森の隠者ルミナ
花畑の幻想的な美しさに背を向ける形で、一行は再び森の奥深くへと足を踏み入れてゆく。
花の精霊と名乗ったその神秘的な女性は、先ほどまでの不可思議な雰囲気とは打って変わって、実に気さくな様子だ。
そしてメリアは歩きながら、感嘆と困惑の入り混じった声をあげた。
「えー、じゃあここで暮らしてるんですか」
「そうだよ。ここは外の世界よりも魔力が強くてね、私にとってはとても落ち着くのさ。それに森の恵みも豊富だし、暮らすのに意外と不便はないよ」
花の精霊を自称した彼女の名はルミナ。
この森で一人静かに暮らす魔術師なのだそうだ。
三人はこの森を訪れた実に稀有な客として、彼女の住処へと招待を受けることになったのである。
スフィアが木の根をひょいと飛び越えながら、素直な感想を口にする。
「でもここって村の連中も近寄らない奥地だろ? そんなとこで暮らすなんて変わってるよなあ」
「ははは。隠遁する魔術師なんてものは、いつの時代でも人里離れた場所で暮らしているものさ」
ルミナは楽しそうに笑い、ブルが村で聞いた噂についておずおずと尋ねる。
「ここに来ようとすると入り口に戻されるって聞いたんですけど……」
「ふうん? まあここまでの道は分かりにくいからね。獣道も多いし、似たような景色が続くだろう。さんざん迷った挙句、自分がどこにいるか分からなくなって偶然元の場所に戻ったとか、そういう話じゃないかい?」
「やはりそうなんでしょうかねえ」
ルミナの説明に、メリアも納得したように頷く。
『迷いの森』の伝説も、紐解けば案外単純な理由なのかもしれない。
その時、一行の後ろを歩いていたスフィアが不意に足を止め、苦しげな声を漏らした。
背中がむずがゆいのか身体をよじり、近くの木の幹にゴシゴシと背中を擦り付けようとしているようだ。
ルミナがその奇妙な動きに気づいて足を止め、スフィアに声をかける。
「おや。どうかしたかい猫くん」
「いやあ……さっき思いっきりウルスの実を背中に被っちゃってさあ。なんか、またかゆくなってきた……」
「おっと、それは大変だ。よかったら診ようか」
「できるんですか?」
メリアが驚いて聞き返し、ルミナは自信ありげに微笑んだ。
「こう見えて回復魔法も使えるからね。任せてほしい」
「へー。よかったね兄さん」
「魔法とかよくわかんねえけどとにかく頼む! 奥地に来てから余計にかゆくて仕方ねえ!」
スフィアは藁にもすがる思いでルミナに駆け寄る。
よっぽど背中が痒いらしい。
「どれどれ」
ルミナはスフィアの前にしゃがみ込むと、かぶれの炎症を直接確認するために彼の背中の毛皮を優しくかき分けた。
「なるほど。森の結界に変な干渉を……。それでここに……」
ぽつりと呟いたその時、彼女の澄んだ瞳の奥にほんの一瞬、不可解なほど深い光が宿ったが、しかしすぐに穏やかな表情に戻る。
ルミナの手のひらからは優しい淡い緑色の光が発され、彼女の手がスフィアの背中、痒みの中心にそっと触れた。
そして光を毛皮の奥へと染み込ませるかのように、すっとひと撫でする。
その瞬間、スフィアの強張っていた体が、ふっと弛緩した。
まるで痒みの素が剥がれるかのように、背中の灼けるような痒みが嘘のように引いていく。
「お?」
「どうだろう。もう痒くないと思うんだけど」
スフィアは信じられないといった表情で、何度か体を動かし、肩を回し、背中に意識を集中させた。
しかし、あれほど執拗に彼を苦しめていた痒みは完全に消え去っている。
「かゆくねえ! さんきゅな!」
スフィアは満面の笑みでルミナを見上げ、素直に感謝の言葉を口にした。
あんまり嬉しいのか尻尾がぴこぴこと揺れている。
それを見てルミナは微笑んだ。
「それはよかった。ああ、ウルスの汁による炎症は綺麗に治っているようだから、もう気にする必要はないと思うよ」
「おー!」
その言葉にスフィアはさらに喜び、メリアはルミナの魔術の腕前に深く感心する。
「やっぱり本職の魔術師の方は違いますねえ……さっきの回復薬では気休めにしかならなかったのに」
「よかったね兄さん」
「おう!」
背中の不快感から完全に解放され、スフィアの機嫌は最高潮に達しているようだ。
その小さな身体で、嬉しさのあまりぴょんぴょんと小さく跳ねている。
「さて、私の家はこの先だ。良ければ食事でもしながらここに来た理由とか、君たちの旅の話を聞かせておくれ」
ルミナが立ち上がり、森のさらに奥を指差すと同時。
その言葉を聞いたスフィアの耳が、ぴくんと大きく立つ。
「マジ!? 飯くれんの! あんた良い人だ!」
「こら、スフィアさん。すみませんね、何から何まで」
食欲丸出しで大喜びするスフィアをメリアが慌ててたしなめ、ルミナに謝罪する。
しかしルミナは全く気にした様子もなく、楽しげに笑うだけだった。
「気にしないでくれ。さっきも言ったがここに来る人は稀でね。私の方こそ、ぜひ歓迎させてほしい」
ルミナは、その神秘的な美貌にそぐわぬ茶目っ気のある仕草で、片目をつむって笑う。
「食事も期待してくれていいよ。美味しいものを振舞おうじゃないか」
森の奥にあるという彼女の住処へと導かれながら、その言葉にスフィアの尻尾が期待でぶんぶんと振れるのを、メリアとブルは苦笑しながら見つめるのだった――。




