船上での釣りと魚料理
今日はちょっと長め。
長さがまちまちでごめんなさいね。
一行は広大な海原の上、ピエール号の甲板で釣りを始めていた。
どこまでも続く青い空には白い雲がゆったりと流れ、海鳥が気持ちよさそうに輪を描いて飛んでいる。
波は穏やかで、船は揺りかごのように規則正しく、そして優しく揺れていた。
太陽の光が海面に反射してキラキラと輝いている。
「あ、メリアさんたちの釣竿も魔法国の最新型釣竿なんですね」
アレッタが隣で釣り糸を垂らしながら、明るい声で話しかける。
彼女の視線の先には、スフィアとブルが構える釣竿があった。
それはピエールたちが持っているものと同じ、洗練されたデザインの釣竿だった。
「こっちもそうだが、高級品なのによく手に入れたものだな……」
ゼノも感心したように呟く。
その釣竿は、ただの釣り道具ではない。
大陸の向こう側、魔法国メギストスの最新技術の粋を集めて作られた、まさに最高級品と呼ぶにふさわしい代物。
その素材には軽量でありながら鋼を凌ぐ強度を持つ特殊な魔法合金が用いられ、嘘か真か、海に棲む巨大なクジラすら吊り上げられるという触れ込みの驚異的な耐久性を誇っていた。
釣り糸は物理的な糸ではなく、釣竿に溜め込まれた魔力によってどこまでも伸びる純粋な魔力の糸。
決して切れることがなく、それでいて魚には見えない特殊な波長を放つ。
そして釣り針。
これには魚をおびき出す微弱な誘引の魔法が付与されており、ただ海に垂らしているだけで周囲の魚たちの好奇心を掻き立てるという、至れり尽くせりの機能まで備わっている。
とても凄い。
「ええ。ちょっと伝手で」
メリアは悪戯っぽく微笑みながら答えた。
もちろん、その伝手が実の父親であるロゼであることは言うまでもない。
ピエール一行の釣竿は恐らくピエールの財力と伝手によるものだろう。
流石は貴族、お金持ちである。
「コンパクトになるから携行性もいいんですよねー」
アレッタは楽しそうに笑いながら、竿を軽く振ってみせる。
その言葉通り、この釣竿は魔法によって手のひらサイズにまで縮小することが可能で、冒険者のような旅人にとってはこれ以上ないほど便利な逸品だった。
彼女の隣ではゼノも静かに釣り糸を垂らし、穏やかな海を眺めている。
その少し離れた場所では、ブルが大きな身体を船べりに預け、のんびりと竿を構えていた。
片方の手には、港に来る前に樽ごと買い込んだザワークラウトが入った小皿があり、時折それを美味しそうにつまんでいる。
酸味の効いた発酵キャベツの匂いが、潮風に混じって微かに漂ってきた。
メリア自身は釣りをせず、皆が快適に過ごせるようにと細やかに気を配っていた。
飲み物を用意したり、日差しが強くなれば天幕の角度を調整したりと、その動きは実に手際が良い。
まるでパーティーのホスト役のようだ。
彼女は商業連合出身なため色々な事に気を配れると判断してのことだ。
配慮のできる良い女である。
その時だった。
「うわ、もう釣れた!?」
アレッタの竿が大きくしなり、彼女が驚きの声を上げる。
水面がバシャバシャと音を立て、波間から銀色の魚体がきらめく。
「この時期は本当に魚が多いですからね。爆釣ですよ」
メリアが嬉しそうに微笑む。
アレッタが巧みにリールを巻き上げると、やがて一匹の魚が甲板に釣り上げられた。
体長三十センチほどの手頃な大きさで、鱗が銀色に輝いている。
それを皮切りに、次々と釣果が上がり始めた。
ゼノもすぐに竿をしならせ、アレッタが釣ったものと同種で、一回り大きな個体を釣り上げたのだ。
寡黙な彼の口元が、わずかに満足げに緩んでいる。
次にブルの竿にも強烈な引きが来る。
「おっと、これは大きいぞ」
ブルはザワークラウトの皿を慌てて置くと、両手でしっかりと竿を握りしめる。
竿は大きくしなり、魔力の釣り糸が海中へと強く引き込まれていく。
