レナック王国への帰還
スフィア一行は、その後も商業連合に二週間ほど滞在した。
リヴァイアサン討伐という快挙がもたらした熱狂は、そのまま連日連夜続く盛大な宴へと姿を変え、港はかつてないほどの活気に満ち溢れていた。
魚を輸出するために発展していた商業連合が持つ高度な冷凍技術は、この日のためにあったのかもしれない。
巨大なリヴァイアサンの肉は、魔法を使った冷凍技術により少しも鮮度を落とすことなく保存され、訪れる人々を飽きさせないよう日替わりで様々な調理法が考案されては供された。
分厚い腹身を使った豪快なステーキは、宴の主役として常に人々の中心に。
鉄板の上でジュウウウウと音を立てるたびに、魚の上品な脂の香りと獣肉の力強い香りが混じり合い、抗いがたい芳香が立ち上っていた。
背中の赤身を軽く炙り、香味野菜と共に盛り付けられたリヴァイアサンの炙りは、外側の香ばしさと内側のとろけるような生の食感の対比が絶妙だった。
引き締まった尾の身を贅沢に使った握り寿司は、熟練の職人が一貫一貫丁寧に握り、口に含んだ瞬間にシャリと一体となって溶けていく。
骨から時間をかけて煮出した濃厚な出汁で作る潮汁。
黄金色に輝くスープの一滴一滴に、海の覇者の生命力が凝縮されているかのようで。
疲れた体に染み渡るその滋味深い味わいは、宴で疲れた人々の胃を優しく癒した。
分厚い皮は丁寧に湯引きにされ、細切りにして酸味の強いソースで和えられる。
コリコリとした独特の食感は、最高の酒の肴として、酒飲みたちの杯を際限なく空にさせた。
また、リヴァイアサン以外にも豊漁祭で水揚げされた数多の魚たちが、彼らの食卓を彩り続けた。
深い海に棲むという、提灯のような魔力による発光器官を持つ「幻灯魚」の煮付けは、特有の濃厚でとろりとした脂と、匙を入れるだけでほろりと崩れる柔らかな白身が甘辛い煮汁と絡み合う絶品。
剣のように鋭い吻を持つ「剣先烏賊」は、獲れたてでなければ味わえない、水晶のように透き通った身を刺身で味わう。
その驚くべき甘みと、コリコリとしながらも歯切れの良い食感に誰もが驚嘆の声を上げる。
一行は、まさに魚介の天国と化した港で心ゆくまで海の幸を堪能し尽くしたのであった。
そして、夢のように過ぎ去った二週間が終わりを告げ、ついにレナック王国に帰る時が来たのであった。
出航の朝、港には見送りのためにロゼが姿を見せていた。
「世話になったなー」
ここ二週間ばかり、すっかり海の幸を満喫し、心なしか腹回りがふっくらしたように見えるスフィアが満足げに腹をさすりながら言う。
「いえいえ。こちらもだいぶ儲けさせていただきました」
ロゼは人の良い商人の笑みを浮かべてにこやかに答えるが、その視線はちらりと、隣に立つ娘へと向けられる。
「……まあ私以上に儲けた女がそこにいるようですが」
その視線の先で、メリアは商業連合が発行する銀行の手帳をうっとりと眺めていた。
時折そのページを指で優しくなぞり、そこに記された数字を愛おしそうに見つめては、怪しい笑みを浮かべている。
「ふふふふふ」
その口元から漏れる笑い声は不審者のそれに近い。
夜道で会ったら通報されそうな笑みだ。
この女、超キモい。
「ここ数日あの様子だよね」
「いつにも増して不審者丸出しだな」
ブルが呆れたように言い、スフィアも同意する。
「アホみたいに儲けやがって……」
ロゼは一つ咳払いをすると商人としての顔を父親のそれへと切り替え、真剣な眼差しで娘に向き直った。
「……んで、メリアよ。お前帰る気はねえのか」
「ん? なんで?」
メリアは手帳から顔を上げ、きょとんとした表情で父親を見返す。
「お前が金稼いでるのは借金返済が目的だろ。こっちの商会が軌道に乗ればそう遠くないうちに返済できるし、今ならお前の稼ぎもある。……ここらで冒険者やめるのも手だと思うんだがね」
冒険者は、当たれば稼げる。
メリアの場合は純粋に冒険者として稼いでいるわけではないが、稼げる冒険者には危険も伴う。
