第七話 静かな共鳴
倉庫の空気は、夜の冷気と埃の匂いで重い。
エリシアは楽器を抱え、弓を軽く持つ。
肩の重み、顎当ての冷たさ、指先に残る弦の跡。
音は出ない。
けれど、胸の奥で小さく、振動が広がる。
低い声の人物は倉庫の奥に立ち、影だけが存在を告げる。
長い指先が微かに動く。
肩幅と背筋の傾きで、空気の圧力を変える。
目は光を吸い込み、表情を読み取れない。
しかしその存在感だけで、世界の中心に引き込まれる。
「感じるか」
声は低く、空気を揺らす。
言葉は少ないが、意図は確かに伝わる。
音がなくても、何かが反応している。
エリシアは弓を滑らせる。
指先に伝わる弦の感触、木肌の冷たさ。
それだけで、返事を受け取ったことが分かる。
音ではないが、胸に届く感覚。
楽器は、確かに応えている。
「静かすぎる」
低い声が影の中から漏れる。
しかし静かさは恐怖ではなく、確信のように感じられる。
二人の存在は音を超えて、微かな共鳴を生んでいた。
倉庫の床に落ちた月明かりが、楽器の影を揺らす。
弓を引くたびに、影も微かに動く。
音ではない、しかし確かな共鳴。
それが、互いの存在を確かめる唯一の手段だった。
エリシアは弓を止めない。
止めれば、すべてが消えてしまう気がした。
肩の重さ、指先の感覚、楽器の木肌の冷たさ。
音はなくても、確かな共鳴が存在する。
返事は、まだ音ではない。
けれど、胸の奥で、確かに伝わっている。
静かな倉庫の中で、二人と一つの楽器だけが、音を持たない会話を続けていた。




