一触即発
「今なんつった」
スフィアの声は低く、威圧感に満ちていた。
先ほどまでの楽しげな雰囲気は完全に消し飛び、その金色の瞳には危険な光が宿っている。
小さな身体から立ち上る殺気は、周囲の客たちも息を呑むほど凄まじいものだ。
尻尾も警戒心を表すように膨らみ、三角の耳がぴんと立っている。
「フン、何度でも言ってやろう。ここの料理は美食家たる私、グラーノ・ヴィスコンティ子爵の舌を満足させるだけの味ではなかったということだヨ、子猫君」
貴族の男――グラーノは鼻を鳴らしながら答えた。
その態度は極めて高慢で、まるでスフィアを見下しているかのような視線を向けている。
細い指で眼鏡を押し上げながら、冷笑を浮かべていた。
高価な衣服に身を包んだその姿は確かに貴族らしい威厳を纏っているが、同時に嫌味な印象も与えている。
「てめえ……!」
スフィアは背中の剣に手をかけた。
その瞬間、グラーノの後ろに控えていた護衛の男が前に出る。
筋骨隆々とした大柄な体格で、腰には立派な剣を佩いている。
明らかに只者ではない雰囲気を漂わせており、職業冒険者としての経験を積んでいることが窺えた。
「ちょ、スフィアさん!店の中で刃傷沙汰はまずいですよ!」
メリアはスフィアの手を掴んで必死に止める。
しかし、スフィアは完全に火が点いてしまっている。
その怒りは深く、単なる料理への批判を超えて自分の価値観そのものを否定されたような気持ちになっているようだ。
メリアの制止など聞こえていないかのように、剣の柄を強く握りしめている。
「安心しろ、すぐに片を付けてやる」
「そういうことじゃないんですが……」
メリアの困惑した声が漏れる。
グラーノはその姿を見て軽く鼻を鳴らした。
「フン、良いことを教えよう子猫君。この男は準三位冒険者と同等の力量を持つ男だ。君程度では相手にならんヨ。わかったら下がりたまえ」
グラーノが護衛を指差しながら得意げに説明する。
準三位冒険者といえば、相当な実力者だ。
一般的な冒険者では到底太刀打ちできないレベルの強さを持つ。
しかし、メリアは内心で思った。
(あ、これスフィアさんの相手にならんやつですね)
以前、喧嘩を売ってきた準三位冒険者の集団を、スフィア一人で返り討ちにしていたところを目撃したことがある。
むしろ、スフィア相手では実力が足らなすぎる。
抑止力になりゃしねえ。
メリアは急いで思案した。
このままではヤバい。
店で刃傷沙汰なんて起こしたら犯罪者コースまっしぐらだ。
しかも十中八九、店は出禁になる。
美味しいものを食べに来て牢で臭い飯とか御免被る。
しかし、スフィアは止まりそうにない。
そして貴族の男も、これまたいけすかないタイプで引かなそうだ。
双方とも意地を張って引くに引けない状況になっている。
思い切ってメリアは口を開いた。
「双方、少々お待ちください」
「なんだよ。いくらお前の頼みでも引けねえぞ」
「この私が庶民の小娘の懇願を聞くとでも?」
スフィアの声は依然として険しく、グラーノも同様に取り合う気がない様子だ。
しかしメリアの口上は止まらない。
「いえいえ、懇願などとてもとても。私にはこの場を収める妙案があるのです」
メリアは自信ありげに胸を張った。
「「妙案?」」
二人の声が重なる。
「ひとまず落ち着いて、聞く気はありますか?」
メリアの言葉に、いったん矛を収める二人。
スフィアは剣から手を離し、グラーノも護衛に下がるよう合図した。
店内の緊張した空気が、わずかに和らぐ。
「で、妙案ってのは?」
スフィアが興味深そうに尋ねる。
「さぞ良い案なのだろうネ?」
グラーノも皮肉めいた口調で期待を示す。
「ええ、もちろん」
メリアは堂々と答える。
だが、メリアの妙案にはこの時点で重大な欠陥が存在した。
(ハイもう全然考えなんてありませんけどねェ――!)
――この女、現在ノープランである!
(良い考えなんてそうポンポン浮かびませんよ! こうなったら……)
そう、こうなったら商談で稀によく使う奥の手を解禁する!
(秘技、話しながら考える!)
現状の事実確認から始め、前提条件を確認する。
そうやって時間を稼ぎながら着地点を思案し、そこに誘導する!
使えるようになったら結構便利な技であるが、なるべく使いたくない技である。
何故って?
