依頼終了とメリアの怒り
エピローグなので、ちょっと短いです。
孤児院の正門前で、一行はお別れの挨拶を交わしていた。
修道女は深々と頭を下げながら、改めて感謝の言葉を述べている。
「本当に、今日はありがとうございました。子供たちも、きっと今日のことを一生忘れないと思います」
その周りでは子供たちが笑顔で手を振っていた。
特にアンナは、ブルに向かって小さな手を一生懸命に振り続けている。
「ブルお兄ちゃん、また来てね!」
「今度は猫さんも一緒に!」
「メリアお姉ちゃんも!」
ブルとメリアも手を振り返す。
「うん。またね」
「スフィアさんも連れてきますね」
子供たちの無邪気な笑顔に、二人は自然と笑みを浮かべた。
メリアが満足そうに呟く。
「良い仕事ができましたね」
「だね。とても楽しい仕事だったよ」
ブルも同じ気持ちのようだった。
しかし、ふと表情を曇らせる。
「それにしても、スフィア兄さんは大丈夫かな。一人で保存食作りに行って……まあ肉に夢中になってるんだろうけど」
ブルが心配そうに呟いた。
確かに、あれからスフィアの姿は全く見えていない。
普通なら心配になるところだが、彼の性格を知っているブルは、きっと肉に夢中になっているのだろうと予想していた。
「大丈夫ですよ。道に迷うような人じゃないですし、きっと美味しい保存食をたくさん作ってもらって喜んでいるでしょう」
メリアも同様に考えていた。
スフィアの肉への情熱は、もはや信念に近いものがある。
まあ、多分大丈夫だろうという確信があった。
夜の帳が降りた街を歩いて、二人は角笛亭へと戻ってきた。
宿の窓からは温かなオレンジ色の明かりが漏れ、中では獣人たちの陽気な笑い声や談笑が響いている。
一日の仕事を終えた冒険者や商人たちが、麦酒を片手に今日の出来事を語り合っているのだろう。
その賑やかな声が、疲れた身体に心地よく響く。
重い木製の扉を押し開けると馴染みのある暖かい空気が二人を出迎えた。
炉の火が揺らめき、料理の香ばしい匂いが漂っている。
角笛亭に帰ってきたという実感が、ようやく湧いてきた。
二人は女将に声をかける。
「女将さんただいまー」
「スフィアさんいます?」
「おかえりなさい。スフィアちゃんなら、もう戻ってるわよ」
羊の女将が振り返って答える。
「大荷物を持って自分の部屋に戻ったわ。随分ご機嫌そうだったけど」
なるほど、やはり保存食作りは成功したようだ。
二階に上がって廊下を歩いていると、自分たちの部屋の扉の隙間から微かに明かりが漏れているのが見えた。
確かにスフィアが先に帰ってきているようだ。
「お疲れさま、スフィア兄さん」
ブルが扉をノックしながら声をかけた。
返事はない。
「……兄さん?」
「スフィアさん?」
メリアも声をかけてみたが、やはり反応がない。
二人は顔を見合わせて、そっと扉を開けることにした。
「失礼しま――」
扉を開いた瞬間、メリアの言葉が途切れる。
部屋の中は、まさに惨状と言うべきものだった。
床という床に、様々な種類の干し肉と燻製肉が散らばっている。
大きな袋から溢れ出したそれらの保存食は、まるで嵐が通り過ぎた後のように部屋中に散乱していた。
テーブルの上には空になった酒瓶がいくつも転がり、その周りには食べかけの肉が無造作に置かれている。
椅子は倒れ、床には肉の欠片やパンくずが散らばっていた。
そして部屋の中央では――。
「ンナーゴ……ニャァァ……」
スフィアが床に寝転がって、いびきをかきながら眠っていた。
手には干し肉を握りしめたまま、口元には満足そうな笑みを浮かべている。
その小さな身体の周りには食べ散らかした肉の残骸が転がっていた。
一瞬の静寂の後――。
「スフィアさんっ!!」
メリアの怒声が部屋中に響き渡った。
「何ですかこの惨状は!! 部屋がめちゃくちゃじゃないですか!!」
その声に驚いて、スフィアがパッと目を覚ました。
寝ぼけ眼で辺りを見回し、状況を把握するのに数秒かかった。
「ンニャっ!?……あ……おかえり……」
スフィアは気まずそうに起き上がった。
その手にはまだ干し肉が握られており、酒の匂いがぷんぷんと漂っている。
「おかえりじゃないです!! この部屋をどうしてくれるんですか!! それにお酒もこれどうしたんですか!!」
メリアの怒りは頂点に達していた。
今まで見たことのないほど激怒している彼女の姿に、スフィアは完全に縮み上がった。
「あの、群牙猪の肉は工房で加工するのに引き取ってもらって、十日後に取りに行くってことになったんだが……工房で扱ってる肉も良い感じだったんで、肉の一部を売って、いくらか酒と一緒に買って……試食のつもりだったんだけど……」
「試食でこんなになりますか!!」
「ひぃん……」
「宿の部屋は借りてるところですし綺麗にしてください! あと勝手にお肉売って勝手にお酒とか買わないでくださいよ! 誰がお金と物資の管理してると思ってるんですか!」
「しゅいましぇん……」
メリアの一喝に、スフィアはさらに小さくなった。
普段のぶっきらぼうな態度など微塵もなく、完全に借りてきた猫状態である。
猫獣人だけに。
一方、ブルはその光景を見て肩をすくめた。
「まあ、兄さんにも叱ってくれる相手ができてよかったよ」
ブルが小声で呟いた言葉には、どこか安堵が含まれていた。
実のところ、弟分であるブルの意見や忠告はスフィアはあまり聞かないことが多かった。
兄貴分としてのプライドがあるのか、それとも単に慣れすぎているせいか。
ブルが何を言ってもスフィアは聞き流してしまうことがほとんどだったのだ。
しかし、メリアの怒りは違った。
スフィアも彼女を本気で怒らせてしまったことの深刻さを理解したのである。
「メ、メリア……怒ってる?」
スフィアが恐る恐る尋ねる。
その声は普段の威勢の良さなど全く感じられない、か細い声だ。
「怒ってますよ! 当たり前でしょう!!」
「フニャァ……」
メリアの返答は容赦なかった。
その迫力にスフィアは完全に気圧されてしまっていた。
三角の耳もメリアの気迫に圧されてぺたんと頭に張り付いている。
(メリアを怒らせたら怖い……)
スフィアは心の中でそう認識する。
今まで誰かにここまで怒られた経験がなかっただけに、メリアの怒りの恐ろしさが身に染みて理解できた。
「ほら、スフィア兄さん。ちゃんと謝って、片付けを手伝わないと」
ブルが苦笑いを浮かべながら助け船を出した。
普段なら聞かないスフィアも、今回ばかりは素直に従うしかないようだった。
「わ、わかった……ごめんな、メリア……」
スフィアは頭を下げて謝罪する。
その姿は普段の勇ましい冒険者の面影など全く感じられない、しょんぼりとした雰囲気だ。
そしてメリアの一挙手一投足にびくびくしながらスフィアは部屋の片づけを始める。
この夜を境に、パーティー内の力関係は決定した。
こうして孤児院の子供たちの護衛任務は、スフィアがメリアの怖さを身を持って知ることになった夜で幕を閉じた。
そして、次の日からまた新たな冒険への準備が始まるのだが――それはまた、別の物語である――。




