冒険者階級とパーティー申請
受付カウンターでは一人の女性がテキパキと仕事をこなしていた。
その女性は二十代前半といったところで茶色の髪を実用的にまとめ上げ、きちんと整えられた制服に身を包んでいる。
手元の書類を素早く整理しながらも、隣に立つ新人らしき若い女性に的確な指示を出していた。
その動作は無駄がなく、長年の経験に裏打ちされた熟練の技だ。
「こちらの依頼書は明日までに整理して、あちらの報告書は午後一番で確認よ」
ベテラン受付嬢の声は明瞭で、新人への指導も丁寧かつ効率的。
まさに冒険者ギルドの顔として相応しいプロフェッショナルな仕事ぶりである。
そこへ、スフィアがカウンターの上に音もなく軽やかに飛び乗った。
その動作は猫そのもの。
小さな足がカウンターの木製表面に着地する際も、羽毛が舞い降りるように静かなものだ。
三角の耳をぴんと立て、金色の瞳でベテラン受付嬢を見据えながら、いつものぶっきらぼうな調子で声をかける。
「おう、こないだぶりだなマチルダさんよ」
スフィアを見た瞬間、マチルダと呼ばれたベテラン受付女性の表情が一変した。
先ほどまでのプロフェッショナルで引き締まった表情が、まるで氷が溶けるように緩んでいく。
目尻が下がり、口元には思わず漏れる笑みが浮かび、頬が仄かに赤らんでいる。
その変化は突然別人になったかのようだ。
「んま~~♡ タ~~マちゃ~ん♡♡」
マチルダの声音が一オクターブ高くなり、語尾は完全に赤ちゃん言葉。
普段の凛々しい口調とは正反対の甘ったるい声で話しかけている。
それは、まるで愛らしい子猫を見つけた動物好きが思わず発してしまう声。
瞬間、マチルダはカウンター越しにスフィアに向かって身を乗り出した。
「タマちゃん久しぶり~♡ 会いたかったんでちゅよ~♡」
言葉とともに彼女はスフィアを抱き上げようと両腕を伸ばす。
その動作は慣れているように素早く、スフィアが逃げる間もなく彼はマチルダの腕の中に捕獲されてしまった。
「ギニャ―――!やめろバカうっとおしい!」
スフィアの抗議の声は、まさに猫が威嚇する時の鳴き声そのものである。
小さな手足をばたつかせながらマチルダの拘束から逃れようと必死にもがいている。
しかし猫好きの女性の執念は恐ろしく、スフィアの抵抗など意に介さずに抱きしめ続けていた。
抱きしめられているその姿は確かに愛らしく、マチルダが興奮する理由もよく理解できる。
しかし当の本人にとっては、この状況は屈辱以外の何物でもない。
スフィアが叫ぶ。
「あとタマちゃんはやめろォ!!」
メリアはその様子を見ながら、首を傾げて疑問を口にした。
「タマちゃんとは?」
「あ、スフィア兄さんの本名」
ブルがメリアの耳元に顔を寄せ、小さな声で説明する。
「僕らの村では普通の猫獣人の名前なんだけど、人間の街でも悪い意味で普通の名前なんだよね? ペットの猫的な意味で。それを嫌がって兄さんはギルドの登録名を変えたんだ」
確かに「タマ」という名前は、人間社会では猫の代表的な名前だ。
獣人の世界でも立派な名前なのだろうが、人間社会では完全にペット扱いの意味を持ってしまうだろう。
確かにペットっぽいなあ、とメリアは微妙な表情で頷く。
「お、おう……」
「ちなみにギルド登録の時に本名明かしてるからギルドの職員さんはみんな知ってる。で、マチルダさんは大の猫好きだから……」
ブルの説明の途中で、マチルダが再びスフィアを抱きしめる音が聞こえてきた。
「タマちゃんのお耳~♡ ふわふわでちゅね~♡」
完全に理性を失ったマチルダが、スフィアの三角の耳を指先で優しく撫でている。
その仕草は愛猫をかわいがる飼い主そのもの。
プロフェッショナルな受付嬢はどこに行った?
