辺境の遺跡を潜る王子一行と角笛亭の日常
本日より18時に1日1回更新。
情報量が多くてごめんなさいね。
ついでにそろそろシリアスパートを一通り読み直しておいた方が良いですよ。
石造りの回廊に、獣の唸り声が反響する。
古い石材の継ぎ目から湿った空気が漂い、長い年月を経た遺跡特有の冷たさが肌を刺す。
天井の高い廊下には所々蔦が絡みつき、薄暗い光の中で緑の陰影を作っている。
体長四メートルを超える巨大な熊――レッドホーンベアが、額の朱い角を振り回しながら二人の人影に襲いかかった。
その巨躯が動くたびに石床が軋み、重い足音が遺跡全体に響く。
赤銅色に輝く角は長くそびえ、先端は槍のように鋭く尖っている。
茶色い体毛は逆立ち、その瞳には野生の獰猛さが見える。
「左だ!」
ラファエル王子の鋭い声が遺跡内に響く。
エルセインは素早く左へ身を躍らせ、同時に魔術を発動した。
彼の指先から青白い光が迸り、空気を切り裂くような音とともに風の刃が形成される。
刃は見えない軌跡を描いて巨熊の右脇腹を切り裂き、鮮血が石床に飛び散った。
レッドホーンベアは苦痛に吠えながら振り返る。
その咆哮は遺跡全体を震わせ、天井から細かな石くずがぱらぱらと落ちてきた。
しかしその瞬間、ラファエルが反対側から剣を繰り出していた。
彼の剣は鞘から抜かれると同時に銀色の軌跡を描き、熟練された剣技が巨熊の隙を突く。
「はぁっ!」
気合いとともに放たれた一撃。剣身が熊の左後脚の腱を正確に切断する。
刃が肉を切り裂く鈍い音と、腱が切れる瞬間の微かな弾ける音が重なった。
バランスを崩した巨熊が前のめりに倒れかけた瞬間、エルセインの雷撃魔術が頭部を穿つ。
青白い電光が石造りの空間を一瞬照らし出し、雷鳴が轟く。
巨熊の体毛が逆立ち、筋肉が痙攣するように震えた。
レッドホーンベアは一度大きく震えると、そのまま重い音を立てて石床に崩れ落ちる。
四メートル超の巨躯が倒れる衝撃で、床石にひび割れが走った。
「なかなか大物だったな」
戦闘の緊張が解けて、ラファエルが剣を鞘に収めながら息を整える。
額に浮いた汗を手の甲で拭い、巨熊の巨躯を見下ろした。
その表情には達成感と疲労が混じっている。
「ああ。とはいえここまでたどり着いた我々の敵ではなかったがね」
エルセインも魔術の余韻を収めながら答える。
長い旅路で培われたコンビネーションにより、二人は強大な魔獣であるレッドホーンベアを制していた。
「そうだな。ところでこいつの肉は食べるか?」
これだけの大物なら相当な量の肉が取れるだろう。
ラファエルはそう言いながら巨熊の体を見回し、どの部位が食用に適しているか品定めしている。
すっかりこういう冒険生活に慣れ親しんだようだ。
「そうだね。解体が終わるころには食事の時間になるだろう。さっきの広間で食事休憩としようじゃないか」
エルセインは頷きながら、既に腰の革ベルトから解体用のナイフを取り出していた――。
◆◆◆◆
遺跡の広間に、肉を焼く香ばしい匂いが漂っている。
二人は即席の焚火を囲んで座り、レッドホーンベアの肉を串に刺して炙っていた。
焚火は持参した薪と、廊下で拾い集めた枯れた蔦を燃料としている。
炎は赤々と燃え上がり、肉の表面を焦がしながら中まで熱を通していく。
石造りの天井が高いため、煙は自然に上へと抜けていく。
肉汁が炎に滴り落ちるたびに、ジュッという音とともに香ばしい匂いが立ち上った。
串に刺された肉は親指ほどの厚さに切り分けられており、表面には美しい焼き色が付いている。
中は薄いピンク色で、ちょうど良い焼き加減になっていた。
「エルセインは肉が好きなのか?」
ラファエルが焼けた肉を頬張りながら尋ねる。
熱い肉汁が口の中に広がり、宮廷では味わえない野性味のある味わいが舌を満たす。
レッドホーンベアの肉は思いのほか柔らかく、獣臭さも少ない。
噛むたびに肉の繊維から旨味が溢れ出し、長時間の戦闘で消耗した身体に活力を与えてくれる。
「ああ。好物と言ってもいい。ただ竜の肉は勘弁してほしいな。私も同族を食べる気はないものでね」
エルセインは苦笑いを浮かべながら答えた。
彼も串を手に取り、慎重に肉の温度を確かめてから口に運ぶ。
「それはそうだな。――まさかエルセインが竜、しかも三百年前に勇者アルトリウスと共に旅した純白の竜が人に変身したものとは思わなかったな」
そう言うラファエルの声には驚きよりも納得の色が強い。
ここまでの旅路で感じていた違和感の数々が、全て合点がいったからだ。
