第26話 Romancing SaGa
スローン・ルーム(玉座の間)。
二つある玉座の片側にアレクサンダー王が座り、もう片方は空座である。
王の正妻――王妃テレージアは不在である。
未だに、馬鹿息子アーデルベルトのために一人でも英傑が集まるように奔走しているようだ。
まあ、政治に何の役にも立たぬ女の顔など見たくもないので構わないし。
今回はその方が都合が良かった。
むしろ、あの女がいない隙を狙っての行動だった。
そうトラクスは考える。
「さて――ここに皆を集めたのは他でもない。トラクスが故国に帰り、見事王になった暁には相互不可侵とする条約を締結したい。皆もすでに承知しておるな?」
アレクサンダー王が玉座から周囲を見渡しながら尋ねる。
「言うまでもなく。委細準備は整えております」
アルミン王太子から借りている側近クラウスが答えた。
「何の不満もない。望み通りだ」
そう言いたげに、トラクスも頷いた。
「私は何も聞いていないのですが? せめて説明だけはしてください」
一人、アルバンだけが何の説明もされずに兄クラウスに呼ばれ、所在なさげに中央で立っていた。
なんで私が呼ばれたのだと言いたげに。
「おや、アルバン殿。貴殿がクラウス殿を通して、さらにアルミン王太子を経由し、アレクサンダー王に恩赦を訴えてくれたのであろう? 功績者を調印の場に呼ばぬほど、私たちは狭量ではないぞ」
「いえ、はい、確かにそうなのですが」
トラクスの質問に。
しどろもどろになりながらも、アルバンは答えた。
確かにそれはそうである。
何一つ嘘ではない。
事実ではあるが、そんなに大したことをした覚えはないのだが。
兄であるクラウスを見つめる。
「アルバン、トラクス殿がお前を立会人に選任してくれたのだ。これはザクセン王国史にも、敵王国史にも未来永劫残る名誉なことだぞ。感謝しておけ。この功績は、お前の今後の役職にも繋がる。将来は外交官なんてどうだ?」
性格の悪い兄は、そう呑気なことを言って笑うが。
現状、そんなことやっている場合ではないだろうが。
「いえ、あのですね。私は――」
「わかっている。王家側が放った、アーデルベルトへのスパイであろう? 貴殿ほどの人物が、あの愚劣の側近だなんておかしいからな。誰がどう見てもわかる」
わかっているなら、呼ばないで欲しいのだが。
現状スパイの立場である私が、立会人なんて出来るわけないだろうが!
いくらなんでも裏切り者だって、どんな愚鈍相手でもバレるわ!!
「安心せよ、この相互不可侵条約が明かされるのは、トラクスが王になってからよ。何年後の事になるかもわからん。その頃には全てが片付いておる予定だ」
「それならば良いのですが……」
少しだけ安心をする。
「何、三か月以内には決闘裁判が全て片付いているのだろう? 王になるには、さすがにそれ以上の時間はかかるさ」
トラクス殿もこう仰っておられるのだが。
なんだか、一年もかからずに敵対国家の王になってしまいそうな。
そんな覇気をトラクス殿から感じている。
「さて、調印をしようか。すでにこちらはサインに印璽を押してある。そちらもやれ」
「印璽などないぞ? トラクス男爵家の指輪印章でも良いか? もはや我が男爵家は故国にないのだが――」
「なんでもかまわん、なんでも。故国に帰れば、トラクス男爵家の家紋を王家の紋章として掲げよ。後でなんとでも帳尻がつくであろう」
なんとも雑な相互不可侵条約の締結もあったものである。
クラウスが渡したそれに、トラクスがサインと指輪印章を済ませた。
確かにそれを受け取り、アルバンは文書内容を確認する。
「すいません、少しトラクス殿に質問が」
「何かね」
「不可侵条約の期間において――『少なくともアルバン卿が生存している間』とありますが」
どういう意味でこんなこと書いたんだよ。
そんな目で、トラクス殿とアレクサンダー王を交互に見る。
「ああ、これはアルバン殿の安全保障のためでもある」
「安全保障?」
「決してアルバン殿をスパイとして使い捨てにしたりなんてしない、という確約だな。私は恩知らずではない。受けた恩は返そう。この程度の気遣いを見せてもよかろう?」
そう言って、トラクス殿が笑った。
それは有り難いのだが。
『立会人の人命が続く限り』の国家間相互不可侵条約なんてアリなのか?
