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グルメ猫ファンタジー  作者: 万年亀
第六話 迷いの森の果実狩り

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63/79

正体

スフィアたちが去った後のユグドの樹の群生地は、奇妙な静寂に包まれていた。

先ほどまでの激しい戦闘の痕跡が、生々しく大地に刻まれている。


抉れた地面、浅く溶けた岩肌、そして何よりも強烈な存在感を放つのは、広場の中央に横たわるヒュドラの巨大な死骸だった。


五本の首はすべて斬り落とされ、その断面からは紫黒色の血液が流れ出し、発光する植物を不気味な色に染めている。

武器で切り刻まれた胴体は、無残な傷だらけだ。


生命活動を停止した今もなお、その巨体からは猛毒の瘴気が陽炎のように立ち上り、近寄る者を拒絶している。


森の奥、木々の影が最も濃い場所から、一人の女性が音もなく歩み出た。


――ルミナだ。


彼女は、まるで散歩でもするようなゆったりとした足取りで、巨大な死骸の前まで進み出ると、その前に静かに立ち止まった。

白い衣服はヒュドラの毒の影響を一切受けず、汚れ一つない。


その美しい顔には、スフィアたちに見せた茶目っ気のある笑みも、悪戯っぽい好奇心もない。

ただ、底知れないほどに深く静かな瞳が、無惨な姿となったヒュドラを見下ろしていた。


「……」


彼女は何も言わず、ただそっと、その白い手をヒュドラの巨体へと差し伸べる。

指先が、まだ毒の瘴気を放つ鱗に触れるか触れないかの距離で止まった。


『――蘇ることを、我が名の下に許可する』


その声は森羅万象に命じるかのように、静かに、しかし絶対的な力を持って響き渡る。


瞬間、ルミナの手のひらから淡い緑色と金色が混じり合った、この世のものとは思えぬほど清浄な光が溢れ出す。

光は奔流となってヒュドラの死骸を包み込み、物理法則を逆転させるかのように時間が巻き戻り始めた。


焼け爛れ、溶解した鱗が元の硬質的な輝きを取り戻す。

ウルスの実の果汁で汚染された傷口は浄化され、清浄な肉が盛り上がる。

そして斬り落とされた五つの首の断面から光の束が触手のように伸び、宙を舞って朽ちたはずの頭部を再構成していく。


それは、スフィアたちが目撃した「再生」などという生易しいものではない。

「死」という確定した事象そのものを覆す、完全なる「蘇生」。

まさしく神の御業だった。


光が収まる時、そこには先ほどまでの無残な死骸ではなく、傷一つない完璧な姿の五つ首の毒竜ヒュドラが静かに佇んでいた。


蘇生したばかりのヒュドラは、ゆっくりと五つの頭すべてを動かし自らの復活を確認する。

そして目の前に立つルミナの姿を認めると、その五つの頭すべてを恭しく地面に垂れた。

それは絶対的な強者に対する、完全なる服従の証。


『いと貴き御方。蘇らせてくださり、感謝の念に堪えませぬ』


声ではない。

荘厳で重い「意思」が、直接ルミナの脳裏に響き渡る。


――念話。

このヒュドラほどの古く強力な魔獣であれば、多くの生物が使う声帯という器官に頼らずとも意思の疎通が可能なのだ。


「やあ、無理を言ってすまなかったね」


ルミナは先ほどまでの神秘的な雰囲気から一転、いつもの気さくな口調に戻っていた。

彼女はヒュドラの巨大な頭の一つに近づくと、その硬い鱗を優しく撫でる。


「傷や、その……口内は大丈夫かい? 随分とえげつない攻撃を受けていたようだが」


『はい。貴女様が蘇生と同時に全て治してくださいましたので』


ヒュドラは、思い出しただけでも身震いする、とでも言いたげに首を一つ振った。

あの耐え難い痒みは、死の苦痛よりも鮮烈な記憶として刻みつけられている。


「それはよかった」


『それで、貴女様の命でしたので、ここでかの者たちと交戦しましたが……』


