#2 鑑定士、来訪
まだ空が暗いうちから目を覚まし、寝間着にしている茶色い服から黒い服に着替えます。
パッと見た感じ、ほとんど違いがわからない服だけれど、わたしの中では大分違う。茶色は使いこんでいくと黒くなるから、茶色いのはまだまだ使える証拠。
作業着として考えている黒い素朴な服は、裾の方がすり切れてボロボロになってしまっています。
一応貴族令嬢としては気にするところでしょう。けれど、肌が見えていなければ問題ありません。
すり切れてボロボロになって、服としての機能を果たせなくなっても、大丈夫。鋏を入れて紐状にすれば、髪をくくれる。
朝の日課である屋敷前の掃除を行うため、物置に繋がる梯子を下りました。
そして外に出て、箒を物置から出します。
「うー……さすがに朝は、少し寒くなってきましたね」
まだ月もはっきり見える、早朝というよりかは深夜の時間帯。
当然のことながら誰もいないし、スータレイン家の中で起きている人もいないでしょう。
これからどんどん寒くなると思いますが、わたしはこの時間が好きです。
屋敷からも、門を挟んだ通りからも、野生の動物すら気配がない時間。この時間だけは、わたしが何かをしても誰も咎めない。
誰かの目に止まることもないから、誰にも迷惑をかけない。何かを言いつけられることもない。
七日後には自由になる権利を得られると思いますが、この時間はその予行練習。
わたしのことを誰も見ない、気にしないという生活は、どれだけ素晴らしいことか。
屋敷前の落ち葉掃除はしないといけませんが、この時間か街へ買い物に行くときぐらいしか、季節を感じられません。
七日後には、わたしはもっと季節を感じられるようになる!
すぐ先の明るい未来を夢見て、今日の掃除を再開しました。
先々代の陛下から賜っただけあって、スータレイン家は男爵なのに庭がそこそこ広いです。
外壁沿いにはガラヴェンダ国の特産でもある、椎ノ木が植えられています。この木には、本当に助けられていますね。
もうそろそろ収穫時期が終わってしまうけれど、ドングリは良いです。殻を割ると中の種子は白く、生で食べると少し甘い。
食事抜きをされた年の秋。食用になると初めて知りました。
それに、シイタケの原木にもなるらしいです。育てたことはないけれど、どんな味なのでしょうか。
わたしが着ている、黒や茶色。これも椎ノ木で染色できるようです。詳しい方法は知りませんが。
衣食を支えてくれる――いえ、住もですね。建材や家具材になっていると聞きました。わたしにとって椎ノ木は、なくてはならない存在です。
今日も幹を抱きしめてから、周囲に落ちた葉を掃除して一箇所にまとめました。それが風で飛ばされないように布を被せたら、屋敷前の掃除は終わり。箒を物置へ戻します。
次は、屋敷の中。
わたしはいつもよりも少し気を使いながら、今日来るという客人のために掃除を手早く終わらせます。
屋敷中の掃除が終わる頃、食事担当の料理人と遭遇。わたしと目が合ったけれど、会釈もない。
いつものことだと思ってそのまま厨房の前を通過しようとすると、トレーに乗せられた食事をぞんざいに渡されました。そのせいでスープがこぼれてしまっているけれど、朝から食事が出るなんて珍しい。
しかも今日は、若干カビがあるような気がするけれどまだ食べられるパンもあります。なんて豪華な朝食でしょうか。
トレーを持って屋根裏部屋に続く物置まで向かうと、ジュリーが部屋着のドレスを着て腕を組んで待っていました。
「良かったわねぇ、お姉様。そんなに豪華な朝食で」
「そうね。こんなに豪華ということは、今日のお客様が帰るまでは屋根裏部屋から出るなということかしら」
「わかっているじゃない! お姉様みたいなみすぼらしい令嬢がいるなんて、ケレイブ様に知られるわけにはいかないの」
そう言って、ジュリーは去って行きました。
どうでも良いけれど、ジュリーは件のお客様と親しいのかしら。もし婚約者でもないのに名前を呼んでいるとしたら、相当失礼なことだと思うのだけど。
……まぁ、わたしには関係ないことね。どうせ、会うこともないし。
ジュリーに食事をダメにされなくて良かった。今日は侍女を連れていなかったから、きっと自分が汚れるのは嫌だったのでしょうね。
わたしは物置部屋で朝食を取り、トレーを扉の近くの台に置きました。
それから言いつけの通り、屋根裏部屋へ行きます。
本日のお客様は、恐らく鑑定士の方でしょう。鑑定するにはお金を払わないといけないのだけど、その請求はどれくらいあるかしら。
ジュリーのはしゃぎようを見ると、もしかしたら高名な方なのかもしれない。そうなると、大鉄貨一枚では足りなくなる可能性も。
いえ、ちょっと待って。ジュリーが口にしたお名前は、聞いたことがあるような……。
わたしでも覚えのあるような、鑑定士様。これは恐らく、鑑定額が跳ね上がるでしょうね。
……埋め合わせのために、しばらくわたしの食事は二日か三日に一回あれば良い方かしら。いえ、五日に一回くらいかしら。
今は一応、毎日食事はあります。ただし、一回だけ。それもスープの残りのようなもの。
野菜の屑が入っていれば良い方で、大抵は薄ーーーーい味があるだけの、ただの水分。
これからどれくらいの間、食事が制限されるのか。もし制限されるとしたら、朝の掃除の時間にドングリをかき集めておかないと。
自由になれる可能性がある、七日後はせめて元気に出て行きたい。
自由もない、執務室に閉じこめられるのに家の雑事をこなさなければいけない。そんな一日で、人生を無駄にしたくない。
これから食事制限をされる原因になるかもしれない、本日のお客様。鑑定士様はどんな人かと、わたしは屋根裏部屋の雨戸を開けました。
「やあやあやあ、ようこそおいでくださいました」
何もすることがない、暇すぎる時間を持て余し、うっかり睡魔に負けてしまいました。
わざわざ出迎えに行ったと思われるお父様の声が聞こえ、ハッと目を覚まします。
屋根裏部屋の雨戸から、ひょいと顔を出しました。家族の様子は死角になっていてわからないけれど、きっときちんとした格好をしているのでしょう。
そう感じさせるほど、馬車から降りたばかりの御仁は目を引きました。
秋の日差しを反射する髪は見惚れるほどの金色で、人を選ぶような意匠の外套は彼の背の高さを表しているように見えます。
瞳の色は残念ながら確認できないけれど、きっと瞳も人の目を引くような綺麗な色をしているのではないでしょうか。
その御仁の斜め後ろに控えるのは、補佐官と思われる女性。淡い紫の髪を、きちっと結い上げています。
上司と部下というには真剣すぎるような眼差しが見えたのは、彼女が背の高い御仁を見上げているから。
「っ!」
その御仁が急に顔を上げたような気がして、わたしはとっさに身を隠しました。
外に出るなということは、わたしの存在を知られるなということ。
素早く動いたので、きっと姿を見られてはいないはず。けれど、もし見られていたら。
きっとジュリーが烈火のごとく怒るのでしょうね。そうなったら、その怒りが静まるまでされるがままにならないといけないでしょう。
なんて、面倒な。
二度目の挑戦はせず、わたしはそのまま屋根裏部屋の床に直接敷いてある布団で寝ることにしました。
寝ていれば、あの御仁が帰った後に呼ばれるでしょう。
そう思っていましたが、不意に屋根裏部屋の床――物置部屋の天井からゴツンゴツンと棒で突くような音がしました。