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グルメ猫ファンタジー  作者: 万年亀
第七話 温泉街の竜

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王子一行と邪教団

温泉街イドラの活気ある喧騒は、ここまで登るともう届かない。


山肌を撫でる風は冷たく、山に宿る火の魔力が微かに混じっている。

木々は疎らになり、剥き出しの岩肌が目立つ山岳地帯。

かつての遺構がまばらに点在し、麓の温泉街の観光名所となっている場所。


その開けた岩場に、それは潜んでいた。


全長は優に二十メートルを超える。

大地に伏せたその体躯は、まるで小さな丘のようだ。


深紅の鱗は鈍い光を放ち、閉じられた瞼の下で巨大な眼球が時折不規則に動いている。

身体から発される強大な魔力は、明らかにこれがただの竜ではないことを感じさせる。


「これが件の竜か……! でかい……!」


岩陰から様子を窺っていたラファエル王子が、息を呑んで呟く。

これほどの巨竜を間近で見るのは初めての経験だ。

肌をピリピリと刺すような魔力の圧が、生物としての格の違いを否応なく突きつけてくる。


「気を付けろ。竜もそうだが、ここには確か邪教団と思しき男がいるはずだ」


隣に立つエルセインは、ラファエルとは対照的に冷静だった。

その雪のように白い髪が山頂の強い風に静かになびく。


彼の視線は竜ではなく、その傍らにある岩陰の一点に注がれていた。

そこには明らかに不自然な魔力の淀みがある。


「出てこい! そこにいるのはわかっている!」


エルセインの声が、岩場に反響する。


張り詰めた静寂が数秒続いた後、ゆらりと影が動いた。

眠る竜の傍らから音もなく一人の男が姿を現す。


全身を深く黒いローブで覆い、その顔はフードの闇に沈んで窺い知れない。


しかし、その男から発せられる不快な魔力の気配は、エルセインがこれまでの生で感じてきた邪教団のそれと酷似していた。


「これはこれは。何事ですかな?」


フードの奥から、くぐもった男の声が響く。

その口調はあくまで平静で、武装した二人を前にしても臆した様子は微塵もない。


「お前が竜を呼び込んだ男か」


ラファエルが剣の柄に手をかけ、一歩前に出る。

そして鋭い切っ先を黒いローブの男へと向けた。


だが男は両手を軽く広げ、おどけた様子でシラを切る。


「おお、一体何のお話でしょう。私はこの人懐こい竜と、ここで静かに日向ぼっこをしているだけです。一体何のことを言っているのか……」


「しらばっくれなくてもいい。お前がここで竜を使って何かをしようとしているのは明白だ」


エルセインがラファエルの前に進み出る。

その瞳は、この場の魔力の流れをしっかりと捉えていた。


「この地には麓の温泉街の源泉となる、極めて強い火の魔力が流れている。そしてその魔力が今、人為的に捻じ曲げられて絶え間なくその竜へと注がれているのがわかる」


エルセインは、眠る竜を指差した。


「本来の生態系ではありえない速度で強大な魔力が急速に注ぎ込まれた結果、その竜は異常なまでに巨大化しているんだろう。竜の意識は濃密な闇の魔力で表層からコントロールされ、今は大人しいようだが……それも時間の問題だ」


「……」


「これ以上、性質の違う魔力を無理やり注ぎ続ければどうなるか。抑え込まれた竜本来の自我が、注がれた膨大なエネルギーと共に内側から弾け飛ぶ。コントロールが外れ、竜は暴走するだろう。暴走した竜を使って、何をしようとしている?」


エルセインの淀みない指摘に、ローブの男は動きを止めた。

やがて、フードの奥から低い舌打ちが漏れる。


「チッ……流石は宮廷魔術師長エルセイン。噂には聞いていたが、竜種なだけあって魔力の感知は常人を遥かに超えているか。それだけ知られていては、もはや隠すだけ無駄だな」


男はゆっくりとフードを取った。

現れたのは、鋭い目つきをした中年の男。

その顔には深い疲労と、それ以上に狂信的な光が宿っていた。


「私こそは邪教団『黒き翼』が教主ディオス。偉大なる邪神竜ヴァルノス様の右腕たる者だ!」


「教主……!」


ラファエルが息を呑む。


邪教団の頂点に立つ男。

ヴァルノス復活を目論む者たちを束ねる元凶が、今、目の前にいる。


「これだけの竜を、これだけの精度で操るのであれば相応の術者だとは思ったが……なかなか大物が自ら出てきたな」


エルセインが、わずかに眉をひそめる。


この男から発せられる闇の魔力は、これまで対峙したどの信者よりも濃く、深く、そして邪悪だ。


教主ディオスは肩をすくめ、再び眠る竜を愛おしげに見つめた。


「フン、威張るつもりはない。単に、これだけの闇の魔力を精密に操れるのが教団広しといえども私しかいなかったというだけのことだ」


「それで? 暴走した竜を使って何をする気だ? 無理やり抑え込んだ自我が注いだ魔力によって暴走すれば、竜はただの破壊の権化と化す。注ぎ込まれた膨大な熱量はやがて竜自身の生命力を焼き尽くし、死ぬまで暴れ狂うことになるだろう」


