ニワトリキング再び
あの熱狂的な料理勝負から二週間が過ぎた午後。
メリアとスフィアの二人はのんびりとした足取りで料理屋ニワトリキングへと向かっていた。
メリアは銀色の髪を軽やかに翻しながら歩き、スフィアは相変わらず小さな身体を軽快に動かして、てちてちと歩いている。
目指す料理屋ニワトリキングが見えてくると、二人の足は自然と止まった。
「うわ、すっげー混んでる」
「これは時間かかりそうですねえ」
店の前には、あの料理勝負イベント以前とは比べ物にならないほどの長蛇の列が形成されていた。
老若男女を問わず、様々な身なりの客たちが行儀よく順番を待っている。
行列の中には、あのイベントを実際に見た人々も多く含まれているようで、興奮した様子で料理勝負の話をしている声があちらこちらから聞こえてくる。
「あの時のロイラ氏の料理、本当に美味しかったなあ」
「グラーノ氏の極楽鳥料理も凄かったけど、やっぱりこっちの料理だよな」
そんな会話が絶えることなく続いているようだ。
列の最後尾に着いた二人は、ゆっくりと前に進みながら会話を始めた。
「そういえばスフィアさん知ってます? グラーノさん家のヴィスコンティ子爵家、取り潰しになったそうですよ」
メリアが行列に並びながら、何気ない調子で話題を切り出す。
「は? なんで?」
スフィアが振り返る。
三角の耳がぴくりと動き、尻尾も驚きでわずかに揺れている。
「なんでも財政難で経営が難しくなって、領地取り上げになったとかなんとか」
「財政難って、美食でか?」
スフィアの声には呆れと同情が入り混じっている。
しかし、美食で貴族の家が取り潰しになるだろうか。
「やー、ヤバいとは思ってたんですよね。なんせイベント会場の見積もり見せた時、難色示してましたから」
あれは、イベント前の擦り合わせの時であった――。
◆◆◆◆
商業ギルドの一室。
メリアは前夜に作成した見積書を、丁寧にテーブルの上に広げている。
グラーノはテーブルの向かい側に座り、貴族らしい優雅な仕草で見積書に目を通していた。
「こちらが今回のイベント予算の見積もりと、企画の規模になります」
「ご苦労」
メリアが言い出した料理勝負だが、彼女ひとりでは準備ができるはずもない。
ヴィスコンティ子爵の名前を使って商業ギルドに話を通し、利益を説明して抱き込むことに成功。
街のイベントとして商業ギルドに予算を出させて見積もりを作成し、現在は子爵に報告の時間だ。
この女、非常に口が回る。
なんで冒険者やってんの?
「商業ギルドに話を通して予算は街の方から出ます。どうやら観客相手に露店やフードコーナーで稼ぐ方針のようですね。スフィアさんとグラーノ氏からは予算をいただきませんのでご安心を……」
メリアは安心させるつもりで説明したが、グラーノの表情は逆に不満げになっていた。
「足りんネ」
「え?」
メリアは思わず聞き返した。
グラーノが見積書から顔を上げた時、その眼鏡の奥の瞳には明らかな不満の色が浮かんでいた。
十分な予算を確保したつもりだったのに、一体何が不満なのだろうか。
「この程度では慎ましすぎる。派手さが足りんと言っておるのだヨ」
グラーノの声には貴族特有の尊大さがあった。
まるで自分の威信をかけた一大イベントでも企画するかのような勢いで、テーブルを指で叩きながら不満を表明している。
「しかし街の予算ではこれが限界で……」
「では私の家から予算を出そうじゃないかネ。街の予算の三倍でどうだネ」
その言葉が口から出た瞬間、メリアの目が大きく見開かれる。
「はい!? 三倍!?」
メリアの声が裏返る。
ただでさえ大規模イベントの三倍といえば、相当な金額だ。
「そりゃそれだけあれば派手にできるでしょうが……」
「ではそれで。くれぐれも持ち逃げなどはしないことだヨ」
グラーノは当然のことのように言い放つ。
その表情には、金銭に対する危機感など微塵も感じられない。
まるで小銭を投げ与えるかのような軽い調子で、途方もない金額を約束したのだった。
「しませんよそんなこと……明日改めて見積もり作って再提出しますね……」
その夜、彼女は徹夜で見積書を作り直すことになる。
そして同時に、『三倍も出して大丈夫かな……』という懸念が彼女の内に現れてきたのだった。
◆◆◆◆
「ということがありまして」
あの時の徹夜作業と、グラーノの金遣いを思い出すと、今でも軽い頭痛がするような気がした。
「何してんだあのおっさん」
スフィアの呆れた声が、行列の中に響く。
「そこに極楽鳥を自腹でしょう? お金随分あるなと思ってたんですが……自分の家の財政を把握してなかったらしく……」
