依頼内容と確認
村長の声は先ほどまでの悪戯好きな老人のそれとは違い、真面目で静かな響きを帯びていた。
――昔、この村で原因不明の流行り病が発生した。
命に関わるほど凶悪な病ではなかったが感染力が強く、高熱と倦怠感に襲われ、村人の半分近くが床に伏せるという深刻な事態となった。
村人が病に倒れては村の仕事ができなくなる。
畑仕事や家畜の世話など、やるべきことが多いにもかかわらず、だ。
村には薬師もおらず、人々はただ回復を祈り、互いに看病し合うしかない日々が続いていた。
このままでは食い扶持が確保できず、村が滅んでしまう。
そんな絶望的な状況のある日、一人の旅人がふらりとこの村を訪れた。
旅人は病に苦しむ村人たちの様子を見ると多くを語らず、ただ静かに症状を診て回った。
そして何も言わずに、村のすぐそばに広がる森へと一人で入っていったのだ。
その森は古くから『迷いの森』と呼ばれ、村人たちも決して深入りしない――否、できない場所だった。
森の浅い場所ならば薬草なども豊富に採れるが、奥へ進もうとするとまるで意思を持っているかのように道が変化し、どれだけ歩いても不思議な力によっていつの間にか入り口に戻されてしまうのである。
また、奥地には魔獣も時折姿を見せ、深入りしないのが村人の取り決めとなっていた。
村人たちは必死で旅人に忠告する。
「あの森の奥には入ってはいけない」と。
しかし、旅人はただ穏やかに微笑むだけで、忠告を聞き入れずに森の奥へと消えていった。
一日経っても戻らないことから、旅人は魔獣に食われたのではないかと思われた。
しかし更に数日後、旅人は何事もなかったかのように森から現れたのだ。
その手には見たこともない、薄く虹色に煌めく不思議な果実がいくつか握られていた。
旅人は、その果実の種の一つを村の一角に植える。
すると、種はまるで魔法のようにみるみるうちに芽を出し、天に向かってぐんぐんと伸び、瞬く間に天を突くような大きな樹へと成長した。
そしてすぐに、その枝いっぱいに、彼が持ってきたのと同じ不思議な果実を豊かに実らせたのだという。
旅人は村人たちに、静かに告げた。
「この果実を食べ続ければ病は治まるだろう」
そう言い残すと旅人は報酬を求めることもなく、どこへともなく村を去っていった。
村人たちは半信半疑ながらも他に頼るものもなく、藁にもすがる思いで毎日その不思議な果実を食べ続けた。
すると旅人の言葉通り、病の症状は次第に和らぎ始めたのだ。
高熱は下がり、倦怠感は消え、食欲も戻ってきた。
治りが特に遅かった者でも、一週間も経つ頃にはほとんどの者が完全に健康を取り戻し、村に平和が戻ったのだ。
不思議なことに、果実は毎日食べてもなくならないほど豊かに実り続けた。
病が癒えた後も村人たちはその恵みに感謝し、健康のため、あるいは名も知らぬ旅人への感謝の念を込めて、毎日少量の果実を食べることがいつしか村の習慣となった――。
「ということじゃ」
村長は長い話を終え、すっかり冷めてしまった湯呑みのお茶を静かにすすった。
昔話の余韻が家の中を支配し、囲炉裏の火が時折パチリとはぜる音だけが聞こえる。
「不思議な話だね」
「みるみるうちに育つ? そんなことあるのか?」
「あり得ますね。植物の生育系魔法を使えば一瞬で種を樹に変えることは可能かと」
ブルが感嘆の声を漏らし、スフィアの疑問にメリアが答える。
だが――。
「ふーん……でも、その樹は今切り株になってんのか? なんで?」
そう、スフィアが言う通り今その果樹はない。
村長は少し悲しそうにしながら、その理由を語る。
「五年ほど前にの。嵐の日に、近くにあった納屋の屋根が強風で吹き飛んでな。運悪く、それがちょうど樹に当たってしもたんよ。それで幹が真ん中からぼっきりと逝ってしまって……もう助からんかったんで、仕方なく切り倒したんじゃ」
村長は窓の外の切り株の方を見やりながら、まるで親しい者を亡くしたかのように、寂しそうに言った。
メリアが話の流れを整理するように尋ねる。
「それで、五年経って今依頼を出したんですか?」
「うむ。最近、珍しく植物学者さんがこの村を訪れての。ワシが昔の話と、まだ残しておいた切り株を見せたところ、その果実はもしかしたら『ユグドの果実』ではないか、と言われての」
「ユグドの果実?」
スフィアが、聞き慣れない名前に首を傾げる。
「聞いたことがあります。結構貴重な魔法の果実ですね。強い治癒の魔力を宿し、高位の回復薬の原料になりますが、そのまま食べてもそれなりに高い薬効があるとか」
「そうらしいの。わしらもその時初めて、あの果実の本当の名前と効果を知ったんよ」
「売ろうとは思わなかったのか?」
スフィアが、実に彼らしい素朴な疑問を口にした。
それほど貴重な果実なら、売れば村の暮らしも豊かになったはずだ。
「不味くはないが特別美味いもんでもなかったし、まあ流行り病に効く有難い果実なんじゃなあ、としか思ってなくての」
村長は肩をすくめた。
美味くないためわざわざ外へ持ち出そうとも思わず、閉鎖的な環境のため外部に果実の存在が知られなかった。
薬効については村人の無知さによって広まることはなかった、といったところだろう。
「もう五年も前に折れてしまったし、仕方ないと思っていたところ……」