「そこまで読めれば、だいたい察しているのだろう?」


教主ディオスの口元に、歪んだ笑みが浮かぶ。

その目は、これから起こるであろう惨劇を幻視し、悦に入っている。


「この地に住む者どもを根絶やしにし、その恐怖と絶望に染まった魂を根こそぎ回収。そして偉大なるヴァルノス様の復活の糧とするのだ」


「……!」


「麓の温泉街に住む者、そして今この時も訪れているであろう呑気な旅行者たち……その全てだ。だが、それだけではない」


教主ディオスは楽しそうに指を一本立てる。


「これほどの竜が暴れれば、国も黙ってはおるまい。討伐のために腕利きの騎士や冒険者たちが集うだろう。死ぬまで暴れ狂うこの竜を討伐しようと集う愚かな者たちも皆、等しくヴァルノス様の糧とする。それが我らの計画よ」


そして教主ディオスは、クツクツと喉の奥で笑い始めた。


「多くが死ねば、その仇討ちのために更に多くの者が集まる。竜がその命を燃やし尽くして倒れるまでに、一体どれだけの魂が収穫できるのか……。楽しみでならん」


「そんなことを……させるわけにはいかない!」


ラファエルが激昂し、剣を強く握りしめる。


何千、何万という無辜の民の命を、ただ「糧」としてしか見ていない男の狂気に腹の底から怒りがこみ上げる。


止めねばならない。

王族として――否、この地に生きる者として。


「ほう? ではどうするかね」


教主ディオスは嘲るように怒るラファエルを見据えた。

そして、その視線がエルセインではなく、ラファエルに固定される。


「――勇者よ」


「――!?」


ラファエルの身体が、硬直する。

なぜ、自分が。


「驚くことはあるまい。三百年の間、王城から動かなかったエルセインが、わざわざ直々に城から連れ出した赤髪の若い男。何か特別な存在であると察するのは、たやすいことだ」


ラファエルは、反射的にエルセインの横顔を見た。

エルセインは唇を強く噛みしめ、その美しい顔に悔恨の色を浮かべていた。

自分の行動が、ラファエルを危険に晒すことになってしまった。

その事実が、彼を苛んでいる。


――数日前。


山岳の遺跡群へ向かう道中の野営地で、二人はそんな会話を交わしていた。


「エルセイン、提案があるんだが」


焚き火の炎を見つめながら、ラファエルが切り出した。


「邪教団に、俺が勇者だという偽情報を意図的に流すのはどうだろう」


その言葉にエルセインは即座に首を横に振った。


「ダメだ。危険すぎる」


彼の声はいつになく真剣だった。


「邪教団も、邪神竜ヴァルノスを倒すとされる勇者の存在には最大限注目している。その偽情報が流れれば彼らは全戦力を挙げて、何よりも優先して君を潰そうとするだろう」


「だが俺が囮になれば邪教団の目を欺ける。その間に本当の勇者が力を蓄える時間が稼げるかもしれない」


「向こうがそれを信じる保証はない。疑念を持たれてしまえばそれまでだ。無駄死になる」


「だが……!」


「くどい。聞き分けてくれ」


エルセインは、燃え盛る薪からラファエルへと視線を移した。

その瞳には、深い憂いと、隠しようのない情が浮かんでいる。


「……友人の君を、死なせたくないんだ。わかってくれ」


その言葉に、ラファエルは押し黙るしかなかった。

三百年を生きる竜にとって、「友人」という言葉がどれほどの重みを持つか。

自分は、彼にとってアルトリウス以来の心を許せる存在なのかもしれない。


「……わかったよ。だが……」


ラファエルはその時、心の奥で決めていた。

もし、敵が自分を勇者と誤認するような事態が訪れたら。

その時はエルセインの忠告を破ってでも、本物の勇者を守るための囮として名乗り出よう、と。


そしてエルセインもまた、ラファエルのその決意を痛いほど察していた。


この赤髪の王子が自らの命を顧みない、アルトリウスと同じ種類の高潔さを持っていることを知っていたからだ。


ゆえに、教主の言葉を聞いた今――。


「そうだ」


ラファエルは教主ディオスの視線を真っ直ぐに受け止め、剣を構え直す。


迷いも、恐れもない。

ただ自らが盾となる覚悟だけが、その声に宿っていた。


「――俺が、勇者だ」


「ラファエル!」


エルセインの鋭い声が飛ぶ。


その声は無謀な囮作戦を実行に移した友を、心の底から咎めるものだ。

だが、その必死の叱咤こそが教主ディオスの疑念を確信へと変えさせる。


(やはりそうか!)


教主ディオスは内心でほくそ笑む。


エルセインのあの慌てよう。

あれは、勇者だと名乗り出た若者の浅慮さ、その無謀さを叱責する守護者としての焦りに違いない。


図らずも、勇者本人を釣り上げてしまった。

そう確信する。


「……ふはは! フハハハハ! 愚かな勇者を持つと苦労するな、エルセイン! いいだろう、実にいい! 本来の目的とは違うが、ここで勇者を倒すことができれば我らの脅威は何もなくなる!」


教主ディオスが両手を高々と掲げる。


その言葉に呼応するかのように、それまで眠っていた巨大な竜の身体が、ビクン、と大きく痙攣した。


グ、グググ……と地を揺するような音が響き、閉じられていた竜の瞼が、ゆっくりと持ち上がっていく。

現れた瞳には理性の光はなく、ただ闇の魔力に支配された、濁った紅蓮の光が燃えていた。


「さあ、死ぬがいい勇者よ! 貴様もまた、偉大なる邪神竜ヴァルノス様の尊き贄となるのだ!」


ゴオオオオオオッ!!


覚醒した竜が、天を衝くほどの咆哮を上げる。

岩場全体が凄まじい音圧で震え、戦いの火蓋が今まさに切って落とされた――。

凄いシリアスですが、次回からちゃんとスフィアさん一行の視点となります。

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