ロゼの言葉には、娘の身を案じる父親としての切実な響きがあった。
ブルは何か言いたげに口を開きかけたが、隣に立つスフィアが、それを無言の手振りで制する。
――これは、親子の話だ。
仲間とはいえ口を挟むべき領域ではない。
メリアは手帳を閉じると、父親の目をまっすぐに見つめ返した。
その瞳には、先ほどまでの金銭への執着とは全く異なる、澄み切った光が宿っている。
「……うん、まあそうなんだけどね。私はまだ当分冒険者やめる気はないよ」
「なんでだ?」
「楽しいからね」
メリアは、ロゼに晴れやかな笑顔で言った。
その笑顔は、かつて商業連合にいた頃の彼女が見せたことのない輝くような笑顔だった。
「スフィアさんやブルさんと色んなとこに行って、色んな冒険して色んなもの食べて……商業連合にいたときより色々知っていくのが楽しい。私の世界が広がってる気がするんだ」
この海上都市で、決められた航路をなぞるように商売をしていた頃とは違う。
毎日が予測不能で、毎日が新しい発見に満ちている。
未知の魔獣、見たこともない景色、そして腹の底から笑い合える仲間たち。
それらすべてが彼女の世界を豊かに彩っていた。
彼女は隣に立つ二人の仲間を誇らしげに見つめる。
「それに、ここで抜けてスフィアさんたちだけにするの心配だもの。すーぐ二人で散財しちゃうだろうし」
「そりゃまったくだ!」
「少しは悪びれようよ兄さん……」
悪びれる様子もなく胸を張るスフィアと、そんな兄貴分に呆れたようにため息をつくブル。
そのいつものやり取りを見て、ロゼもまた深いため息をつきながら頭を掻いた。
「楽しいのかァ……そりゃ止められねえな。俺も楽しいから商売してんだしな」
その言葉には、娘の決意を受け入れる父親としての諦めと、同じ「楽しさ」を知る者としての共感が込められていた。
「そーそ。似たもの親子ってことで」
メリアが悪戯っぽく笑う。
「やれやれ。お前が戻ってくりゃ商会ももっと勢いづくと思ったが無理か」
ロゼは諦めたように笑うと、居住まいを正した。
彼はスフィアとブルに向き直り、もはや商人としてではなく一人の父親として深く、そして丁寧に頭を下げる。
「スフィア様、ブルズウルグス様。メリアを……うちの娘をよろしくお願いします」
「おうよ」
「お世話になるのこっちの気がするけど、はい」
スフィアはぶっきらぼうに、しかし力強く頷き、ブルは恐縮しながらもその想いを確かに受け止める。
やがて、レナック王国行きの定期船の出航を告げる汽笛が港に長く響き渡った。
一行は船に乗り込み、ゆっくりと港を離れていく船の上から遠ざかっていく桟橋に向かって大きく手を振る。
「じゃーねー!お父さん!戻ったら手紙書くねー!」
メリアの明るい声が、カモメの鳴き声に混じって港に響いた。
「そういやピエールどうしたんだ」
「いきなり『新たな風が僕らを呼んでいる!』とか言い出して一昨日先に王国に帰ったよ」
「何言いだしてんだあいつ」
スフィアとブルのそんな会話も徐々に聞こえなくなっていく。
遠ざかる船を見送りながら、ロゼは一人呟いた。
「……商売のノウハウ教えたら俺以上の商人になれそうな気がするんだがなあ……ま、しゃあねえか」
その独り言は、潮風にかき消された。
「支配人! お得意様がいらしております!」
従業員の一人が、慌ただしく彼のもとへ駆けてくる。
いつもの日常が彼を呼び戻しに来た。
「おっと。すぐ行くから応接室に通しておけ。失礼の無いようにな」
「はい!」
ロゼは、海の彼方に小さくなっていく船を最後にもう一度だけ見つめると、静かに呟いた。
「ま、元気でやってりゃいいか」
彼は踵を返し、再び辣腕の商人の顔つきに戻って活気あふれるマーガレット商会へと戻っていく。
その背中には娘が選んだ道を誇らしく思う、一人の父親の姿があった――。
第五話了
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