第27話 Rats running away
第二王子の執務室。
アカデミーの隅にある一室にて、アーデルベルトは叫んだ。
今まで味わったこともない「屈辱」と「絶望」をである。
「何故、誰もいない? 側近どもは何処へ行った!?」
いつもはアーデルベルトを囲み、褒め称えてくれる側近が誰も執務室にいない。
眼前にいるのは最側近たるアルバン一人である。
アーデルベルトとてわかっている。
いくら愚かなアーデルベルトとて、何故こうなったかは理解できている。
それは――
「貴方がエドガーを見捨てたことで、側近たちの恐怖が限界に達したようです。次に見捨てられるのは我々だぞと。まあ、こればかりはどうしようもありませんな」
アルバンが冷酷に答えた。
わかっている。
アーデルベルトが如何に愚かとて、あの行為が側近の離反を招いたことは嫌と言うほどわかっていた。
だが、しかしだ。
「ではどうすべきだった? 私とて、エドガーを見捨てたくて見捨てたわけではない。ああしなければ、私が父に殺されていたではないか! 他に道はなかった! エドガーとてあの世では納得してくれよう!!」
どうすべきだった?
そんなの簡単だろ。
お前らが最初から、トラクス殿との約定を守っていれば良かったんだよ。
アルバンは思わずそう口にしそうになったが、やめた。
戦争捕虜風情との約定を守る?
何故?
そう不思議そうに聞き返してくるだけで、話がまるで進まないことが目に見えているからだ。
このような考え方の人間がどうして生まれるのか、アルバンには不思議で仕方なかったが。
まあ、生まれつき駄目なんだろうと諦めるしかなかった。
人と人との約定を大事にせよと口酸っぱく言葉を尽くしたところで、相手を尊重したり敬意を見いだせない人間に何が伝わろう。
エドガーは農奴や剣奴に神はいないと信じていた。
きっと、アーデルベルトに至っては市民にさえ神などいないと思っているだろう。
なにせ、自分が次期王太子だというとんでもない勘違いを未だにしている人間だ。
自分は神に選ばれた存在だから、何をやっても許されるというおぞましい勘違いをしているのだ。
王権神授説というものを根本的に誤解していた。
「――」
「――」
少し、会話が止まる。
アルバンが答えなかったからだ。
アーデルベルトにはこうした時、いつもならば「おもねり」の言葉を送る側近がいるのだが。
今はどこにもいない。
「側近どもは何処へ行った?」
今度は絶叫ではない。
人間である以上は、煙のように消え果てるわけがない。
今どこで何をしているのだ?
そんなアーデルベルトの単純な疑問であった。
「まずはアカデミーの退学申請を出しに行ったようですね」
「アカデミーから逃げるつもりか!?」
「そのようですが、まあ却下されたようですね。自主退学とはいえ、王妃様あるいは公爵家の許可が必要なのですが、それは出しません」
逃がしてたまるか。
アレクサンダー王の怒りからは逃げられない。
シュテファンのように、元々家族から絶縁されている立場ならばよい。
姻族関係終了届をすでに出し終えた、その親族に連座はないだろう。
だが、エドガーのように家族から絶縁されているわけでもなく、またその親族も愚劣であるならば話は全く別だった。
「大掃除」の対象である。
エドガーの実家である伯爵家は、現在コロッセウムの観客たる市議・貴族・富豪商人達から、約定も守れぬ恥知らずとしての風評を被っている。
このまま潰れて、そのうち消えてなくなるだろう。
それがアレクサンダー王の手によるものか、風評により周囲の貴族から絶縁を受けての、どちらが原因になるのかは知らないが。
おそらくは両方だろう。
「却下したと。では、何故アカデミーにいない?」
「アカデミーにいることまで強制できるわけではありませんので。まずはそれぞれの実家に帰ったようですね。今後の算段を練っているのでは?」
無駄だと思うがな。
逃げたところで、イザベラ嬢への根拠のない侮辱が消えてなくなるわけではないのだ。
決闘裁判の当事者であることに変わりはない。
おそらくマトモな実家にとって、一番良い手は「息子を見捨てる」の一択である。
これを是非お勧めしたい。
どのような手段を用いてもよいから、姻族関係終了届を提出することだ。
それがマトモな実家であれば、アレクサンダー王に許されよう。
だが――期待薄だな。
マトモな貴族ならば、普通はアカデミーへの入学なんぞを許可せんのだ。
女子ならばまだいいが、男ならば余程特別な事情(具体的には、この私であるアルバン)を除いては単に兵役拒否をしただけの貴族の恥と看做される。
息子可愛さにアカデミーに入学を許した実家が、「息子を見捨てる」という最適解に走れるものかは怪しい。
「まあ、戻ってくると言うことはありますまい。おそらく、二度と顔を合わせることはないでしょう」
ともあれ、もう二度と顔を合わせることはない。
あの阿呆どもの顔を見なくて済むとなれば、せいせいする。
アルバンは大きくため息を吐いたフリで――安堵の息を吐いた。
「私を見捨てたと言うことか! この主君たる私を!!」
お前が先に配下たるエドガーを見捨てたんだがな。
一々突っ込むのも馬鹿馬鹿しくなってきたが。