スフィアの悲鳴がギルド内に響く。
「ギニャア!触るなァ!!」
「ああ、スフィアさんが苦手なタイプなんですね……」
メリアは全てを理解した表情で頷いた。
一方のブルは、周囲の冒険者たちの視線を感じて再び肩を竦めていた。
ギルド内の荒くれ者たちが、自分たちの方を見ているのが気になって仕方がない。
大きな身体を少しでも小さく見せようと背中を丸めている。
なるほど、二人の様子がようやく腑に落ちる。
それぞれに苦手な要素があるため、ギルドに来ることを渋っていたのだ。
ブルにとっては冒険者たちの殺伐とした雰囲気が恐怖の対象で、スフィアにとってはマチルダのような猫好きの職員が天敵だったというわけである。
やがて、マチルダの愛情表現がひと段落した。
「はい、タマちゃんお疲れさま~」
満足そうな表情でスフィアを解放するマチルダ。
その顔には幸福感が漂っており、まるで至福の時間を過ごしたかのような満足感を湛えている。
一方のスフィアは、既に完全に疲れ切っていた。
カウンターの上にぺたんと座り込み、小さな肩で荒い息をついている。
金色の瞳は虚ろで普段の元気など全く感じられない。
「だからできるだけ来たくなかったんだ……」
スフィアの声は心底疲れ切っており、そこには深い諦めと絶望があった。
三角の耳も垂れ下がり、尻尾も力なく垂れている。
その姿は普段の勇ましい戦士とは別人のようだ。
気を取り直したマチルダは、プロフェッショナルな表情を取り戻しながらスフィアに向き直った。
先ほどまでの猫好き全開の甘い表情は影を潜め、いつもの有能な受付嬢としての顔に戻っている。
しかし、時折スフィアの方をちらりと見る視線には、まだ若干の名残惜しさが漂っていた。
「それで、今日はどういった御用かしら? タマちゃん♡」
随分とスフィアがお気に入りらしく、最後に付け加えられた「タマちゃん」の部分だけは、どうしても甘い調子になっている。
スフィアは相変わらずぶっきらぼうに答えた。
「パーティー組むんで申請に来た」
カウンターの上に座ったまま、疲れた表情で手をひらひらと振っている。
先ほどの愛情攻撃でかなり消耗しているようで、普段の覇気はまだ戻っていない。
「あら、パーティー? いつものブルちゃんと……臨時?」
マチルダは興味深そうに首を傾げた。
確かにこれまでスフィアとブルの二人組はギルドでは有名だったが、三人目のメンバーが加わるというのは意外だったのだろう。
視線がブルに向けられ、次にメリアの方へと移る。
「いや本採用。で、こいつが入る」
スフィアはメリアの方を指差した。
「そう、冒険者ライセンスはお持ちかしら」
マチルダは事務的な口調でメリアに問いかけた。
その声音は、先ほどまでのスフィアに対するものとは明らかに違い、完全に業務モード。
やはりプロフェッショナルな受付嬢として、必要な確認を怠るつもりはないようだ。
「はい、あります」
メリアは懐から小さな証明書を取り出す。
冒険者ライセンスは厚手のカードでできており、本人の名前や階級、発行日などが記載されている。
ギルドの公印が押されており、偽造防止のための特殊な処理も施されている。
マチルダはそれを受け取ると手慣れた様子で内容を確認し始めた。
名前、発行日、階級――その目が階級の欄で止まった。
マチルダの眉がひそめられる。
「……第六位?」
その表情には明らかな困惑と懸念が浮かんでいる。
書類を何度か見返し、記載内容に間違いがないことを確認してから改めてスフィアの方を見た。
「いくらなんでも階級離れすぎじゃない?」
マチルダの声には苦言を呈するような響きがある。
冒険者のパーティー編成において、あまりにも階級差があるメンバー同士では様々な問題が生じる可能性がある。
依頼の内容、報酬の分配、危険度の認識など、多くの面で齟齬が生じやすい。
スフィアたちがそうとは思わないが、新人を肉盾にする悪質な冒険者だっているのだ。
「そういえば」
メリアがふと思い出したように口を開く。
「スフィアさんとブルさんのランクって聞いてませんでしたね。どれくらいなんですか?」
実際、冒険者にとって組織における階級というものはある程度重要な情報だ。
適切な関係性を築くためにも、このあたりで相手の立場を正確に把握しておきたいとところである。
スフィアとブルは特に自慢するでもなく、あっさりと答えた。
「俺は準二位だ」
「僕は第三位です」
「えっ」
メリアは一瞬、その数字の意味を理解するのに時間がかかった。
――冒険者階級。