しかし、ブルの膂力は尋常ではない。
彼は少しも体勢を崩すことなく魚との力比べを始めた。
そして――。
「見て見て、これ凄く大きいよ」
数分の格闘の末に海面に姿を見せたのは、体長一メートルはあろうかという大ぶりの魚。
力強い尾びれが水面を叩き、派手な水しぶきが上がる。
ブルはそれを軽々と甲板に引き上げ、誇らしげに皆に見せた。
その見事な釣果に周囲から感嘆の声が上がる。
そんな中、ピエールの竿にもついにヒットが来た。
「うおおおっ! 来たぞ! 僕の竿にも確かな手応えが!」
ピエールは目を輝かせ、芝居がかった大声で叫ぶ。
彼の構える竿は、ブルの時以上に激しくしなっていた。
「これはきっと大物だぞ! そうに違いない!」
彼は全身を使って竿を操り、海中の魚と格闘する。
その姿は勇敢で、まるで伝説の海竜と戦う英雄のようだ。
周囲のメイドや執事たちも、固唾を飲んで主人の奮闘を見守っている。
そして、長い戦いの末に釣り上げられた魚は――。
「なにこれ?」
アレッタが首を傾げる。
その魚はこれまでの魚とは全く異なる、奇妙な姿をしていたのだ。
全身がまるで金属の鎧を纏ったかのように、分厚く硬質的な鱗で覆われている。
その鱗は鈍い光を放ち、甲板に上がった際にガチャガチャと重々しい音を立てた。
「わからん」
「食べられるのコレ」
ゼノも眉をひそめて奇妙な魚を観察し、ブルが率直な疑問を口にする。
その魚は、どう見ても普通の食用魚には見えなかった。
「あ、これは鎧鯛ですね」
「鎧鯛?」
メリアがこともなげに答え、ブルが聞き返した。
「弱めの魔魚の一種ですよ。その名の通り、鎧のような鱗で身を守っていて、耐久力があります。鱗は素材になるんですが、それよりも魚肉が非常に美味な高級魚ですね」
「おお、高級魚!」
「はっはっは! 流石は僕! 良いものを釣ったようだ!」
メリアの説明にアレッタの目が輝き、ピエールは胸を張り、勝ち誇ったように高笑いする。
実際見事な釣果である。
「おめでとうございますピエール様!」
「お見事ですピエール様」
アレッタとゼノ、そして周囲のメイドや執事たちから、一斉に賞賛の拍手が送られる。
その温かい祝福に、ピエールは満足げに頷いた。
「ありがとう! ありがとう! よし、この調子でガンガン釣ろう!」
「はい!」
ピエールの号令に、アレッタとゼノが応じる。
船上は再び活気に満ち、皆が次の獲物を狙って竿を構えた。
「じゃあ私は釣れた魚を厨房に――おや?」
メリアが魚を運ぼうと立ち上がった時、船首の方で釣り糸を垂らすスフィアの姿が目に入った。
その小さな背中は、どこか寂しげで、完全にしょげ返っている。
三角の耳はぺたんと垂れ下がり、自慢の尻尾も力なく甲板にだらりと横たわっていた。
その姿はいじけた子供のようで、正直に言ってちょっと可愛い。
メリアがそっと彼の足元に置かれた桶を覗き込むと、そこには小さな魚ばかりが元気に泳ぎ回っていた。
どれも手のひらに乗るか乗らないかといったサイズで、他のメンバーの釣果と比べるとあまりにも貧弱だ。
「……食べ応えなさそうなのしか釣れねえ……」
スフィアは心の底からがっかりしたような声で呟く。
その金色の瞳には、うっすらと涙さえ浮かんでいるように見える。
「あらら」
メリアは苦笑いを浮かべる。
普段食いしん坊なスフィアが、美味しい魚が釣れずに落ち込んでいる。
その姿はちょっと可愛らしい。
本人に言ったら怒りそうなので口には出さないけども。
「うーん、これはこれで調理すれば食べられそうですけど」
メリアが慰めるように言うと、スフィアはさらにしょんぼりとした。
「気休め言うなよ……こんなんどう食べても腹膨らまねえだろ……」。
その声は本気で落ち込んでおり、聞いているこちらまで切なくなってくるほどだ。
「……じゃあこれも厨房に持っていきますね」
メリアはスフィアの桶をそっと持ち上げる。
