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第一話:追放された元神、武士の家で育つ -2

数年後。村の広場は、子供たちの元気な声で溢れていた。


木造りの家々が並び、茅葺き屋根が日差しを浴びて穏やかに輝く。遠くからは鶏の鳴き声や、鍛冶場の槌の音が微かに聞こえ、村の日常が息づいている。


穏やかな昼下がり、10歳になった太郎は、村で一番高い大木のてっぺんに、あっという間に到達していた。その木は、村の歴史を見守ってきたかのように、太く、ごつごつとした幹を持ち、枝葉を大きく広げていた。

太郎は、その古木の幹を猿のように軽々と駆け上がり、その動きには一切の無駄がない。常人離れした身体能力は、彼にとって当たり前のことだった。


「太郎兄ちゃん、すごい!もうあんなに高いところに登っちゃった!」


「やっぱり、太郎兄ちゃんが一番だ!僕たちも頑張るぞー!」


広場で遊んでいた子供たちが、目を輝かせながら歓声を上げ、太郎を見上げる。彼らの瞳には、純粋な憧れが宿っていた。


「ははっ、みんなも頑張れよ!頂上からの景色は最高だぞ!」


太郎が木の上から笑顔で呼びかける。その声は、広場に響き渡り、子供たちの笑顔をさらに広げた。


少し離れた場所で、幼馴染の鈴蘭と、その兄が静かにその様子を見守っていた。鈴蘭の兄は、すらりとした体躯に、武士らしい落ち着きを纏い、太郎と鈴蘭にとって、優しくて頼りになる兄貴分だった。


「太郎も鈴蘭も、相変わらず元気だな」


鈴蘭の兄が穏やかに呟く。鈴蘭は、心の中で太郎の背中を見つめていた。彼女の琥珀色の瞳は、ただひたすらに、木の上で輝く太郎の姿を捉えていた。


「若様は…いつも、私の一歩先を行く。その背中は、遠くて、眩しい」


その小さな呟きは、誰にも届かない。彼女は、一族の役割、主家の剣となるべく与えられた「黒鉄」という名とは別に、太郎だけが呼ぶ本名「鈴蘭」を心の中で大切にしていた。その名前は、太郎との間にだけ存在する、特別な絆の証だった。


夕焼けに染まる木陰で、遊び疲れた幼い太郎と鈴蘭、そして鈴蘭の兄が三人きり、座り込んでいた。


西の空は茜色から紫へと移ろい、長い影が地面に伸びる。日中の熱気が少しずつ冷め、ひんやりとした風が木々の葉をそよがせる。土と草の匂いが、あたりに満ちていた。

太郎は遠くの山並みを見つめ、何かを思案するような真剣な表情を浮かべている。その瞳の奥には、幼いながらも、どこか遠い世界を見ているかのような光が宿っていた。


「太郎も鈴蘭も、いつか立派な武士になるんだぞ。俺が、お前たちを鍛えてやる」


鈴蘭の兄が、太郎の頭を優しく撫でる。その手つきは、まるで自分の弟にするかのように温かい。その横顔を見て、鈴蘭は胸の奥に秘めた淡い恋心を自覚していた。胸の奥が、きゅっと締め付けられるような、甘酸っぱい感覚。夕焼けのオレンジ色が、三人の幼い顔を照らし、その表情を柔らかく染めていた。


鈴蘭は、視線を太郎へと向けた。


「若様のその瞳は、いつも遠くを見ている。まるで、この村のずっと先、この世の果てを見ているみたい。いつか、私もその瞳に映れるだろうか…『鈴蘭』と呼んでくれるのは、若様だけ…。その声が、私の心を温かくする」


彼女の心臓が、微かに高鳴る。太郎の口から発せられる「鈴蘭」という響きは、彼女にとって、何よりも大切な宝物だった。


「…鈴蘭、どうした?何かあったか?元気がないように見えるが」


太郎の優しい声が、鈴蘭の思考を遮った。鈴蘭は、はっと我に返り、慌てて首を振る。


「いえ、なんでもございません、若様。ただ、若様が遠くへ行ってしまわれるような気がして…少し、寂しいだけです」


鈴蘭は、自分でも驚くほど素直な言葉が口から出たことに、少しだけ恥ずかしさを覚えた。


太郎はくすりと笑う。その笑顔は、夕焼けの光に照らされて、一層輝いて見えた。


「はは、何を言っているんだ。俺はどこにも行かないさ。ずっと、この村にいる。お前と、ずっと」


太郎の言葉に、鈴蘭の胸が温かくなる。その言葉が、彼女の不安を溶かしていくようだった。




平穏な村に、突如として不気味な影が差した。


それは、空気の変容から始まった。それまで穏やかに流れていた風が、ひんやりと重苦しいものに変わり、鳥のさえずりがピタリと止まる。不自然なまでの静寂が、村を覆い尽くした。


そして、その静寂を切り裂くように、遠くから響く鬼の咆哮が、大地を揺るがした。それは、人の喉からは決して発せられない、獣のような、しかしどこか知性を感じるおぞましい響きだった。村人たちはパニックになり、悲鳴を上げながら、我先にと家の中に逃げ惑う。


「鬼だ!鬼が来たぞ!皆、隠れろ!早く!」


村人の叫び声が響き渡る中、太郎の父が、腰に日本刀を差し、伝統的な武士の鎧を身につけ、家臣たちを率いて村の門へと向かおうとしていた。

彼の傍らには、鈴蘭の父と兄も、同じく鎧を纏い、固い決意の表情で立っている。彼らの顔には、村を守るという決意と、鬼の恐ろしさを知る者ゆえの、わずかな不安が混じっていた。鎧の擦れる音が、緊迫した空気に響く。


「皆の者、怯むな!村は我らが命に変えても守る!太郎、母上を頼むぞ!」


父が力強く頷き、太郎に告げる。その瞳には、家族への深い愛情と、武士としての覚悟が宿っていた。


「父上…!俺も行きます!」


太郎が駆け寄ろうとするが、母がそれを制した。母は、優雅な着物を纏い、心配そうに太郎を見つめている。


「太郎、あなたはここにいなさい!まだ子供です!危険よ!」


母の声には、太郎を案じる切実な響きがあった。


「若様、お任せを!この命、殿のために!」


鈴蘭の父が、忠誠を誓うように進み出る。その声には、揺るぎない覚悟が宿っていた。


「鈴蘭、太郎を頼むぞ!必ず、生きて帰るからな!」


鈴蘭の兄が、妹と太郎に力強く言い残し、父の背中を追う。鬼の咆哮が、村を覆い尽くすかのように、ますます大きく響き渡っていた。村は、一瞬にして平穏を失い、恐怖と混乱の坩堝と化した。


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