それは第一位をトップとして、準一位、第二位、準二位、第三位~と続き、そして最下級の第六位まで存在する。
一般的に準四位から準五位前後が普通の冒険者とされ、第六位が見習い扱い。
第四位に上がれればベテランの仲間入りとなる。
第三位ともなれば優秀な実力派として名が知られ始め、国をまたいだ先のギルドでも話題に上る場合があるレベルだ。
そして第二位となると貴族からの個人依頼もこなす筆頭級の主戦力として、ギルドでも指折りの実力者として認識される。
つまり、スフィアは第二位のひとつ前である準二位、ブルは第三位。
どちらも、この街どころか冒険者全体を見回しても指折りの実力者だったということになる。
しかも彼らがこの街に来てからまだ半年程度だという話を先ほど漏れ聞いた。
その短期間でこのレベルに達するということは、もはや驚異的と言う他ない。
一方のメリアは戦闘能力も魔力も持たないため依頼の失敗が多く、いまだに見習い扱いの第六位に留まっていた。
階級差は、実に七~八階級。
これほどの差があるパーティーなど、通常であればあり得ないと言っていい。
「こんなもん、ただの目安だろ。どうでもいいわ」
スフィアは興味なさげに手を振った。
彼としては階級制度そのものに特に興味はないようだ。
重要なのは美味しい肉を食べることであり、人間が作った序列など本質的にはどうでもいいことなのだろう。
「兄さんに引っ張って貰っただけだから……」
ブルは謙虚に否定する。
その大きな身体を縮こまらせながら、まるで自分には実力などないとでも言いたげな表情。
実際のところブルの戦闘能力は確かに高いのだが、本人にその自覚はないようだ。
「でも、あまりにも階級差があるとこっちも依頼を出しにくいし……」
マチルダは職務に忠実な態度で渋った。
受付嬢としては、あまり適切でないパーティー編成を認めるわけにはいかない。
過度に実力差がある編成を認めて後々問題が生じれば、それは自分たちの――ひいてはギルドの責任となってしまうのだ。
あまりこういう事例が多いと、先述したような悪質な冒険者が横行しかねないという理由もある。
「なあ、マチルダさんよ」
スフィアはカウンターの上で立ち上がり、マチルダの方に歩み寄った。
金色の瞳がマチルダをじっと見据え、いつものぶっきらぼうな表情が少し緩む。
「俺たちのことは信頼してくれてるだろ? この半年で失敗した依頼が一つでもあったか?」
その問いかけに、マチルダは答えに詰まった。
確かにスフィアとブルのコンビは、これまで受けた依頼を全て成功させている。
それも、他のパーティーでは手に負えないような困難な依頼ばかりを選んで受けているにも関わらず、である。
「それに、こいつは戦闘要員じゃねえ。交渉担当だ」
スフィアはメリアの方を指差した。
「俺らにできない交渉事を任せる。戦いは俺とブルでやる。役割分担がはっきりしてるんだから、階級差なんて関係ないだろ」
「うーん……」
確かにメリアの役割が後方支援や交渉であれば、戦闘能力の差は問題にならない。
むしろ、それぞれの得意分野を活かした効率的なパーティー編成と言えるだろう。
マチルダは少し考え込んだ。
スフィアの言い分は筋が通っているし、これまでの実績も申し分ない。
そして彼らは、低い階級の冒険者を脅したり悪用するタイプの冒険者ではない。
何より、一般論に固執しすぎて有能な冒険者たちの活動を阻害するのはギルドにとっても損失となる。
「……わかったわ」
マチルダは最終的に折れた。
「ギルドの判断は指標のひとつでしかないしね。自由意思に任せます。ただし、何か重大な問題があった場合は即座に解散してもらうことになるからね」
その言葉に、スフィアの表情がほころんだ。
「ありがとよ、マチルダ」
珍しく素直に感謝の言葉を口にするスフィア。
その様子を見て、マチルダの頬が再び赤くなり始めた。
「も、もう、タマちゃんったら……♡」
危うく再び愛情モードに突入しそうになったが、さすがに業務中ということで踏みとどまる。
「それじゃあ、パーティー登録の手続きを進めさせてもらうわね」
マチルダは事務的な口調に戻り、必要な書類を取り出し始めた。
こうして階級差を乗り越えて、三人のパーティー申請が正式に通ることとなった――。
余談ですが、海外の人はランクAの上のランクSに違和感を覚えるそうです。
「アルファベット順だよね? なんでAからSに下がるの?」という認識なんだとか。
恐らくSはスペシャルのSなんだと思いますが日本人の感覚とは違うのでしょうね。