「黙っていてすまなかったね。アルトリウスにこの地を任されてから、人に変じられるようになったのはここ百年ほどでね。色々と様子見をしていたのさ」
宮廷魔術師エルセイン。
彼は人間ではなく純白の竜であった事実をラファエルが知ったのは最近だ。
焚火の光が彼の顔を照らす。
三百年生きたという時間の重みが彼の言葉に乗っているかのようだ。
ラファエルが理解を示すように頷く。
「確かに、竜が人の姿をとっていると知られれば不都合もあるか」
人間ではない、それだけで不信感を示す者も宮廷にはいるだろう。
獣人ですら『二本足で歩く獣』と呼ぶ者もいるのだから。
「しかし獣人村を訪れた時、エルセインに竜しかかからぬ奇病『緑石病』が発症したのは驚いたよ」
村を訪れた時、エルセインが突然倒れたのは記憶に新しい。
しかも村の者によって竜にしかかからぬ奇病と判明したという事で更に驚いたのだ。
「手間を掛けさせたね。大森林の奥で君が特効薬を見つけてくれたおかげで長らえている。感謝しているよ。獣人村の者たちにもね」
「ああ。帰りにもう一度寄っていくか」
二人の声にはお互いの友情が。
そして獣人村の者たちに対する親愛の情もまた感じられる。
「旅路に詳しいのも納得したよ。なにしろ本人がアルトリウスとともにこの遺跡に伝説の剣を隠したのだからな」
ラファエルが一番納得したのはそこだ。
エルセインの地理に対する異常なまでの詳しさ、戦闘時の冷静すぎる判断力、そして時折見せる遠い目。
その全てが腑に落ちる。
複雑な山道でも迷うことなく、最短ルートを選んで進んできたのは偶然ではなかったのだ。
「おそらくアルトリウスも予感していたんだろう。邪神竜ヴァルノスがいずれ復活することを。伝説の剣はそのための武器として、目立たぬところに隠していたという事さ」
「王宮では目立ちすぎるからか?」
「そうだね。現状の王宮にも教団の手の者がいくらか入り込んでいるようだし。王宮に置いておけば三百年の間に処分されてしまっていたかもしれない」
そこまで言ってからエルセインの表情が急に重くなる。
「――だが、伝説の剣があっても戦力が足りない。戦いは厳しいものになるだろう」
「そこまでのものか。邪神竜ヴァルノスは」
ラファエルの声も緊張を帯びる。
「そうだね。何よりやつの呼び出す眷属が厄介だ。溢れだす黒竜の群れには王国の兵では足りないだろう」
エルセインが憂鬱そうに呟く。
三百年前の戦いの記憶を思い出し、深い皺が眉間に刻まれる。
「できれば、そうだね――話に聞く海上の商業連合、その精強な傭兵団。あのくらいの戦力は欲しい」
「噂でしか知らないな。どういうものだ?」
ラファエルが興味深そうに身を乗り出し、焚火の光が彼の顔を照らす。
「私も実際に知っているわけではないが……商業連合が自分たちの商品を任せるだけあって恐ろしく練度が高いと聞いている。海上のみならず陸上でも強く、更には数人で道中遭遇した空飛ぶ竜すら狩ってしまい商品にしてしまうそうだ」
「それは凄まじいな……」
エルセインの説明に、ラファエルが息を呑む。
「あとは兵器か。海を挟んだ向こう側の大陸にある魔法国メギストス。そこの進んだ技術の魔法兵器も欲しい――が、傭兵団も兵器も簡単に借りられるものじゃない。わかるね?」
エルセインの表情がまるで教師のような色を帯びる。
彼は竜ではあるが、同時に今は宮廷に仕える宮廷魔術師長でもあるのだ。
「下手に助力を頼むと内政干渉になって、政治的に他国の入る余地を生んでしまうからだな?」
ラファエルも王族としての教育を受けているだけあって、すぐに理解した。
その表情には理解と、同時に歯がゆさも現れている。
「そうだ。事態は国難だ。だが、だからといって何も考えず乞うことはできない。終わった後のことも考えなければ」
「誰かが聞けば手段を選んでいる場合かと怒られてしまいそうだな」
ラファエルが肩をすくめ、苦笑いを浮かべる。
エルセインもまた、串を火に近づけながら答える。
「世界が滅ぶ間際とかならその通りだが、現状まだ余裕があるからね。国の中枢にいる者としては、事が終わった後に国が食い荒らされる可能性も考慮しなければ」
肉汁が滴って炎が一瞬高く上がり、二人の顔を照らした。
「他に当てはないのか?」
「無いこともないが――いや、厳しいな。彼女と会ったのはもう相当前だ。覚えていない可能性があるか」
エルセインが遠い目をする。
焚火の向こうを見つめるその視線は、遥か昔の記憶を辿っているようだ。
「彼女とは?」
