自己紹介
夜も更けた角笛亭の酒場では、三人がテーブルを囲んで酒を飲んでいた。
木製の大きなテーブルには空になったジョッキがいくつも並んでいる。
麦酒の泡が乾いた跡が白く残り、テーブルの木目に染み込んだ酒の匂いが立ち上っていた。
酒場の明かりは温かなオレンジ色で、三人の頬を赤く染めている。
周囲では他の獣人たちも同様に酒を楽しんでおり、豪快な笑い声や歌声が絶えることなく響く。
狼獣人たちの遠吠えのような笑い声、熊獣人の太い声での歌、鳥獣人の甲高い囁き声などが混じり合い、夜の酒場特有の賑やかな雰囲気を作り出していた。
そんな喧騒の中で、三人のテーブルもまた別の意味で騒がしい。
酒が進むにつれて声も大きくなり、身振り手振りも激しくなって、周囲の喧騒に負けじと騒ぎ立てている。
時折、スフィアが机を叩く音や、ブルの大きい声、メリアの甲高い抗議の声が他の客たちの会話を一瞬かき消していた。
「なんだよ可愛いって!」
スフィアは飲み終わったジョッキを机に叩きつけながら叫んだ。
ガンッという音が響き、近くのテーブルの客たちがちらりとこちらを見る。
しかし酒場の喧騒に紛れて、すぐに自分たちの会話に戻っていった。
「俺はどっちかというとかっこいい系だって地元じゃ言われてたんだぞ! 成人済みの男に可愛いはねーだろ!!」
スフィアの金色の瞳は酒で潤み、普段のぶっきらぼうな表情が崩れて、どこか子供っぽい不満顔になっている。
三角の耳がぴょこぴょこと動いて、確かに今の表情は「可愛い」以外の何物でもないのだが、本人にそれを指摘する勇気のある者はその場にはいなかった。
「人間の女の人はなんなんですか!」
ブルも負けじと声を上げた。
その巨体に似合わず、声音には困惑と悲しみが混じっている。
「僕を見て食べられるとか犯されるとか好き勝手言って! 僕は牛獣人ですよ! 草食だよ! 人間の女の人になんて別に欲情しないよ!」
ブルの大きな手が、まるで子供のようにぎゅっと拳を握りしめている。
その様子は見た目の威圧感とは裏腹に、とても純真で無垢な印象を与えた。
「僕がモテたいのはホルスタウロスのお姉さんだよ!!」
ブルの本音が漏れた。
どうやら彼は、ホルスタウロスの女性たちにモテたいという願望を抱いているらしい。
そして三人目――。
「なんで就職先で『お金が好きなんで経理の仕事がしたいです、趣味はお金を貯めることです、好きなものはお金です』って言ったらどこも不採用なんですか! 解せねー!」
メリアは既にかなり酔いが回っているようで、普段の上品な口調が崩れて少し荒っぽい調子になっている。
頬は真っ赤で髪も少し乱れて、商家のお嬢さんらしい品格もどこかに飛んでいってしまっていた。
「だって正直じゃないですか! お金大好きですよ私は! 借金返さなきゃいけないんですもん! 何が悪いって言うんですかオラァ!」
三人三様の愚痴が酒場に響く中、他の客たちは特に気にする様子もなく、それぞれの夜を楽しんでいる。
角笛亭ではこうした光景は日常茶飯事なのかもしれない。
何故三人はこんなことになってしまったのか。
それは少し前の時間へ遡る―――。
◆◆◆◆
角笛亭の酒場で三人は木製の円テーブルを囲んで向かい合っていた。
テーブルの上には、女将が運んできた麦酒の入ったジョッキが三つ並んでいる。
泡立つ琥珀色の液体からは、ほのかに甘い麦の香りが立ち上っていた。
周囲では獣人たちの陽気な笑い声が響き、夜の酒場特有の賑やかな雰囲気に包まれている。
メリアはまだ巨大なミノタウロスの存在に少し緊張している様子で、時折ちらちらとブルの方を見ては目を逸らしていた。
一方のブルは先ほどの驚きから立ち直ったものの、やはり落ち着かない様子で大きな手をもじもじと動かしている。
「つーわけで」
スフィアは麦酒を一口飲んでから、改めて口を開いた。
「メリア、こいつが俺の弟分のブルだ」
「初めまして、ブルズウルグスといいます」
ブルは丁寧に頭を下げた。
大きな手斧と大きな金属製の棍棒を背中に装備した巨体のミノタウロス。
その巨体が動くたびに椅子がきしむ音がして、テーブルが微かに揺れる。
見た目に反して礼儀正しく、声音も穏やかで優しい。
「ブルズ……?」
メリアは舌を噛みそうになりながら、必死に名前を覚えようとした。
「ブルでいいですよ、言いづらいでしょ」
ブルは苦笑いを浮かべながら手を振った。
その笑顔は人懐っこく、先ほどまでの威圧感が嘘のように和らいでいる。
