ワイバーン肉実食
「よし、こんなもんか」
スフィアは満足げに肉を見下ろす。
メリアの案内でやってきた川のほとりには、すっかり肉塊となったワイバーンが整然と並んでいた。
赤身の部分、脂の乗った部位、筋の多い箇所など、用途別に丁寧に分けられている。その手際の良さは、まさに熟練の料理人のようだ。
一方で鱗や爪、骨、翼膜などの食べられない部分は別の場所に分けて山積みにされている。
陽光を受けて鈍く光る鱗は、まるで宝石のように美しく輝いていた。
ワイバーンの爪は短剣ほどもある大きさで、骨は武器の材料になりそうなほど頑丈そうだ。
メリアはその素材の山をじっと見つめていた。
(あれ売ったらいくらになるんだろうなあ……)
商家出身の彼女には、それらの素材の価値がある程度想像がつく。
ワイバーンの鱗は軽量で丈夫な鎧の材料として重宝される。
爪は装飾品や薬の材料に、骨は武器や道具の素材として高値で取引される。
全部合わせれば、かなりの金額になるはずだ。
実家の借金返済のことを考えると、思わずよだれを垂らしそうになる。
「何見てんだ?」
スフィアが不思議そうに首を傾げた。
三角の耳がくるくると動く。
「あ、いえ、何でもないです!」
メリアは慌てて手をぶんぶんと振った。
あの素材の山は、ワイバーンを仕留めたスフィアのものだということはよくわかっている。
いくら借金があるからといって恩人の獲物に色気を出すわけにはいかない。
「そうか?」
スフィアは首をかしげたが、特に深く追求はしなかった。
「それより川の場所教えてもらった礼に、いいもん食わせてやる」
そう言って彼が取り出したのは――。
「ワイバーンの内臓だ!」
スフィアは心底嬉しそうに、手のひらサイズの臓器を掲げた。
「ええ、内臓……?」
メリアの顔が引きつった。
正直なところ、内臓にはあまり良い印象がない。
というか、食べ物なのだろうかそれは。
なんというか気色が悪い。
「気持ちはわかるが、ワイバーンの内臓めっちゃ美味いぞ! 足が早いから現地でしか食えないんだ!」
スフィアは楽しそうに肉を焼く準備を始めた。
まず川岸にあった適当な大きさの石を円状に積み上げていく。
高さは膝ほどまであり、中央に火を起こせるような構造になっている。
その手際の良さから、野外での調理に慣れ親しんでいることがよくわかった。
石の簡易かまどが完成すると、今度は腰の袋から布でできた巻物のようなものを取り出した。
「それは何ですか?」
メリアが興味深そうに尋ねる。
「鉄のスクロールだ。刻印に触れると鉄になるんで、鉄板にしたこいつをここに乗せると……」
スフィアはそう説明しながら、布の巻物を広げた。
そして刻印に触れると、瞬時に柔らかな布が硬質な鉄板へと変化する。
これを積み上げた石の上に載せれば立派な鉄板焼きの準備が整った。
「すごい! 野外生活に便利ですねえ」
メリアは目を輝かせて感心した。
冒険者にとって荷物の軽量化は重要な課題だ。
重い鉄板を持ち歩く代わりに軽い布一枚で済むのなら、これほど便利なことはない。
「だろう?」
スフィアは得意げに胸を張った。
小さな身体を精一杯に伸ばして威張っている姿は、どこか愛らしくもある。
さっそく、スフィアは腰の袋から小さな革袋を取り出した。
中には上質な塩が入っているらしく、さらさらとした白い粒が内臓肉にまんべんなく振りかけられていく。
塩加減も手慣れたもので、量を測ることもなく感覚だけで適量を判断している。
「おっと、火を起こさねえとな」
川岸で集めた乾いた小枝と枯れ葉を石のかまどの中央に積み上げると、スフィアは火打ち石で器用に火を起こした。
小さな炎がちろちろと燃え上がり、やがて薪に燃え移っていく。
炎の熱で鉄板がじんわりと温まっていくのが見えた。
「よし、頃合いだ」
鉄板の温度を手をかざして確認すると、スフィアは塩を振った内臓肉を載せた。
ジュウゥゥゥ――。
心地よい焼ける音が響く。
内臓肉の表面がみるみる色を変えて、香ばしい匂いが立ち上った。
スフィアは小さなナイフで肉をひっくり返しながら、丁寧に焼き色をつけていく。
肉汁がぷつぷつと泡立ち、塩と混ざり合って何とも食欲をそそる香りを放っている。
「はい、できたぞ」
きれいな焼き色のついた内臓肉を、スフィアはメリアに差し出した。
メリアは受け取った肉を恐る恐る眺める。
確かに見た目は普通の肉料理と変わらない。
むしろ丁寧に焼かれた表面は美味しそうな茶色に色づいている。
しかし、やはり内臓と聞くとどうしても躊躇してしまう。