「……アルバン、私は一体どうすればいい!?」
困惑している。
出来れば自害をオススメしたいところだが、それも困る。
アレクサンダー王が望んでいるのは、第二王子、王妃、我が父である公爵とそれにおもねる阿呆の一斉駆除だ。
ザクセン王国における内憂の整理整頓である。
それこそがもうすぐ儚くなってしまうアルミン王太子と、亡き盟友アッカーマン辺境伯への「はなむけ」になると、アレクサンダー王はもはや狂信の域に至っている。
アーデルベルトには、もっと恥を晒してもらわねば。
もっともっと恥を晒して、アレクサンダー王が「ああなさる」のも無理はないと、誰も彼もに思われなければならぬ。
「そうですな、ともあれ決闘裁判に勝ちさえすれば、何もかも解決します。アーデルベルト様の正義が証明されることになりますので」
「そうか、確かにそうだな」
どうやら、気を取り直したようだ。
はあ、と一つだけ大きなため息を吐いて、顔を抑える。
「だが、決闘裁判を託せる者が見つからぬ」
「……」
整理しよう。
アーデルベルトは三つの大きなミスを犯している。
一つ目は、剣士シュテファンを見殺しにしたこと。
二つ目は、誇り高きトラクスとの約定を反故にしたこと。
三つ目は、『小銭拾い』のエドガーを身代わりにしたこと。
つまり、この雇用主は自分が敗北を認めたくないあまりに決闘代理人を見殺しにするし。
確かに約束した報酬も払わないし。
自分の配下でさえ、いざとなれば自分可愛さに切り捨てると言うわけだ。
強盗騎士でも、もっと仁義くらいあると思うが。
駄目だな。
いくら金を積んでも、せっぱつまった金銭苦の傭兵にすら「ヤダ!」の一言で返されておしまいだ。
これでは決闘裁判自体が成り立たないのでは?
「なにか考えはないか、アルバン。認めよう、敵は卑劣だが強力だ」
「はあ」
え、今更それに気付いたのか。
まあ卑劣でも何でもないが、強力であることは間違いない。
そこにようやく気付いたことだけは褒めるべきかもしれない。
赤ん坊がようやく歩き始めた程度の気づきにすぎないが。
「私にはさっぱりです。アーデルベルト様なら何か良いお考えがあるのでは?」
「……」
私はとりあえずスルーした。
最悪は、逃げた側近を強引に連れ戻して、そもそもの当事者として決闘裁判に参加させれば良いだけだからだ。
ここから先は、余計な事を口にする必要もなかろう。
アーデルベルトは考えている。
何かを必死に考えている。
「アルバン、金で誰かを雇うことは可能か? 例えば剣闘士に今度こそは大金を支払いて出場させるというのはどうか?」
「前金払いならばあるいは、ですが、剣闘士はもう応じてくれませんよ?」
「何故?」
何故? ではない。
当たり前だろうが。
「私が出向いて何をどう頭を下げたところで、興行主と上級剣闘士相手にした約定破りが覆るわけではありません。頭をサンダルで踏まれて御終いですな。『貴様は我々剣闘士の誇りを穢した。試合を汚した。失せろ』と興行主にけんもほろろに断られるのがオチですよ」
実際のところは、ちょっと違う。
トラクス殿がいなくなったことに関しては、興行主は心底残念そうにはしていたが。
裏で話は通っていたらしく、このアルバンがトラクス殿との約定を確かに守ったことについては甚く感謝してくれた。
だが、それをアーデルベルト相手に口にする理由はない。
「剣闘士風情が! なら……傭兵ならば?」
「傭兵もピンキリです。ご存知ですか、例えば初戦の黒騎士ヨルダン。あのクラスの傭兵は紛れもなくピンの方です。そして、そのピンは信用・契約に異常なほどこだわります。今後の商売にも関わるからです。約定破りをした殿下の契約は受けてくれません」
あの黒騎士ヨルダンほどの男ならば、公爵家で雇い入れたいぐらいである。
というか、あれほどの騎士ならば自分の側近に欲しいぐらいである。
勧誘に成功したイザベラ嬢が羨ましいほどだ。
ああいうタイプは、金貨を積んでも信用を損ねる仕事は受けない。
絶対に主君を裏切らぬ。
「キリの方でよければ雇えますがね」
「……それで、あの七騎士に勝てるか?」
無理に決まってるだろ。
キリの方には前金を支払ったところで、金を持って逃げられるのがオチだ。
なるほど、あの中でも間違いなく最強であったヴォルフガング卿はもういない。
だが、残りも戦場を潜り抜けてきた海千山千の騎士たちであることに変わりはない。
しかも金のためでなく、イザベラ嬢の名誉のために怒り狂える男たちだ。
そもそも金ごときで雇える人間で、立ち向かうことは困難だ。
「無理ですな。金銭のみでの解決は困難かと」
そう告げる。
正直、こういうときにこそ戦友が集いて守ってくれるのが、本来の騎士の在り方なのだが。
アーデルベルトは騎士どころか貴族としてすら怪しい存在だ。
そして、もはや誰からの信用もない。
いや、まだ一人だけいるか。
「仕方ない、母に縋るしかないか」
いかれたクソババア(王妃テレージア)という味方が。
だが、それはそれで都合がよい。
血迷って王妃親衛隊のモヤシ騎士でも出してくれれば、負け確だからだ。
「それがよろしいかと」
しれっと私はそう口にして。
まあ、せいぜい頑張ってくれという心境で、小さな溜め息をついた。