「おーう……」
スフィアの力ない返事が、潮風に紛れて消えていった。
――しばらくして、メリアが厨房から戻ってきた。
メリアの押す台車の上には大きな盆があり、そこには先ほど釣り上げた魚たちが、見事な料理となって並んでいる。
「どうぞ。調理してもらいました」
まず、アレッタとゼノが釣った魚は、こんがりと焼き上げられていた。
皮はパリッと香ばしく、黄金色の焼き目が食欲をそそる。
身はふっくらと柔らかく、匙を入れると湯気と共に魚の良い香りが立ち上った。
そして、ブルとピエールの大物と鎧鯛は――。
「こちらは刺身にしていただきました」
大きな皿の上に、芸術品のように美しく盛り付けられた刺身が鎮座していた。
透き通るような白身、ほんのりとピンクがかった赤身、そして鎧鯛の持つ独特の霜降りの入った身。
それぞれが薄く、あるいは厚く引かれ、菊の花や大葉、紅葉の形に飾り切りされた野菜と共に、見事な一皿を構成している。
しかし、その豪華な盛り合わせを前に、アレッタ、ゼノ、ピエールの三人は困惑した表情を浮かべていた。
「ええっと。生の魚の肉があるだけに見えるのだが」
ピエールが首を傾げる。
「魚の生肉はお腹壊すのでは」
アレッタも不安そうに眉をひそめた。
「……生で食べても大丈夫なのか?」
ゼノもまた、疑いの眼差しを刺身に向けている。
内陸での生活が長い彼らにとって、魚を生で食べるという習慣は馴染みがなく、むしろ危険な行為だとさえ思われているのだ。
川魚を生で食べてお腹を壊すという話は、内陸で暮らしていればよく聞く話である。
ローストビーフならば食べたことはある。
だがあれは生に見えて火がきちんと通った料理だ。
明らかに生の刺身とは全く違う。
「ああっと……刺身は抵抗がありますかね」
メリアはしまった、という顔をした。
海に囲まれた商業連合で育った彼女にとって、新鮮な海の魚を生で味わうのはごく当たり前のこと。
その感覚の違いを、うっかり失念してしまっていたのだ。
「じゃあそうですね……魔術師さん、ちょっといいですか」
近くに控えていた中年の魔術師にメリアは声をかける。
「どうしました、お嬢」
メリアが事情を説明すると彼はにこやかに頷き、一計を案じた。
「では少し下がってください」
魔術師はそう言うと、指先を刺身の盛り合わせに向けた。
彼の指先に小さな炎が灯り、それがゆらめきながらゆっくりと刺身の表面を炙っていく。
ジュウッ、という微かな音と共に魚の身から脂が溶け出し、香ばしい匂いがふわりと立ち上った。
魔法の炎は決して身を焼き過ぎることなく、表面だけを絶妙な加減で炙り上げていく。
それを見たメリアはよし、と頷く。
「魚の炙りです。これなら少し抵抗感はないんじゃないでしょうか。魚醤を付けてお召し上がりください」
メリアが説明すると、三人は恐る恐る手を伸ばした。
「ふむ。これならまあ」
ピエールが最初に鎧鯛の一切れを口に運び、その瞬間、彼の目が驚きに見開かれた。
表面は温かく香ばしいのに、中はひんやりとしていて、生の魚の持つ甘みが口いっぱいに広がる。
溶け出した霜降り脂の旨味と、魚醤の持つ深い塩味とコクが絶妙に絡み合い、これまで味わったことのない美味を生み出していた。
「これは美味い!」
「本当、美味しいですね!」
ピエールとアレッタは感動の声を上げ、ゼノもまた、隣の焼き魚と炙りを交互に味わいながら、その味の奥深さに静かに感嘆していた。
「こっちの焼き魚も美味いな」
ブルは魚を食べないため、代わりに魚醤を少しだけ指先につけて舐めてみる。
「この魚醤って野菜にも合うかな?」
「野菜炒めに良いかもしれませんね。戻ったら買っておきましょうか」
「いいねえ」
和やかな会話が弾む中、メリアはスフィアの元へと向かった。
「はい、スフィアさん。スフィアさんの釣った魚ですよ」