「どうした?」
「いえ、その……内臓を食べる習慣がなくて……」
メリアは正直に打ち明けた。
「水場で洗ったから汚くないし、血の臭いもしないはずだぞ!」
スフィアは別の内臓肉を早速口に放り込みながら説明した。
小さな口でもぐもぐと咀嚼している。
その表情は心から美味しそうで、全く嫌悪感など感じていない様子だ。
「ほら、血の臭いどころか、むしろ甘い香りがするだろ?」
言われてみれば確かに、手に持った肉からは獣臭さではなく、どこか甘やかな肉の香りが漂ってくる。
川の清水でしっかりと洗浄されているためか、内臓特有の臭みは全く感じられない。
意を決して、メリアは小さく一口かじってみる。
――瞬間、目を見開いた。
「うわっ! 美味しい!」
思わず声を上げてしまった。
口の中に広がったのは、予想をはるかに上回る濃厚な旨味。
外側の香ばしい焼き目と、中身のしっとりとした食感。
噛むほどに肉汁が溢れ出して塩の効いた味付けが絶妙なアクセントとなっている。
「だろ? ワイバーンの内臓は脂が上品でクセがないんだ。特にこの部位は甘みが強くて最高なんだぜ」
スフィアは嬉しそうに説明しながら次の内臓肉を鉄板に載せた。
再びジュウジュウと音を立てて焼ける音が響く。
「もう一個!」
メリアは慌てて手を伸ばした。最初の一口で完全に虜になってしまった。
「おお、気に入ったか。ワイバーンは亜竜って言って、竜種の中じゃ一番格下なんだが、それでもこの美味さだからな」
スフィアは満足そうに笑いながら次々と内臓肉を焼いていく。
ハツを鉄板に載せると、表面がみるみる引き締まって薄っすらと汗をかいたような艶が生まれる。
「竜種……というと」
「ああ、有名な魔獣の総称だ。基本的に竜種の肉はどれも美味くて高く売れる。格が高ければ高いほど美味いんだぜ」
ハツを裏返しながら、スフィアは嬉しそうに語る。
焼き面にはしっかりと焼き目がついていた。
「ワイバーンの上だと、より純血に近いドラゴンがいる。そいつらの肉もいつか食えたらなあ……」
スフィアの目が夢見るように遠くを見つめた。
鼻がひくひくと動き、小さく開けた口からはよだれが出そうな表情だ。
「おっとこっちも焼けた。ほら、これも試してみな」
差し出されたハツを口に含むと、メリアは思わず「んんっ!」と声を漏らした。
プリプリとした弾力のある食感が歯に心地よく、噛むたびにじゅわりと肉汁が溢れ出す。
ワイバーンの心臓らしく、野性味あふれる力強い旨味が舌の上で踊るようだ。
「美味しい……これ、心臓ですよね? こんなに柔らかいなんて」
「新鮮だからな。それに下処理をちゃんとすれば、心臓は最高の部位の一つなんだ」
続いてスフィアが取り出したのは濃い赤色をしたレバー。
鉄板に載せると先ほどまでとは違う芳醇な香りが立ち上る。
「レバーは火を通しすぎると固くなるから、中がちょっとピンク色になるくらいがベストなんだ」
スフィアは慎重に焼き加減を調整している。
表面に薄く焼き色がついたところで素早くひっくり返し、もう片面も軽く炙る程度に留めた。
「どうぞ」
「いただきます!」
メリアが一口食べると、今度は全く違う感動が口の中に広がった。
外側はほんのり香ばしく、中はとろけるように滑らか。
濃厚でクリーミーな食感は、まるで上質なチーズのようだ。
そして後からじんわりと広がる鉄分を含んだ深い旨味が何とも言えない満足感をもたらしてくれる。
「うわあ……これ、本当にレバーですか? 全然臭くない!」
「竜種のレバーは特別なんだ。血の巡りが良いから、嫌な臭みが少ないんだぜ」
スフィアも同じレバーを頬張りながら、うっとりとした表情を浮かべている。
次に焼かれたのは腎臓。
独特の形をした臓器は縦に切り込みを入れて開かれ、内側の白い部分が丁寧に取り除かれている。
「腎臓は下処理が肝心だからな。この白い部分を残すと臭みの原因になる」
鉄板で焼かれた腎臓はぷりぷりとした食感でありながら、どこか上品な味わいだ。
噛むと肉汁がじゅわっと溢れ、後味に仄かな甘みが残る。
「これも美味しい! 内臓って、こんなにいろんな味があるんですね」
メリアは目を輝かせながら次々と口に運んでいる。
各部位それぞれが全く違う個性を持っていて、飽きることがない。
「竜種の内臓は特にバリエーション豊富なんだ。魔力を多く含んでるからか、普通の獣とは全然違う」
川のせせらぎを聞きながら二人は夢中になって内臓肉を焼いては食べ、焼いては食べを繰り返していく。