「お二人は兄貴分と弟分……なんです?」
メリアは興味深そうに二人を見比べた。
体格も種族も全く違う二人が、どのような関係なのか気になったのだ。
「ああ、同じ辺境の村出身なんだ」
スフィアは軽く頷いた。
「こいつこのナリで昔から気が小さくてなあ」
「やめてよ兄さん、僕だって勇敢になれるように頑張ってるんだ」
ブルは困ったような表情で抗議した。
その様子は、まるで兄に冷やかされる弟のようで微笑ましくもある。
巨体とのギャップが、より一層彼の純朴さを際立たせていた。
「辺境から出てきたんですねえ」
辺境とはレナック王国の向こう側の未開拓地域と呼ばれる場所だ。
危険な魔獣もいるが、獣人たちがちらほらと集落を作っていると聞く。
「俺はもっと美味い肉を食いたくてな。ブルは……」
スフィアは言いかけて、ブルの方を見た。
説明は本人にさせた方がいいだろうという配慮らしい。
ブルは少し恥ずかしそうに俯いてから、ゆっくりと話し始めた。
「牛獣人……ミノタウロスってのは勇敢であることが美徳とされているんです」
その声には、どこか重い響きが含まれている。
「僕は昔から気が小さくて……臆病で、同年代の男の子にも女の子にも馬鹿にされていたんです」
ブルの大きな手が、テーブルの上で小さく握りしめられた。
きっと辛い思い出なのだろう。
メリアは同情的な表情を浮かべた。
「だから、兄さんが村を出るって聞いた時、僕も同行したんです。僕は強くなる。勇敢になる。そして……」
ブルの目に、突然強い光が宿った。
まるで何かに憑りつかれたような、熱烈な輝きだった。
「女の子に、モテるんだ!!」
突然のテンション急上昇に、メリアは面食らった。
「お、おう……?」
「モテたい。僕はモテたいんです。狂おしいほどに」
ブルの声は次第に熱を帯びてきた。
大きな拳がテーブルに置かれ、その目は遠くを見つめている。
まるで崇高な理想を語る騎士のような表情だった。
「僕はモテるためなら、命すら賭けられます!」
「命やすっ!? もっと命大事にしましょうよ!?」
スフィアは慣れた様子で麦酒を飲んでいる。
どうやらブルのこうした一面は日常茶飯事らしい。
メリアは少し落ち着きを取り戻すと、気になっていたことを口にした。
「女の子にモテるって牛獣人の方対象ですよね?」
当然の疑問だった。
人間の女性に対してモテたいと言っているのか、それとも同族に対してなのか。
メリアとしては、その辺りをはっきりさせておきたかった。
「まーな。俺ら獣人は人間に食指動かねーし」
スフィアはあっさりと答える。
ジョッキを口元に運びながら、まるで当たり前のことを言うような調子だった。
種族が違えば恋愛対象も異なるというのは獣人にとっては自然なことらしい。
確かに人間も獣の身体である犬獣人や猫獣人に対して食指は動かない。
獣人側も同じような理屈なのだろう。
「理想はホルスタウロスのお姉さんですね!」
ブルは突然目を輝かせながら声を上げた。
その瞬間、彼の鼻息が荒くなり、牛らしい「フンフン」という音が聞こえてくる。
大きな鼻孔が広がって明らかに興奮している様子だった。
周囲の客たちが一瞬こちらを振り返るほどの勢いである。
メリアは首を傾げた。
「ホルスタウロスとは」
聞き慣れない単語に素直に疑問を口にする。
人間の街で育った彼女には、獣人の種族についての知識は限られていた。
「ああ、牛獣人種のな」
スフィアは説明しながら、少し考えるような表情を浮かべた。
「んーと、二本足で歩く乳牛って言えば人間には伝わるか? 乳がいくつもあって、ミノタウロスみたいな体格の」
スフィアの説明は実に簡潔で分かりやすかった。
時折手振りを交えながら、メリアにも理解できるよう丁寧に説明している。
「だいたい想像がつきました」
メリアは頷いた。
スフィアの説明から、どのような外見の獣人なのか想像がつく。
ブルのような大柄な体格で、しかも豊満な体つきということなのだろう。
ブルは自分の理想について語られている間、ずっと幸せそうな表情を浮かべていた。
大きな手をもじもじと動かしながら、時折「フフフ」と小さく笑っている。
その様子は恋する乙女のように初々しく、巨体とのギャップがより一層際立っている。
やがてブルは現実に戻ったように首を振り、話題を変えた。
「そういえば兄さん、メリアさんをパーティに入れて組むって言ってたけどどういうコト?」