彼女が差し出した皿の上には、こんがりと黄金色に揚がった小魚のフライが山盛りになっている。
「内臓処理だけして骨ごと食べられるようにしてます。どうぞ」
スフィアは疑わしげに鼻をひくつかせたが、揚げたての香ばしい匂いに抗うことはできなかったようだ。
一つを手に取り、口に放り込む。
サクッという軽快な音と共に、衣の香ばしさと小魚の持つ凝縮された旨味が口の中に広がった。
骨は柔らかく、全く気にならない。
むしろ、その歯ごたえが心地よいアクセントになっている。
「んめえ!」
スフィアの表情が一瞬で明るくなる。
「釣りしながらつまめるので食べながら釣るといいですよ」
「うん! ありがとな!」
機嫌をすっかり直したスフィアは、フライを次々と口に運びながら、再び釣り糸を垂らし始めた。
その様子を見ていたアレッタが、ふとメリアに尋ねる。
「ちょっといいですかメリアさん。揺れる海の上で揚げ物って危なくないですか」
それはもっともな疑問だった。
煮えたぎる油の入った鍋など、揺れる船上では凶器に等しい。
「ふふふ」
だがメリアは自信ありげに微笑むと、料理を運んできた台車の下から油鍋を取り出してみせる。
中には煮えた油がたっぷりと入っており、ぐつぐつと気泡を立てている。
危なくない? と誰もが思った。
そしてメリアは、こともなげにそれを傾けたのだ。
「危なっ……い?」
アレッタが思わず身構えたが、不思議なことに鍋の中の煮えたぎる油は一滴たりともこぼれ落ちていない。
まるで目に見えない透明な膜にせき止められているかのように、油は鍋の縁でぴたりと静止している。
「え、これどういうことですか」
「これぞ料理人や主婦の味方。『安全油鍋』です!」
「安全油鍋」
メリアは得意げに宣言した。
「ご覧の通り魔力のフィルターでせき止められるので鍋からこぼれる心配はありません。逆さにしても大丈夫!」
「おおー」
アレッタが感嘆の声を上げる。
「しかもこの鍋の凄さはこれだけではありません。このフィルターは……油煙の油すら浄化して外に出さないんです!」
「なんですって!」
メリアの説明にアレッタの声が裏返った。
「じゃあ壁や天井の油汚れと無縁なんですか!」
「はい! 換気扇などのお手入れ楽々です! しかも!」
メリアはさらに畳みかけるように、鍋の側面についた紋章を強く押す。
すると、鍋の中でグラグラと煮えていた油が、一瞬で透明な熱湯へと変化した。
「鍋に触れた油が水に変化します。あとは捨てて軽く洗うだけ!」
「すご――――い! 面倒な油の処理いらないじゃないですか――――!」
鍋の機能を見たアレッタの興奮は最高潮に達していた。
油汚れの処理はそれほど面倒なものなのだ。
「でしょう!? 凄いでしょう!? マーガレット商会で取り扱ってるので是非どうぞ!」
「絶対買う――――! 神アイテム――――!!」
さり気にメリアは実家の商会を宣伝していた。
この女、商魂たくましいな。
盛り上がる女性二人を、料理をしない男たちはどこか遠い目で見つめている。
「凄いのかねアレは」
「さあ……僕料理しないから……」
ピエールが首を傾げ、ブルも困ったように答えた。
「魚うめえ」
スフィアはフライを頬張りながら、全く別のことに集中している。
「料理はアレッタがやっていたからな……俺も料理を覚えるべきか……」
ゼノだけが、少し真剣な表情で自己の在り方について省みている。
「刺身うめえ」
スフィアは省みるどころか食べることにしか関心がない。
女性陣の盛り上がりにすら興味はないようだ。
もうちょっと他のことにも関心持ちなさいよ。
こうして、最新魔道具のプレゼンテーションで盛り上がる女性陣と、その価値が全く分からない男性陣という温度差の中、ピエール号での楽しい釣りは続いていくのであった――。
せっかくのファンタジーなので現実では実現不可能な道具があったら面白いですよね。