鉄板の上では常に何かが焼かれ、香ばしい匂いが絶えることなく漂っている。
気がつけば、ワイバーンの内臓はほとんど二人の胃袋に収まっていた。
「ふう……食った食った」
スフィアは満足そうに腹を撫でた。
「ありがとうございました! こんなに美味しいものだったなんて……」
メリアも同じように満腹の表情を浮かべている。
内臓に対する偏見は、完全に払拭されていた。
西陽が木々の間から差し込み、川面をきらきらと照らしている。
そろそろ街に戻る時間だろう。
二人は満足感に浸りながら、後片付けを始めた。
スフィアは鉄のスクロールを元の布に戻し、丁寧に巻いて袋にしまう。
「本当にありがとうございました。命を助けていただいた上に、こんなに美味しいものまで……」
メリアは深々と頭を下げた。
「気にすんなよ。楽しく飯を食えたし、お前は俺を馬鹿にしなかったしな。その礼もある」
スフィアは軽く手を振って答えるが、メリアは不思議そうに首を傾げる。
「馬鹿にしなかった、というと?」
「この辺じゃ猫獣人ってのは珍しいからな。このナリだと可愛いとかちんちくりんとか、まともに一個人として扱ってくれねーんだ。お前は俺をそうやって馬鹿にせず、対等に話してくれた。気分良く飯を食えた。その礼だ」
スフィアの表情には、そうした扱いを受けることへの諦めにも似た感情が浮かんでいる。
普段から色々とその外見で苦労しているのだろう。
(命の恩人ってことがなきゃ、似たような反応してたかも……)
メリアは内心でちょっと気まずそうに苦笑した。
確かに最初にスフィアを見た時、その小柄で愛らしい外見に「可愛い」という印象を抱いていたのは事実だ。
「それじゃあ、俺はこれで」
スフィアは大量の肉を見渡した。
用途別に丁寧に分けられたワイバーンの肉塊は、二人では到底食べきれない量が残っている。
赤身、バラ肉、モモ肉など、どれも上質な部位ばかりだ。
これだけあればしばらくは美味しい肉料理を楽しめるだろうし、売り物にもなるだろう。
普通の人間なら数人がかりでも大変な量の肉を、スフィアは小柄な体でひょいひょいと持ち上げ始めた。
まるで重さなど感じていないかのように軽々と肉塊を束ねて背負う準備をしている。
大剣を背中に背負った上で、さらにこれだけの荷物を運ぼうというのだから、その膂力は並外れているとしか言いようがない。
太陽を背に受けて立つ小さな剣士の姿は、確かにどこか格好良く見えた。
「また何かあったら声をかけてくれ。今度は別の肉を食わせてやる」
そう言って颯爽と歩き出そうとして――。
「ちょっと待ってくださいスフィアさん」
メリアの真顔の声に、スフィアの足が止まった。
「あの山は?」
メリアが指差した先には、大きく積み上げられたワイバーンの鱗や爪、骨などの素材の山があった。
陽光を受けて美しく輝いているが、スフィアは完全にそれを無視して立ち去ろうとしていたのだ。
「ん? 食べられねえじゃん」
スフィアは本気で不思議そうな顔をしている。
メリアの声音が少し低くなった。
「あれを何だと認識してますか?」
「生ゴミ」
スフィアはあっけらかんと答えた。
瞬間、メリアの目の奥で何かがキラリと光った。
「スフィアさん、あの鱗は軽量で丈夫な鎧の材料になります。爪は武器や装飾品に加工できますし、骨は武器の柄や道具の材料として重宝されるんです。翼膜だって上質な革製品になりますよ!? 冒険者にとって必需品ばかりじゃないですか!」
メリアは身を乗り出して熱弁を振るう。
商家出身の彼女には、それらの素材がどのような用途に使われ、どれほど需要があるかがよくわかっていた。
スフィアはその宝の山を、あろうことか捨てて行こうというのである。
これは見過ごせない。
「あれが……? マジで?」
スフィアは素材の山を見返したが、まだ半信半疑といった表情だった。
どうやら彼にとって価値があるのは「食べられるかどうか」であり、それ以外の基準は全く持ち合わせていないらしい。
「ここで語っても無駄ですね」
メリアは諦めたような顔をすると、決然とした表情になる。
「街から荷車持ってくるんで、スフィアさんはここにいてくださいね! 勝手にどっか行かないでくださいよ!」
「お、おう」
スフィアに向かってそう叫ぶと、メリアは慌てたように走り去る。
足音が遠ざかっていく。
スフィアは一人残され、去っていくメリアの後ろ姿を呆然と見送った。
「……変なやつだなあ」
小さくつぶやきながら、彼は生ゴミである素材の山を改めて眺めたのだった――。