大きな目をぱちくりとさせながら素朴な疑問を口にする。
その表情は純真そのもので、まるで子供のようだ。
「ああ、それなんだがこいつを見てくれ」
スフィアは荷物から金貨の入った大袋を取り出し、テーブルの上にどんと置いた。
袋の重みでテーブルが小さく震え、中でじゃらりと金貨の音が響く。
明らかに相当な金額が入っている袋だった。
「!? ナニコレどうしたの!?」
ブルの目が皿のように大きくなった。
その驚きようはあまりにも大げさで思わず椅子から身を乗り出している。
巨体が動くたびに椅子がきしんで、今にも壊れそうな音を立てた。
ブルの疑問にスフィアはあっさりと答える。
「メリアがくれた」
「!? 大富豪!? スポンサー的な!?」
ブルの想像はあらぬ方向に向かい始めた。
目をキラキラと輝かせて、メリアを見つめる。
その視線には純粋な尊敬の念が込められていた。
「違いますが!? 実家は倒産しましたが!?」
メリアは慌てて両手を振って否定した。
顔を赤くして、必死に誤解を解こうとしている。
「なんか、こう……稼いだ?」
スフィアは曖昧に手をひらひらと振りながら適当な説明をしようとした。
商取引の詳しい説明はスフィアには無理だ。
しかし、その曖昧な表現がさらなる誤解を招くことになる。
「え!? 身体とかで!?」
ブルの発想はさらに斜め上に飛んだ。
その瞬間、彼の顔が真っ赤になり「ひゃー!」と慌てたように手をばたばたと振り始める。
純粋すぎる青年には刺激的すぎる想像だったようだ。
「違いますが!? スフィアさんはちょっと黙っててくれます!?」
メリアの声が一オクターブ高くなった。
その表情は羞恥と怒りが入り混じり、頬が真っ赤に染まっている。
そこから数分間、メリアは必死になって事情を説明した。
ワイバーンとの遭遇から始まり、素材の売却、そして今日の収入に至るまでの経緯を詳しく語る。
ブルは真剣な表情で話を聞き、時折「なるほど」「すごいですね」と相槌を打っていた。
「はー、なるほど。商家のお嬢さんで」
ブルは納得したように大きく頷いた。
その理解力の早さに、メリアは少しほっとした表情を見せる。
「ええ、借金返済のためにお金が必要で」
「そこら辺の事情は俺も初めて聞いたわ」
スフィアは興味深そうにメリアを見た。
今まで知らなかった彼女の背景に、少し驚いているようだ。
「でもそれだけ交渉力があるなら商人として働いたらよかったのでは?」
ブルはもっともな疑問を口にした。
「それなんですが、地元では結構有名な商会だったんですよねウチ」
メリアは少し誇らしげな表情を浮かべた。
そして、いったん言葉を切って溜めるように口を開く。
「グランディア商会……って言うんですが、知ってます?」
決め顔で商会名を告げるメリア。
きっと地元では誰もが知る名前なのだろう。
しかし――。
「知らん」
「わかんないです」
スフィアとブルの返答は実にあっさりしたものだった。
そりゃ辺境の獣人村で人間の商会が有名なはずがないのである。
「……そう……」
メリアの肩がかくんと落ちた。
期待していた反応が得られず、少しがっかりしたような表情を見せる。
しかし、すぐに気を取り直して話を続けた。
「まー事業に失敗して借金こさえちゃったわけですね。常識的な額で収まりましたが」
「事業って何したんだよ」
スフィアが率直に聞くと、ブルが慌てたように手を振った。
「兄さん、あまり突っ込んだ話は……」
「あ、いいですよ別に。運が悪かっただけですし」
メリアは苦笑いを浮かべながら手を振った。
「まあ実家の商会が商業連合にあったんですよ。海の上にある、商人の船が集まってできたとこで」
「想像できねえ」
「僕も」
スフィアとブルは率直に困惑を表明し、首を傾げている。
辺境の村出身の二人には海上都市という概念が理解しづらいようだ。
「まあそういうとこだとざっくり把握してもらえれば。それで商業連合で唯一の土地持ちになろうと全財産賭けて大きな島を買ったはいいんですが」
メリアの説明は続く。
「地盤沈下しやすい土地だったらしく……五十年後にはほぼ海に沈む土地だったんですよね……」
その瞬間、二人の表情が同時に引きつった。
「うわあ」
「うわあ」
スフィアとブルの声が重なる。
想像しただけでも恐ろしい失敗談だった。
「金の切れ目は縁の切れ目と言うか。五十年後に沈む土地に建物を建てるバカはいないので、縁の深い商会から手を切られて。一気に借金まみれですね」