ヒュドラの念話には、わずかな困惑が含まれていた。

なぜ、自分がこのような「遊び」に付き合わされねばならなかったのか、と。


「ああ、急な要請だったろう。重ねてすまない。どうしても彼らを見定めたくてね」


『見定める、ですか。あの者たちは、貴女様が気にかけるほどの者たちだったのですか?』


ヒュドラの問いに、ルミナは楽しそうに、そして懐かしそうに目を細めた。


「うん。偶然ここに迷い込んだ、ただの旅人なら君の出番もなく適当に追い払うところだったが……懐かしい気配を持つ者が、二人もいたんだ。無下にはできないさ」


『貴女様のお眼鏡にかなったと?』


「そうだね、予想以上に楽しめたよ」


ルミナはくすくすと笑いを漏らす。

なにより、あの後の彼らの選択。


「特に君の素材を置いていく判断をしたのは面白かった」


目先の利益に飛びつかず、その先にある面倒事――権力者からの疑念や、暗殺者への転用リスク――まで見通し、切り捨てる。

無用なトラブルを避け、平和を愛し、考えなしのようでいて意外とものを考えていた男によく似ている。


「流石は『彼』の血縁だと感心したよ。あとは婿をどうするかだけど……まあ本人の問題だからこれは良いか。助言もしたしね」


『それは、ようございました』


ヒュドラはルミナが満足したことを確認し、安堵したように息をつく。


『それでは、私はこれで。これ以上群生地を荒らすわけにもいきません。何かあれば、またお呼びください――光の精霊竜、聖竜ルミナス様』


「ああ。また何かあればよろしく頼むよ。ゆっくり休んでおくれ」


ルミナ――聖竜ルミナスは、優しくヒュドラの鼻先を撫でた。


ヒュドラは、その感触を名残惜しむかのように一瞬だけ目を閉じると、うやううやしくルミナに一礼する。

そしてその巨体を音もなく翻し森の奥深く、自らが本来棲まう縄張りへと静かに姿を消していった。


広場には、再びルミナ一人だけが残された。

いや、彼女は人ではない。


ルミナ。

彼女こそは、闇の精霊竜『邪神竜ヴァルノス』の対となる双子竜。

この国の伝説において勇者を選定し、聖剣を授け、光と生命を司るとされる光の精霊竜『聖竜ルミナス』。

それが、人の姿をとった仮の姿であった。


彼女は、自分と深き縁ある二つの存在が偶然にも自分の隠れ処であるこの森を訪れたことに非常に強く興味を持った。


ゆえに直接会って訪れた目的を聞き出し、この森の主である強大な魔獣ヒュドラと戦わせ、どう対処し、どう判断するかで彼らの人となりを見定めようとしたのだ。


――溜め込んでいた超貴重な食材を使った悪戯は盛大に失敗したが。

まあ無駄に腐らせるよりはいいか、と自分を納得させる。


そして聖竜ルミナスはユグドの樹々が作る天蓋を見上げ、空の彼方にいるであろう、もう一方の片割れに意識を向けた。


「……ヴァルノス」


その声は、もはや魔術師ルミナのものではなく、光の精霊竜『聖竜ルミナス』の言葉。

冷たく、厳粛で、絶対的な意志を宿している。


「君は少々、人の子相手にやりすぎた。三百年前の雪辱を果たしたいのは分かるが、やり方が姑息すぎるし、何より品がない」


彼女の脳裏には、今まさに王国で暗躍し、邪神竜の復活を企てる邪教団『黒き翼』と、その背後にいるヴァルノスの気配が視えている。


「君は近々、その報いを受けるだろう」


その未来は覆らない。

だが、とルミナスは続ける。


「――ただ」


聖竜ルミナスの口元に苦笑いが浮かぶ。


「あんな事故になるというのは、流石に少々同情するけどね?」


彼女はユグドの樹々に背を向けると来た道を引き返し始める。


ふわり、と風が吹いた。


森の葉が擦れ合う音だけが響き、彼女の姿は跡形もなくかき消えていた。

まるで最初から、そこに誰もいなかったかのように――。

悪戯好きなのは素です。


第六話了


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