放蕩経営の末に破産、ということでヴィスコンティ子爵家は領地を没収されてしまったのであった。
「どうしようもねえおっさんだな……」
スフィアは小さく首を振る。
「じゃああのおっさん今文無しか?」
「でしょうねえ。元貴族のあの人が庶民としてやっていけるんでしょうか……」
メリアの声には心配の色が滲んでいる。
また、スフィアにとっても嫌味な相手だったとはいえ、流石に破滅してほしかったわけではない。
「今更野垂れ死には後味悪いな……」
「ええ、元気にしていると良いんですが……」
二人がそんな会話を交わしているうちに、行列は着実に進んでいく。
陽が少しずつ西に傾き始めた頃、ようやく二人の順番が回ってきた。
店内に足を踏み入れた瞬間、二人の目に飛び込んできたのは以前とは明らかに違う光景だった。
客席はほぼ満席状態で、あちらこちらから美味しそうな料理を食べる音と満足そうなため息が絶え間なく聞こえてくる。
厨房も以前より多くのスタッフが配置されており、それぞれが手際よく料理を作り続けている。
壁には新しいメニューボードが掲げられ、以前よりもバリエーション豊かな料理が紹介されているようだ。
そんな忙しい厨房から、一人のコックが注文を取りに現れる。
白いコック帽を深めに被り、清潔なエプロンで顔の一部を隠しているが、その立ち振る舞いには確かに見覚えがあった。
「いらっしゃい……おやスフィア君。今日は何にするかネ?」
その声を聞いた瞬間、二人の表情が一変した。
聞き間違いようのない、あの特徴的な話し方。
「グ、グラーノさん!?」
「おっさんあんたなんでここにいるんだよ……子爵家潰れたって聞いたぞ」
スフィアも目を丸くしながら尋ねる。
あの高慢だった貴族が、まさか庶民の料理店で働いているとは想像もしていなかった。
「ははは、聞いていたか。気恥ずかしいネ」
グラーノは苦笑いを浮かべながら答える。
以前よりも話し方が穏やかになっていて、角が取れたかのようだ。
「私は子爵家が取り潰しになった後、ふとニワトリキングの近くにやってきたところに師匠……ロイラ氏に誘われたのだヨ。『行くところがないならウチで住み込みで働いてみないか』とネ」
顔を僅かに俯かせ、感謝の気持ちを表現するその姿は、以前の傲慢な貴族とは別人のようだった。
「一度は敵対し、料理をこき下ろしたことすらある私を受け入れる度量に感服し、弟子入りさせてもらったのだヨ」
かつて美食家として君臨していたプライドを完全に捨て、一から学び直そうとする真摯な態度がそこにあった。
「お、おう」
スフィアは予想外の展開に、どう反応していいか分からないようだ。
「じゃあ今はここのコックですか」
「そうなるネ。いやここに弟子入りしてから驚きの連続と見識の狭さを恥じる毎日だヨ」
メリアに答えるグラーノの目には、純粋な学習意欲と尊敬の念が宿っている。
もはやそこには、貴族としての余計なプライドなど微塵も残っていない。
「見ていたまえスフィア君。ここで修業し直し、今度こそ真の貴族の料理を味わわせてやろう……覚悟しておくことだネ」
そう言いながらも、グラーノの表情には新たな挑戦に向かう職人のような真摯さと謙虚さが感じられた。
それは以前の高慢な意地とは全く異なる、純粋な向上心に基づくものだろう。
「あ、うん。そうだな」
スフィアは『あんたもう貴族じゃねーだろ』という言葉を飲み込んだ。
せっかく前向きになっている相手に水を差すのは、さすがに気が引けるし。
「グラーノ君、ちょっとこっちの仕込みを手伝ってくれるかい」
厨房の奥から、ロイラの穏やかな声が響く。
「はい師匠! ……というわけだ。注文が決まったら呼んでくれたまえ」
グラーノは一礼すると、慌てたように厨房の奥へと戻っていく。
二人はその後ろ姿を見送りながら、しばらく言葉を失っていた。
「……元気そうでよかったですね」
「……まあ、そうだな……」
こうして、グラーノという有力コックを迎え入れた料理店ニワトリキングは更に勢いを増していく。
彼の貴族時代に培った食材への深い知識と、ロイラから学ぶ庶民的で実用的な調理技術が融合し、新たな料理の境地を切り開くことになるのだ。
やがてこの店は大陸でも有数の名店に成長し、多くの人々に愛される存在となる。
だが、それはスフィアたちの冒険とは直接関係のない、また別の物語であった――。
今話で前半のキャラクター掘り下げパートは終了。
作品の雰囲気とキャラの行動パターンは把握していただけたでしょうか。
種まきは終わり、次回から今まで作った地盤の上で行われる本番パートとなります。
のんびりした雰囲気はそのままに色々本格的にストーリー描写が増えていきます。
そして明日より一日一回18時に更新です。