この技に頼る時はだいたい崖っぷちだからね!
瞬間、メリアの脳みそは全力でフル回転していた。
商家出身の彼女が培ってきた交渉術の全てを動員し、相手の心理を読みながら最適解を模索する。
表情は冷静を装いながらも、内心では必死に糸口を探していた。
焦りを表面に出さないのは交渉術の基本である。
ここまでの思考時間約1秒。
舌のペラ回し、開始!
「そもそも、料理が美味しいかどうかの争いに武力を用いるのはおかしいと思いませんか? それで証明できるのは『どちらが強いか』であって『どちらの主張が正しいか』ではありませんよね?」
メリアのもっともな指摘に、二人は考え込んだ。
「んむぅ……」
スフィアが唸る。
確かに、力で勝ったからといって料理の美味しさが証明されるわけではない。
「まあ、そうだネ」
グラーノも渋々ながら同意した。
貴族として、論理的な思考は身につけているようだ。
「同意を得られたところで認識のすり合わせを行います。スフィアさんはここの料理は美味しいと思っており、グラーノ氏は美味しくないと主張。ここまでよろしいですね?」
「ああ」
「うむ、ここの料理は私が食するに値しない」
「ああ?」
スフィアの声が再び険しくなりかける。
「ハイ喧嘩しない」
メリアが手を振って制止する。
「ですがグラーノ氏の主張する真の美味が、本当に真の美味かどうか確認しようが有りません。だって食べてないですから」
それはその通りだろう。
グラーノは自分の主張する美味しい料理を実際に提示していない。
彼の主張は彼の中だけで完結しており、他人が確かめる術はない。
「……まあ、そうだな」
スフィアもこれは納得せざるを得なかった。
「ですので私は提案します」
メリアは決めポーズを取る。
片手を上げ、もう片手を腰に当てて、自信満々の表情を浮かべた。
「スフィアさんの料理とグラーノ氏の主張する料理、どちらが美味しいか料理勝負はどうかと!」
「「料理勝負!?」」
二人の声が再び重なった。
「どっちが上か二人だけで判断付かないなら比べてしまえばいいんです。それも大勢の判定人の前で、ぐうの音も出さずにはっきりと」
メリアの提案は理にかなっていた。
主観的な好みの対立を、客観的な比較で解決しようという発想だ。
「料理のことは料理で競えばよろしいのです。神も仰いました。殴りあって決められないなら料理で殴りあえと」
「初めて聞いたわ」
「今作りましたので」
「お前が作ったんかい」
スフィアは呆れたようにツッコんだ。
「とにかく、武力が解決にならないなら料理で勝負を付ければいいと思った次第ですが、どうですお二人とも。大勢の前で自分の主張を通す気がありますか?」
メリアの挑発的な言葉に、二人の闘争心に火が点いた。
「……望むところだ」
スフィアが低い声で答える。
その目には、料理への情熱と負けられない気持ちが宿っていた。
「同感だネ。大勢の衆目の前でどちらの主張が正しいかハッキリさせるとしようじゃないか」
グラーノも負けじと応じる。
貴族としてのプライドが、この挑戦を受けることを要求していた。
「こっちの台詞だ……! 料理は鶏肉」
スフィアが宣言する。
「ただの鶏肉料理ではつまらない。テーマはそうだネ……毎日食べたくなるほど美味い料理、でどうかネ?」
グラーノが条件を付け足す。
「ああ、いいぜ。吠え面かきやがれ……!」
「負け犬の遠吠えならぬ負け猫の遠吠え楽しみにしているヨ」
二人はバチバチとやりあい、喧嘩の行く末を見守っていた周囲の客はやんややんやと囃し立てる。
店内は興奮に包まれ、先ほどまでの殺伐とした空気が一転して祭りのような雰囲気になっていた。
客たちは料理勝負という珍しい展開に胸を躍らせ、既にどちらが勝つかを予想し始めている。
そしてメリアは。
(……繋がっ……た……!)
即席の理論構築をペラ回し、方向性をコントロールしつつ軟着陸させたことに一人達成感を抱いていた。
商家での交渉経験が活かされた瞬間だった。
咄嗟の機転と論理的思考、そして相手の心理を読む能力。
全てが組み合わさって、最悪の事態を回避することができた。
勝負は一週間後、街の大広場で――!
なおその頃ブルは。
「あ、林檎美味しそう。ひとつください」
「あいよ」
「おいしーい」
武具工房での修理を終えた後、ひとり、のんびりとささやかな幸せを味わっていた。
メリアさんだいぶ口が上手い。