真面目なアルバンは、ついそんなことを考えてしまう。
「アルバン、深く考えるな。二人とも真面目なふりをして、遊んでいるだけだ。どうせアルバンが死のうが死ぬまいが、あと50年は両国に戦などやってる余裕はない。どれだけ荒れくれた戦が続いたと思っているんだ。この条約は相互にとって利益だから、まず破られぬ」
「あ、やっぱり遊んでいるんですね」
アレクサンダー王も、トラクス殿もいい加減なものである。
人には真面目な礼儀を望むくせして、王の立場ともなれば案外適当なものだ。
アルバンは呆れかえった。
「なんだ、何が不服なのだ。貴様、王家に何か不満でもあるのか」
「歴史に残るぞ。将来は何か本でも書いておくと良い。浪漫ある叙事詩の主役にだって成れよう」
アレクサンダー王とトラクス。
いや、『二人の王』は何故かアルバンを責めた。
理不尽である。
アルバンは歴史になど別に名を残したくなかった。
できれば遠い田舎で、少し領民に優しいだけだったと故郷史に残るような領主でもやりたかった。
だが、それは許されないようだ。
自分の未来など、今後も、アレクサンダー王に都合のよいように操られて。
あるいは、トラクス王に外交官としてこき使われる予想しかできない。
それも全ては、アーデルベルトへのスパイという役目を無事果たしきった後の話であるが。
「まったくもう」
アルバンは大きなため息を吐きつつも。
相互不可侵条約の調印文書を隅から隅まで確認して、自分のサインを加えて。
見事に条約文書を読み上げ、両国の王を満足させた。
その姿は、両国の立会人として何の不足もなかった。
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相互不可侵条約の調印から数時間後。
そんなことがあったとは知らぬヴォルフガングが現れる。
玉座の間では王と、その親衛隊隊長のディートリヒが待ち受けていた。
アルミン王太子はいない。
以前とは違い、五年前の戦傷で足を失った彼は、未だ寝室のベッドに眠っている。
許されるならば、後であの御方にも挨拶をせねばならぬな。
そんなことを考えながらも、ヴォルフガングは王の眼前にて膝を折り、礼を尽くした。
「さて、ヴォルフガング。たっての願いがあるとの事であったな」
「はい」
「我が王家が与えた騎士身分を返上したいとの話であると、ディートリヒからは聞いておる」
騎士を辞める。
騎士を辞めるのだ。
アルミン王太子の慈悲から与えられた、王家に仕えずとも許された騎士身分。
それを自分から願い出るなど、誠に愚かな事と、王には責められるかもしれぬな。
そう考える。
「理由はやはり、決闘裁判にてトラクスに負けたことか?」
「まあ、そうなりますな」
「愚かである、とまでは言わんよ。貴卿の誇りは理解しよう。おそらくは決闘裁判に負けた場合の誓いであろうから、それは確かに実行すべきだ」
アレクサンダー王は意外と優しく、そう理解を示した。
少しだけ、間をおいて。
そして王は尋ねた。
「今後は何とする?」
「まずは故郷に、アッカーマン辺境領に帰ろうと考えております。あそこには母も兄も弟もおりますし、住まいを構えるには最適かと」
アッカーマン辺境伯の子息に許可を得て、屋敷の一つでも拵えようか。
上級剣闘士時代に稼いだ貯蓄がある。
それこそ、人生を何度も繰り返せるだけの金が。
だから、どんな放蕩生活を送ろうと困りはしなかった。
「それから、どうする?」
「さて――どうしましょう」
そこから先は考えていなかった。
嫁でも探すか?
小さな剣術道場をやるというのもよいかもしれない。
ああ、屋敷ではなく、最初から兵士養成場を作ると言うのもいいな。
何、剣闘士時代に下級の剣闘士を訓練する立場でもあったから、養成には慣れている。
色々と思い浮かぶが。
まあ、何より優先すべきことはある。
「まずは決闘裁判が終わるまでは、ともかくイザベラ嬢と戦友に寄り添おうと考えております。その間に何か良い考えが思いつくでしょう。時として妙な事から、考えが思いつくと言うこともありましょうし」
「また適当な」
ディートリヒが呆れたような声を出した。
王太子親衛隊解体後は、流浪の騎士になるかもしれぬと噂の貴方にだけは言われたくないのだが。
ともかく、私は苦笑いをした。
「貴卿が、ヴォルフガング卿が人生二度目の主君を見つけられることを祈っておる」
私はアレクサンダー王からの慰めの言葉を受け止めた。
きっと、それはないだろうが。
「有り難く」
神妙に応える。
ヴォルフガングの騎士身分返上による騎士としての死。
本日この場にて、この決闘裁判における二人目の騎士が死んだ。
7 Knights to die(二章「Romancing SaGa」) 完