そこには、さらに輝かしい文字でこう書かれていた。
『特賞:名湯 温泉街イドラ 五名様御一行ご招待セット』
「こちら、パンフレットと宿泊券のセットです! どうぞ!」
店員が豪華な封筒をスフィアに手渡した。
「スフィアさんやりましたね! 温泉旅行ですよ、温泉旅行! みんなで行けますよ!」
メリアが満面の笑みで祝福する。
しかし、スフィアは無言で特賞の封筒を受け取るとその中身をじっと見つめ、そしてゆっくりと店員の方を振り返り、か細く、悲痛な声をかけた。
「……一等と取り換えちゃダメ……?」
「ダメです」
「ダメでしょう」
「当てたんだから素直に受け取ろうよ、兄さん」
店員は笑顔で即答し、メリアも呆れた顔で即答し、ブルが優しくなだめる。
スフィアの三角の耳がぺたんと寝かされ、尻尾も力なく垂れ下がった。
「ふにゃーん……」
最高の幸運だが、目当てと違う以上は残念賞と変わりはない。
スフィアはしょんぼりと力なく肩を落とした。
こうしてスフィア一行は期せずして「温泉街イドラ」への招待券を手に入れ、二つの物語は、ついに一つの場所で交差しようとしていた――。
ついにこの時が。




