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グルメ猫ファンタジー  作者: 万年亀
第六話 迷いの森の果実狩り

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59/60

ヒュドラとの戦い

ちょっと長め。

ユグドの樹の群生地に、緊迫した空気が張り詰めていた。


戦いは既に始まっている。


スフィアが蒼い軌跡を描いて側面から駆け込み、ブルが正面から重い斧を振りかぶる。

だが、ヒュドラの五つの頭はひとつの意志で統率されているかのような連携だ。


二つの頭がブルの重い一撃を牙で受け止め、残る三つの頭がスフィアを正確に迎撃する。

純白の剣が鱗を切り裂こうとするが、即座に別の頭が割り込んできてその軌道を逸らす。


五つの頭を持つ巨大な蛇のごとき毒竜――ヒュドラ。

その巨体はユグドの樹の幹にも匹敵する太さを持ち、暗緑色の湿った鱗が発光する植物の光を浴びて鈍く輝いている。

五本の長い首が、それぞれ独立した意思を持つかのように不気味にうねり、爬虫類特有の冷ややかな瞳が侵入者二人を正確に見据えていた。


「シュルルルル……」


五つの喉から同時に発せられる低い唸り声は、それ自体が魔力を含んでいるかのように空気を震わせる。

その威圧感は、先日遭遇したリヴァイアサンに勝るとも劣らない。


ブルが交戦しながら漆黒の兜の奥から尋ねる。


「兄さん、全部の頭が連携してきてるけど、どう攻める?」


「わからん。とりあえず斬りに行ってから考える」


スフィアの答えはいつも通り、実にシンプルだ。

彼は己の愛剣たる純白の剣を正眼に構える。


「あの二人、良い動きをしているけど……流石にヒュドラ相手はきついかな?」


ルミナは、どこか楽しむような口調で戦況を分析している。

メリアとルミナがいるのは後方、森の端に確保した荷物置き場の近く。

そこが戦わない、あるいは戦えない二人の観戦場所となった。


メリアもまた、緊迫した面持ちで二人を見守る。


「あの連携を崩せる何かがあれば良いんですが……」


スフィアはフェイントを織り交ぜながらヒュドラに肉薄し、純白の剣を振るう。


しかし、スフィアの剣は甲高い音を立てて弾かれた。

強靭な鱗の硬さに加え、弾かれた隙に三つの頭から繰り出される連続攻撃の衝撃を支えきれず、スフィアの体勢が大きく崩れる。


「くそっ!」


その隙を、ヒュドラは見逃さなかった。


五つの頭のうち、最も中央に位置する一体が鎌首をもたげたかと思うと、その巨大な顎をカッと開く。

喉の奥が不気味な紫色に輝き――。


ゴバァッ!


致死性の猛毒を含んだ紫色の毒液が、体勢を崩したスフィアへと殺到した。


「あ。不味いねアレは」


ルミナが冷静に呟く。

あんな猛毒を浴びれば、いかなる鎧を着ていようと無事では済まない。


だが――。


「いえ、大丈夫ですよ」


メリアは、なぜか確信に満ちた声で答えた。


ジュワアアアアアアッ!


猛毒液がスフィアの身体に直撃する。

紫色の液体が蒼い鎧に触れた瞬間、凄まじい蒸発音と共に白煙が上がった。

しかし、起こったのはそれだけだった。


毒液は鎧、あるいは身体に触れそうになった瞬間から無害な真水へと浄化されていく。

更にスフィアの身体は毒に焼かれるどころか、その真水に濡れてすらいなかった。


「びっくりしたじゃねーかコンニャロー!」


スフィアは悪態をつくと、今度は自ら次の毒液の前に躍り出た。

ヒュドラが残りの毒液をブルに向かって吐きかけようとしたのを察知し、ブルの巨体を庇うように盾となったのだ。


紫色の奔流が、スフィアの小さな身体に降り注ぐ。

しかし、その全てがスフィアに触れた瞬間に浄化され、清らかな水となって地面に流れ落ちていく。

スフィアは一歩も引かず、その猛毒のシャワーを平然と受け止めていた。


「おや。あれは?」


ルミナが興味深そうに目を細め、メリアはどこか誇らしげに胸を張った。


「伊達に資金をメチャクチャ注ぎ込んでませんよ」


スフィアの鎧は、商業連合で入手したリヴァイアサンの素材を惜しみなく使って作らせた特注品。

その中核を成すのはリヴァイアサン由来となる、水属性の加護との強力な親和性。


「有害な液体を無害な真水に『浄化する加護』、水に濡れなくなる『濡れずの加護』。今は使う場面ではなさそうですが他にもオンオフ切り替え可能な『水上歩行』、水中でも呼吸ができる『水中呼吸』、水中での動きを補佐し視界をクリアにする『水中動作の加護』など、水に関するありとあらゆる加護をこれでもかと詰め込んであります」


