第十五話 初めての囁き
倉庫は静寂に包まれ、朝の光が埃を浮かび上がらせる。
エリシアは楽器を抱え、弓をゆっくりと握る。
肩の重み、顎当ての冷たさ、指先に残る弦の跡。
音はまだ出ない。
けれど、胸の奥で微かな振動が生まれ、鼓動のように広がっていた。
低い声の人物が、倉庫の奥で影だけを浮かべる。
長い指先がわずかに動き、肩幅や背筋の角度で空気の圧力を変える。
目は暗がりに沈み、表情は読み取れない。
それでも存在だけで、空間全体を支配する。
「初めて、囁く時だ」
低く響く声が空気を震わせる。
音ではない言葉が胸に届く。
耳ではなく、体全体で感じる感覚。
楽器を通じ、エリシアの胸の奥に伝わる。
エリシアは弓を滑らせ、指先で弦に触れる。
木肌の感触、肩の重み、指先の微かな軋み。
音は出ない。
しかし胸の奥で、確かな“返事”が生まれる。
影が一歩近づく。
肩の傾き、背筋の角度、指先の細かな動き。
すべてが問いかけと答えを紡ぐ。
音がなくても、存在は確かに共鳴する。
月明かりに映る影が揺れ、弓を引く手の動きと重なる。
楽器の木肌も微かに振動し、音ではない囁きが胸の奥で響く。
光と影、そして楽器の存在が、一つの旋律を形作る。
エリシアは小さく息を吐き、弓を止めない。
肩の重み、指先の感触、木肌の温かさ。
音はなくても、初めての囁きが胸の奥で語りかけ、二人と一つの楽器だけの会話を紡ぐ。