「魔法国メギストスに『女帝』と呼ばれるハーフエルフの強大な魔術師がいる。一応知己なんだが、彼女が幼い時に一度会ったきりだからね……三百年近く前になるし、私が人の姿をとる前の頃だ。おそらくこれは伝手にならない」
エルセインの声には懐かしさと諦めが混じっている。
「……そうだ、勇者の血筋は? 勇者アルトリウスは邪神竜を倒した後どこかへ去ったという。勇者の血筋は勇者である可能性が高い。君ならその足跡を……」
ラファエルが思いついたように提案する。
だが、エルセインは首を横に振った。
「それが勇者の娘である、かの『女帝』だ。それに女帝は勇者じゃないし、勇者は血筋で決まるものではないんだ」
「ままならないものだな……」
ラファエルの声に落胆が滲む。
「ダメ元で会ってみるのも良いかもしれないが、『女帝』は魔法国メギストスをしばらく離れているという。今どこにいるのかはわからない」
「だからまずは、確実に所在が分かる伝説の剣、か」
「そうなる。戦力を集めることさえできれば、かの邪神竜も……」
「倒せるかもしれない、か。そういえば伝説の剣とはどのような代物なんだ?」
ラファエルが話題を戻す。
焚火の炎が勢いを増し、エルセインの顔を照らした。
「かの剣の名は『聖剣アスティオン』という。輝くような純白の剣身で、柄に特徴的な紋章の彫られた片手剣相当のサイズの剣だ」
◆◆◆◆
一方その頃。
角笛亭の一階では、のどかな午後のひと時が過ぎていた。
窓からは暖かな陽光が差し込み、部屋全体を柔らかく照らしている。
「あれ、スフィアさん剣を磨いてるんですか」
メリアがスフィアとブルの部屋に顔を出すと、スフィアが床に座り込んで剣の手入れをしていた。
剣は分解され、剣身や柄などパーツ毎にバラバラとなっている。
手には柔らかな布を持ち、スフィアは丁寧に刃を拭いていた。
ブルは窓際の椅子に座って本を読んでおり、平和な光景が広がっている。
「おう。たまには相棒の手入れしてやらないとな」
スフィアが布で剣身を丁寧に拭きながら答える。
その手つきは慣れたもので、長年の習慣であるようだ。
布は剣身の根元から先端に向かって一定のリズムで動いている。
時折、刃の細かな汚れや傷を見つけては小さな砥石でより丁寧に磨き上げており、メリアは感心する。
「手慣れてますねー」
「実家が鍛冶師っつうのもあるけど、ガキの頃から使ってる剣だからな。昔から手入れしてれば慣れるさ」
スフィアの声には愛用の武器への愛着が感じられ、剣の扱いはまるで古い友人を気遣うような手付きだ。
「すっごい上質な剣に見えますけど、どんな由来の剣なんです?」
メリアが興味深そうに尋ねる。
こうやってよく見ると普通の冒険者が持つような代物ではない。
刃は美しい純白で、僅かな曇りもない。
質感も武器屋にあるような他の剣とは明らかに異なり、何やら神秘的な雰囲気が漂っているように見える。
柄の部分はシンプルだが、握りやすく設計されているようだ。
「ガキの頃、村の近くにあった遺跡を探検してたら拾ったんだ。頑丈で気に入ってるんだぜ」
スフィアが誇らしげに答え、表情が少し懐かしそうになる。
子供時代の戦利品を自慢するような口ぶりだ。
「魔獣もそこそこいてよ。子供ながらに工夫して倒しながら進んだっけなあ」
ブルが本から顔を上げて首を傾げる。
「そんな遺跡あったっけ?」
「辺鄙なとこにあるからなあ……知らないやつのが多いんじゃね?」
スフィアが肩をすくめながら答える。
「ちょっと剣身が長かったから削って短くしてよ。柄とかも変な紋章彫ってあったけどボロかったから総取っ換えしたんだ」
子供の頃の自分なりの改造作業だったのだろう。
当時を思い出すようにスフィアは語った。
「へー。兄さんが背負ってるシンプルなやつしか知らないけどどんな紋章だったんだろう」
「鋳つぶしちゃったからなあ……」
スフィアが少し残念そうに「メモでもしてりゃよかったか」と答えた。
――しばらくして。
「よっし、磨き終わった!」
スフィアが満足そうに剣を持ち上げ、立ち上がった彼の手の中で剣身が陽光を受けて美しく輝いている。
磨き上げられた表面は純白の鏡のようだ。
窓からの光を反射して部屋の天井に光の模様を作り出す。
「おー、心なしか輝きが違いますね!」
「だろー?」
メリアの声にスフィアは得意げに愛剣を掲げながら笑みを浮かべる。
彼の手の中で『聖剣アスティオン』は今日も窓からの陽光を受けて純白に輝いていた――。
この猫なにしてんだ。
ぼちぼちリンクし始めます。
この辺りからが物語本番です。
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