「へえ、現代の魔法も多彩になったもんだ」


ルミナは素直に感心する。


「スフィアさんは大の水嫌いなんで、逆に水があっても自在に動けるような加護が中心ですね」


「とはいえ万能ではないです」とメリアは付け加える。


「有毒な液体や霧状のものは『水』として判定されて浄化できますが、気体……ガス状の毒などは加護の範疇外ですし」


「ああ……霧や液体は『水』で通るけどガスは『水』じゃないからか。流石に毒全部をフォローはできないと」


「あと、牙で噛みつかれて体内に直接毒を流し込まれてもアウトですね」


「へえ……」


ルミナは納得したように頷くと、ふと何かを思い出したように悪戯っぽく笑った。


「ときに、ふと思ったのだけど」


「はい?」


「それ着てたら、森でウルスの実にかぶれることはなかったんじゃないかい」


「…………それは全くその通りで……お恥ずかしい」


メリアの顔が赤くなる。


あの時は、スフィアが「デビュー戦でもないのにとっておきの鎧は着たくない」という、少年の魂としか言いようのない理由で鎧の装着を拒否した結果だった。

まさかあんな形で裏目に出るとは、メリアも予想していなかったのだ。

森では何が起こるかわからないですね。


「ま、ともあれ……さて、あの二人はヒュドラをどう攻略するか」


ルミナが観戦モードに戻る。

毒液が効かないと悟ったヒュドラは、再び五つの頭による物理的な連携攻撃に移っていた。

ブルが重い一撃で牽制し、スフィアがその隙を突いて斬り込むが、やはり連携に阻まれて決定打を与えられない。


「スフィアさん! ニャルティメットなんちゃらで一刀両断できませんか!」


メリアが後方から叫ぶ。


「できるけどよ!」


スフィアが攻撃を避けながら叫び返した。


「あれ撃ったらユグドの樹と一緒にヒュドラの後ろの森も全部吹っ飛んじまうぞ! 加減できねえんだよアレは!」


「それはやめて!」


ルミナの素早いツッコミが入る。

流石にそれは森に住むものとしては看過できない。


というか、ユグドの樹が吹き飛ぶ時点でアウトだ。

そういえば、スフィアはリヴァイアサンとの戦いまで例の必殺剣を使おうとはしなかった。


ワイバーン、黒鉄牛、群牙猪、そして今回のヒュドラ。

いずれも使えば周囲に被害が出そうな場所とタイミングだった。

あの必殺剣は、なまじ威力がありすぎるせいで使う場面が限られてしまうのだ。

敵を倒しても周囲に被害が出すぎてしまう。


もちろん使うまでもなかった時もあるが、何よりもリヴァイアサンの時は周囲は海で、被害の出る環境ではなかったからこそ使ったのだろう。


「じゃあダメかあ」


メリアがあっさり諦めた、その時。


「兄さん! 僕が一発かます!」


ブルが叫んだ。

漆黒の兜の奥で、その瞳が覚悟を決めた光を放つ。


流石に長い付き合いだ。

スフィアは、その一言だけで弟分の戦法を把握する。


「よし、わかった! やれ!」


ブルが動く。

彼は防御を捨て、一直線にヒュドラの胴体へと突進する。

三つの頭が迎撃しようと迫るが、それをアダマンタイトの鎧で強引に弾き飛ばす。


ドンドン! と強く足を踏み鳴らし、咆哮を上げる。


「モオオオオオオオッ!!!」


恐怖を振り払う儀式。

彼はその持てる全ての力を右手の金属棍棒に込め、五本の首の中枢たるヒュドラの胴体へと叩き込んだ。


ドゴオオオオオオン!!!


大地が揺れるほどの凄まじい一撃。

さしものヒュドラも、その衝撃に耐えきれない。


五つの頭すべての動きが一瞬、確かに止まった。

胴体という中枢を強打され、神経が麻痺したかのように硬直する。


「もらった! 『対獣解体術』」


スフィアはその好機を見逃さなかった。

硬直したヒュドラの懐に飛び込み、純白の剣を閃かせる。

狙うは、最も近い位置にあった頭の首元。


ズバァッ!