メリアは意外にもあっけらかんとしている。
もう吹っ切れているのだろう。
「よくそれで常識的な額になりましたね」
ブルが素朴な疑問を口にし、メリアの声が小声になる。
「実は私、借金の返済のために嫁の当てが無い金持ちの変態貴族の嫁に」
「なったんですか」
「クソ両親じゃねーか」
ブルが心配そうに身を乗り出し、スフィアは眉をひそめた。
「なろうと思って嫁入り先を吟味してたら、両親が全力で借金をコンパクトにまとめてくれまして」
「覚悟決まりすぎじゃないですかね」
「良い両親じゃねーか」
ブルは驚嘆の表情を浮かべ、スフィアの評価も一転した。
「ええ、両親に恩を返すためにお金が欲しいんですよね」
メリアの表情には、両親への深い愛情が込められていた。
先走る娘のために両親は頑張ったのだろう。
「地元で仕事探さなかったんです? 実入りの良い商会とか」
「いやー、さっきも言いましたが大きい商会だったんで。地元だと『お嬢』とか言われてお姫様扱いだったんですよね。流石に地元で働くのは気恥ずかしくて」
メリアは照れくさそうに頬をかいた。
「冒険者になろうと思ったんですが、地元は直属の傭兵団がいくつも連合直下にあるせいで冒険者ギルドの必要が無くて、なかったんですよね。それで冒険者になりにこっちの土地に」
「冒険者じゃなくても商会に勤めればよかったのに」
「私も冒険者として働きながら事務仕事でもと思ったんですが、お金が元々好きなんで経理の仕事を探して、お金に触りながらお金の仕事でお金を稼ごうとしたらどこも不採用を喰らいまして」
「そうなんですか。不思議ですね」
「金が好きだから金の仕事しようとしただけなのになー」
「不思議ですよねー」
ブルは首を傾げ、スフィアも同調する。
二人の反応にメリアも同意した。
しかし実際のところ、お金が好きだとアピールする奴に金銭管理の仕事を任せる経営者はいない。
金の管理を誤魔化して懐に入れる疑いがあるからだ。
それは人間社会の常識である。
だが、元商家のお嬢様であるメリアと人間の金融事情に詳しくない獣人二人にそんなことはわからないのであった。
ツッコミ役が不在の状況である。
ブルは一通り話を聞き終えると、感心したように大きく頷いた。
「なるほど、それでスフィア兄さんの『生ゴミ』を適切に売り払って、あれだけの大金にしたんですね」
ブルの声には純粋な驚きと感嘆がある。
彼自身も今まで、狩った魔獣の素材は肉以外ほぼ全て捨てていたのだ。
それがあれほどの価値を持っていたとは思いもしなかった。
人間であれば毛皮は衣服にし、爪や牙は研いで武器にするだろう。
だが彼らは獣人である。
毛皮も爪も牙も自前のものがあり、動物由来の素材の使い道は人間ほど多くはない。
村という閉じたコミュニティでは人間に売るという事もあまりなく、動物由来の素材は基本的に『生ゴミ』として放置されていたのだ。
「メリアさんがいれば僕たちが今まで無駄にしていたものを、きちんとお金に変えられるってことですよね」
大きな目をキラキラと輝かせながら、ブルは興奮気味に続けた。
「それに交渉も得意だし、お金の管理もできる。僕たちにとって、これ以上ない仲間じゃないですか!」
ブルの表情は本当に嬉しそうだった。
今まで二人だけでは気づけなかった価値を見出してくれる仲間の存在に、心から感謝している様子だ。
彼の目には純粋な喜びが宿っており、新しい仲間を迎えることを心から歓迎しているようだ。
「僕は大賛成です! というか、ぜひお願いします!」
ブルは勢いよく立ち上がり、深々と頭を下げた。
その巨体が動くたびにテーブルが揺れ、ジョッキの中の麦酒が波打つ。
周囲の客たちが一瞬こちらを見たが、すぐに自分たちの会話に戻っていった。
「それじゃあ結成記念に、過去は忘れて飲み食いしましょうよ!」
ブルが大きな手を叩いて提案すると、三人は意気投合した。
そこに絶妙のタイミングで、羊の女将が料理と酒のお代わりを抱えてやってきた。
「はいはい、お疲れさま。今夜は特別にサービスよ」
女将の優しい笑顔に迎えられ、三人は大いに飲み食いを始めた。
麦酒のジョッキは次々と空になり、肉料理や野菜料理が並ぶテーブルを囲んで、夜は更けていく――。
そして酒が進むにつれて、それぞれの愚痴大会が始まったのである。
この世界の獣人はよくある人間ベースの萌え系獣人ではなく、獣ベースの二本足動物獣人です。