村長が言いかけた時、ブルがはっとしたように口を開いた。
「……そういえば、旅人さんは森の奥から果実を持ってきた、って話だったね」
「なるほど。森の奥に元の果樹がまだあるかもしれないと」
メリアが話の核心、そして依頼の真の目的に気づく。
「そういうことじゃな」
村長が、満足そうに頷いた。
その顔には、ひょっとしたらという期待の色が浮かんでいる。
スフィアが得心がいったように頷く。
「話が見えてきたな。その元の果樹を探して果実を持ってきて欲しいってことか」
「うむ。それが依頼じゃな。持ってきた果実はこちらで栽培できないか、村で試すつもりじゃ。引き受けてくれるかね」
村長の真剣な眼差しが、三人に向けられる。
スフィアがいつもの軽い調子で、しかし確かな力強さを込めて即答した。
「オッケーだ。問題ねえよ」
「持ってくるのは果実でいいんですね? 栽培なら挿し木とかもありますけど」
メリアの言う通り栽培であればいくつか方法があるが、村長は首を横に振った。
「木の枝では本当にユグドの樹か判別できんからなあ。種も同じじゃな。果実なら村の人間はみんな知っとるでの。わかりやすいので果実ごと持ってきてほしい。あと栽培を試すので複数個調達してほしいの」
そして、村長は万一の時の想定を口にする。
「あの樹は年中実を付けていたから、元の樹にも実が無いという事はないと思うが……まあ、もし無かったら仕方ない。その時はひとまず樹の場所だけ教えてくれれば良い」
「了解です」
「んじゃ、これを」
村長はそう言うと懐から一枚の古びた羊皮紙を取り出し、メリアに手渡した。
どうやら村長が書いたらしい、丁寧に書かれた文字が並んでいる。
そこには、いくつかの植物や鉱物の名前が採取場所の簡単な地図と共に記されていた。
ブルが、不思議そうにメモを覗き込む。
「……なにこれ?」
「ついでに取ってきて欲しい素材リスト」
村長は、またしても悪びれる様子もなく言い放った。
この爺さん、やはり一筋縄ではいかない。
「……欲しいのはユグドの果実だよな? ついでのおつかいをやる気はねえぞ」
スフィアの眉間に、再び深い皺が刻まれる。
だが、村長は悪戯好きそうな顔を見せず、真面目な顔のままだ。
「そう言うだろうっちゅうのはわかっとる。まあ聞いてくれ」
村長は三人の反応を予測していたかのように、その理由を説明し始めた。
「実はこの依頼をギルドに出してから、いくつかの冒険者グループが来たんじゃがの」
「そういえば四組が失敗してると」
マチルダが言っていたことを、メリアが思い出す。
「うむ。その最初のグループがな。実に腹立たしいことにユグドの果実を探すふりをして、森の浅いところで一日中サボっておったんじゃよ」
どうやら最初の冒険者たちは素行が悪かったらしい。
「マジかよ」
「それでどうしたんですかそれ」
「幸い、森に詳しい村の猟師が狩りの途中で偶然そいつらを目撃してたんで、こっちは連中がサボっていたのを把握してたんじゃが、そいつらはいけしゃあしゃあと夕方に戻ってきて『一生懸命探したが残念ながら果実はなかった。約束通り報酬をくれ』とか言い出しての」
とんでもないやつらである。
昔話をおとぎ話と決めつけたか、森を潜る労力と危険性を厭ったか。
とにかく、何もせず報酬だけせしめようとしたのだ。
「頭にきて村の若い衆総出で叩き出して、ギルドにもきつく抗議したわい」
「妥当ですね」
「ふてぶてしいね」
メリアとブルもその冒険者たちの悪質さに顔をしかめる。
ギルドに登録している冒険者の中にも、残念ながらそのような不誠実な輩はいくらでも存在するのだ。
「そんなことがあったんで、その後はサボり防止のために森を潜らなければ採れない素材のリストを渡すことにしたんじゃよ。もしユグドの果実が無かった場合は代わりにこのリストにある素材を集めてきてもらって、その素材の買取分を報酬っちゅうことにしてくれ。これなら、ちゃんと森を探索した証拠にもなるじゃろ」
この爺さんは確かに悪戯好きで人を食ったような性格だが、曲がりなりにも一村の長を務めるだけあって思いのほか考えがしっかりしている。
まとめ役としての人の悪意に対する警戒心や、現実的な対策を講じるだけの思慮深さはきちんと持ち合わせているようだ。
それだけの理由があれば、とスフィアも納得したような様子だ。
「そういう事なら仕方ねえな」
「どれだけあればいいですか?」
「量はそこに書いてある通りじゃな。種類は……まあ、サボっていない証明という意味も含めて、できれば八割くらいは持ってきて欲しいかの」
三人は顔を見合わせ、頷いた。
村長の提示した条件は、経緯を考えれば妥当に思える。
むしろ、果実が見つからなかった場合の保険を用意してくれるだけ良心的とさえ言えるかもしれない。
「では頼んだぞい」
村長は満足そうに頷くと、三人を家の外まで丁寧に見送った。
「……これで最初を除けば四組目。これで見つからんかったら諦めようかのう」
三人の姿を見送った後、村長はそう呟いて家の中へ戻っていく。
こうしてユグドの果実探索という、少しばかり曰く付きの依頼を正式に受けたスフィア一行は、村のすぐそばに広がる神秘と謎に満ちた『迷いの森』へと足を踏み入れるのであった――。
悪戯好きであることと優秀な村長であることは別の話。