「『切り落とし』」


確かな手応えと共に、一つの頭部が根元から斬り落とされ、宙を舞った。


「よし!」


スフィアが勝利を確信した、その瞬間。


斬り落とされた首の断面が、不気味に蠢いた。

断面の肉がみるみるうちに盛り上がり、スフィアに斬り落とされて地面に落ちた首は焼け焦げたように朽ちて塵となる。


そして、その傷口の断面から真新しい頭部が再生された。

斬り落とされた事実など、まるでなかったかのように。


「はぁ!?」


「んなにィ!?」


ブルとスフィアが、信じられない光景に動きを止める。

その致命的な隙をヒュドラは見逃さない。


再生を終えたばかりの頭部ではなく、背後から伸びてきた強靭な「尻尾」が硬直するスフィアを横薙ぎに強打した。


「ギニャッ……!」


ドガァッ!と蒼鱗の鎧が凄まじい音を立てて軋む。

スフィアの小さな身体はまるで石ころのように弾き飛ばされ、後方でメリアたちが見守る荷物置き場へと一直線に突っ込んだ。


山菜の入った籠や、冒険道具の入った袋が宙を舞う。

スフィアは荷物の山に叩きつけられ、そのまま動かなくなった。


「なんですかあの再生能力!?」


メリアが悲鳴を上げる。


「あれがヒュドラだ」


ルミナの声は、変わらず冷静だった。


「全部の頭を斬り落とせば勝てるが、見ての通り再生速度が尋常じゃない。一本一本斬り落としていては勝てないね」


「人が勝てる生き物なんですか? アレ」


「勝った人間はいるよ? 音に聞こえし勇者なんかは、斬り落とした後の傷口を火で焼いて塞いだとか」


「焼いて塞ぐって……こんなところに火なんてないじゃないですか」


メリアが絶望的な声を上げるが、ルミナはどこまでも他人事だ。


「まあなんとかするんだね」


メリアはむむむ、と現状を打破するために考え込む。

こういう頭脳労働は自分の役割だと理解しているがゆえに。


「焼いて塞ぐ……焼いて……傷口を、塞ぐ……いや、まさか」


メリアの脳裏に、ある可能性が閃いた。

その時、ブルの必死な声が響く。


「メリアさん! 兄さんを! 多分気絶してる!」


ブルはスフィアを失い、一人で五つの頭を相手に必死の防戦を繰り広げていた。

アダマンタイトの鎧は頑丈だが、長くは持たないだろう。


「急いで!」


「スフィアさん! スフィアさん!」


メリアは慌てて荷物の山に駆け寄る。

スフィアは蒼い鎧のまま、荷物に埋もれるようにして気絶していた。


「スフィアさん! 起きてください!」


メリアが必死に鎧を揺さぶる。


「ん……お……」


衝撃で兜が外れ、スフィアの顔が露わになる。

彼はゆっくりと目を開けた。


「あの野郎、やりやがったな……」


まだ意識が朦朧としているようだ。

彼が身を起こそうと荷物の中に手をついた時、その手にゴツリとした何かの感触が触れた。


「ん、これは」


これは、確かあの因縁の――。


「スフィアさん!」


メリアの切羽詰まった声が飛び、スフィアの意識がそちらに向く。


「一か八か、危険を承知で試して欲しいんですけど……!」


「?」


「早く来てえええええ!!」


ブルの悲鳴が、再び響く。

いい加減そろそろブルだけでは凌ぎきれないようだ。


「というわけで、これを持って行ってください!」


メリアは荷物袋から瓶を取り出し、スフィアに握らせた。

スフィアは、メリアの説明を聞いて瓶を強く握りしめると不敵に笑う。


「よし、わかった」


スフィアは瓶を握りしめたまま起き上がり、もう片方の手で荷物袋から半分顔を出した因縁の『それ』を掴み出す。


「そんじゃ……反撃開始といこうじゃねえか!!」


声と同時にスフィアが荷物の山から飛び出す。

彼は手にした因縁の『それ』を、ヒュドラに向かって全力で投げつけた。


「ブル! 避けろ!」


「え!?」


ブルは慌ててその場から飛び退く。

ヒュドラは突然飛んできた物体を脅威とも思わず、五つの頭のうちの一つで、これ見よがしに牙で受け止め、噛み砕いた。


「あっ」


ルミナが小さく声を漏らした。


「あっ」


ブルもまた、その意味を理解して声を漏らす。


「……ウルスの実?」


メリアが、ぽつりと呟いた。


――ウルスの実。


表面は硬質な殻に覆われており、実の内部に溜まった粘り気のある果汁は木製品の艶出しに使われる。


そして――。


食べたら口の中がかぶれて粘膜が腫れ上がり、大惨事になる。


