第五話:空を舞う弓使い、天音 -1
時刻は早朝。
朝露に濡れた森の中を、太郎、黒鉄、琥珀の三人は、琥珀の情報をもとに、人里離れた集落を目指して進んでいた。
ひんやりとした朝の空気が肌を撫で、木々の間からは、まだ昇りきらない朝日が細い光の筋となって降り注ぐ。鳥のさえずりが、彼らの足音に混じって響き渡る。
琥珀は、茶色のショートカットの髪を揺らしながら、楽しそうに先頭を歩く。
彼女は、小柄で身軽な体つきを活かし、木々を軽やかに飛び回り、時には枝から枝へと跳躍する。
その動きは、まるで森に住む妖精のようであり、彼らの旅路を軽快なものにしていた。
「こっちこっち~!もうすぐ集落だよ!あれ?なんか、嫌な気配がする…!」
琥珀は、突然立ち止まり、鼻をひくつかせた。その表情は、先ほどまでの無邪気さから一転、鋭い警戒の色を帯びている。
「まったく、落ち着きのない奴め。若様、周囲の警戒を怠りませぬよう」
黒鉄は、琥珀の行動に呆れたように呟きながらも、腰の刀に手をかけ、周囲を警戒する。彼女の琥珀色の瞳は、森の奥深くを見据え、微かな異変も逃すまいとしていた。
「ああ、分かっている。琥珀の言う通りだ、何か、不穏な気配がする。瘴気ではないが、人の気配でもない…」
太郎もまた、槍を握りしめ、森の奥を見つめた。彼の表情は、真剣そのものだった。空気の重みが、彼らの胸にのしかかる。
集落に到着すると、そこは既に鬼に襲われ、壊滅状態となっていた。
かつては人々の活気に満ちていたであろう茅葺き屋根の家々は、いまや半壊し、柱は折れ、壁は焼け焦げて黒々と煤けている。
崩れ落ちた屋根材が地面に散乱し、家々の間には、生活の痕跡がまるで時が止まったかのように残されていた。割れた陶器の破片、散らばった農具、そして、幼い子供の履物までが、無残に転がっている。
地面には、乾いた血の跡が黒く染み付き、腐敗した肉と、焦げ付いた藁の匂いが混じり合い、鼻腔を強く刺激する。村全体を覆うのは、人々の悲鳴がこだましたかのような、不気味な静寂だった。風が吹くたびに、半壊した戸板が軋み、その音が、この地の惨状を一層際立たせる。
太郎の足が、その場に縫い付けられたように止まった。彼の瞳は、その惨状を一つ一つ拾い上げるように見渡す。拳が固く握りしめられ、血管が浮き上がる。怒りが、静かに、しかし燃え盛る炎のように彼の内側で燻り始めた。
黒鉄は、太郎の隣で、その琥珀色の瞳を細めた。
彼女の体から、微かな緊張が伝わる。腰の刀の柄を握る手が、きつく締め付けられ、指の関節が白くなる。彼女の顔には、感情を表に出すことは少ないものの、冷たい怒りが明確に刻まれていた。
そして、琥珀。
彼女のいつも陽気な表情は、見る影もなく消え失せていた。
口元は固く引き結ばれ、瞳は大きく見開かれ、その光を失っている。
彼女の小柄な体が、微かに震えているのがわかる。
その瞳の奥には、憎悪にも似た、深い感情が宿っていた。
集落の片隅、かろうじて原型を留める小屋の陰に、怯える村人たちが身を寄せ合っていた。
その顔は、絶望と疲弊に満ち、生気を感じさせない。
幼い子供たちが、空腹を訴え、母親の着物の裾を引いて、か細い声で泣いている。
その声は、かろうじて聞こえるほどに弱々しく、太郎の胸を締め付けた。
「ひどい…また鬼が…!もう何も残っていない…」
村人の一人が、力なく呟く。その瞳は、虚ろだった。
「お腹すいたよ…お母さん…」
子供のか細い声が、荒れ果てた集落の静寂に響き、太郎の胸を締め付ける。
「鬼め…許さない!この惨状は…!これ以上、誰にもこんな思いはさせない!」
太郎は、拳を固く握りしめ、怒りに燃える瞳で荒れ果てた集落を見渡した。その怒りは、彼の内なる神の力を微かに揺り動かす。彼の全身から、微かな桃色の光が滲み出る。
その中で、上空から正確な弓で鬼を狙い撃つ鳥の一族の少女、天音が、たった一人で雑魚鬼の群れと戦っていた。
彼女の白い髪は風になびき、背中の白い羽が、空に映えていた。その瞳は、冷静沈着でありながら、集落を守ろうとする強い意志を宿している。
彼女の顔には、この惨状への悲しみと、鬼への憎悪が混じり合っていた。
彼女は、残された村人たちに、この集落を捨てるよう必死に説得していた最中、再び鬼が襲来したのだ。疲労困憊の様子で、彼女の白い羽は、ところどころ血に汚れている。
「早く!皆さん、こちらへ!これ以上ここに留まっては危険です!鬼の数は…!」
天音の声が、鬼の咆哮に掻き消されまいと響く。しかし、鬼の数は多く、彼女一人では限界が近い。
「あの者たち…鬼の気配を纏っています。新たな鬼の尖兵でしょうか…!この集落を、これ以上荒らすことは許しません!」
天音は、太郎たち三人の姿を捉え、その瞳に警戒の色を宿した。太郎の体から滲み出る微かな神気と、彼らの突然の出現に、彼女は鬼の仲間だと誤解したのだ。弓を構え、その矢の切っ先は、太郎たちに向けられている。
天音は太郎たちを鬼の尖兵と勘違いし、牽制の矢を放った。
矢は、風を切る音を立てて太郎の足元をかすめ、地面に突き刺さる。その矢には、微かな風の魔力が宿っていた。太郎たちは驚き、矢をかわしながら、自分たちが鬼ではないことを伝えようとする。
「そこを動かないでください!貴様方、鬼の尖兵ですか!?この集落に、これ以上手出しはさせません!」
天音の声は、凛としていた。その声には、一切の容赦がない。
「待ってください!俺たちは鬼じゃない!鬼を討ちに来た者です!」
太郎は、両手を広げ、天音に呼びかける。
「誤解です!我らはこの村を救いに来たのです!」
黒鉄も、刀を鞘に収め、警戒しながらも言葉を重ねる。
「いきなり攻撃なんてひどいよ~!」
琥珀は、不満げに頬を膨らませた。
「黙りなさい!鬼の言葉など信じられるものですか!」
天音は、彼らの言葉に耳を傾けようとしない。その瞳には、鬼への強い憎悪が宿っている。
その時、雑魚鬼の群れが、再び太郎たちへと猛然と襲いかかってきた。
彼らは、天音との戦闘で消耗しきっていたが、その数は圧倒的だ。集落の残骸へと、うねるように押し寄せてくる。その動きは、まるで飢えた獣の群れのようだった。
天音は、その数の多さに苦戦を強いられている。彼女の放つ矢は、次々と鬼の巨体に阻まれ、なかなか致命傷を与えられない。天音は太郎たちを警戒しつつも、目の前の鬼を優先せざるを得ない状況に陥る。
「くっ…!これでは…!」
天音は、焦りの表情を浮かべた。
「今は共闘です!俺たちも鬼を討ちに来ました!力を貸します!」