「ギシャアアアアアアアアアアアッ!?」


ヒュドラの絶叫が森に響き渡った。


ウルスの実を噛み砕いた頭部が口内を抑えるように地面に顔を擦り付け、猛烈な勢いで暴れまわる。

口の粘膜が瞬時に腫れあがり、灼けるような耐え難い痒みが襲い掛かったのだ。


それだけではない。

ヒュドラの五つの頭は、感覚を共有している。

一つの頭を襲った大惨事は、即座に他の四つの頭にも伝播した。


「「「「「ギャアアアアアアッ!」」」」」


他の四つの頭もまた、別の口の中にある痒みと腫れ上がった感覚にパニックを起こし、のたうち回る。

連携などあったものではない。

ただ苦痛に身をよじるだけの、巨大な的がそこにあった。


ブルが、そのあまりの惨状にドン引きする。


「えげつなっ」


「あのかゆみは俺が一番身をもって知ってるからな。今だ!」


スフィアが叫ぶ。

ブルは暴れまわるヒュドラに再び突進すると、苦悶する頭の一つを棍棒で地面に叩きつけ、手斧で押さえつけて完全に固定した。


そこへスフィアが飛び込み、純白の剣で首の根元を斬り捨てる。


「もう一回『切り落とし』!」


ズバッ!


二つ目の頭が斬り飛ばされる。

傷口の断面から、先ほどと同じように新しい頭が再生しようと肉が蠢き始めた。


「くらえ!」


その瞬間、スフィアは即座にその中身――メリアが用意した回復薬を、ヒュドラの傷口にぶちまけた。


――森の中の会話がスフィアの脳裏に蘇る。


『ちなみにどのくらいの回復薬?』


『そう高くはないですよ。せいぜいちょっとした切り傷や打ち身くらいならすぐ治って傷口が塞がる程度の、一般的なものです』


ヒュドラの傷口に、安物の回復薬が染み渡る。

すると、再生しようとしていた肉の蠢きがぴたりと止まった。

そして、まるでただの切り傷が治るかのように傷口に薄い皮が張り、みるみるうちに塞がっていく。


再生は――しない。

ただ、傷口が塞がって治っただけだ。


「再生しねえぞメリア!」


「賭けでしたが上手くいってよかったです!」


メリアがガッツポーズを取る。


「ルミナさんのお話では『焼いて塞いだ』とありました! つまり重要なのは『焼く』ことではなく、再生する前に傷口を『塞ぐ』ことだと踏んだんですが、当たりましたね!」


なまじ安物の回復薬であったことが幸いした。

この程度の回復薬では頭部が再生することはなく、傷口がただ塞がるだけで終わる。

そして、塞がった傷口からはもう頭部が再生することはない。


だが、ヒュドラもいつまでも暴れまわっているわけではない。

その驚異的な再生力は、ウルスの実の毒性に対しても有効だった。

口内の腫れは既に治まり始め、今しがた斬り落とされた頭部を除く四つの頭でスフィアたちを憎々し気に睨みつける。


しかし、次の瞬間。

ヒュドラの残る四つの頭部全てが、驚愕と絶望に凍り付いた。


「ヒュ~ドラくぅ~ん。あっそび~ましょ~」


「ヘイヘイ、ヒュドラくんビビってる~」


――森の中でスフィアは言った。


『みっつめ、いくぞー』


そう、彼らはウルスの実を三つ採取し、所持していたのだ。

一つは噛み砕かれ、残りの二つは――。


メリアは顔を引きつらせていた。

ルミナもまた、呆れたように二人を――特に純白の剣を見ている。


スフィアとブルは残りの二つのウルスの実を割り、中のネバネバとした果汁を自分たちの武器に余すところなくべっとりと塗り付けていた。


「うわあ」


「武器にあんなにべっとり……」


スフィアが、ウルスの果汁でネトネトしている純白の剣を構えて言う。


「これで思いっきり斬りつけたらよう。さぞかし傷口はかゆかろうなあ……!」


ブルもまた、果汁でべっとりとした手斧と棍棒を構える。


「口で受け止めてもいいよ。また口の中が大惨事になるだろうけどね……!」


ヒュドラの再生力をもってすれば、ウルスの実のかぶれなど、しばらくすれば治まるだろう。


だが――。


すぐに治ることと、その間、耐え難い痒みに耐えきれるかどうかは全く別の話である。


ヒュドラは、威嚇とも恐怖ともつかぬ、甲高い鳴き声を上げる。


こうして、複数の頭と不死身に近い再生力を持つ毒竜ヒュドラは、猫獣人の悪知恵とミノタウロスの怪力、そして元商家の娘の機転によって追い詰められ、討伐されたのであった――。

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