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第六夜

「神様」への執着が高じて自らの命を危険に晒す沙智に、イザヨイはしばしの別れを告げる。他方、金曜日の夜を恋人と過ごす眞輝の背後には、睦まじい二人を見つめるあの女の幽霊の姿があった…。




 「聞いたよ、牡丹の子のこと突き放したんだって?」

 月曜日の午後三時、名札掛けの前で同期のナマメに話しかけられた。引きずりそうな黒のロングコートに身を包み、襟を立てている。

 「状態が悪いのに敢えて会わないなんて。剛胆」

 「いや、これで私が血相変えて優しくでもしようものなら終わりだなと思って」

 自殺に訴えることで私を支配できると学習すれば、沙智は確実に同じことを繰り返すだろう。尤も、彼女のその行動様式は既に年季が入っているわけだが。

 「突き放した方が落ち着く? はあ、でも、相手を信用してないとできないよ、それは。到底まねできないな」

 札を返そうと取った手がぴくりと止まった。朱塗りの面に彫り込まれた〈十六夜(イザヨイ)〉の文字が黒く輝いている。

 「いや……、これで鎮まるほど容易くはないと思ってる」

 私が構わなかったせいでこうなったと咎めるためにどれほどの用意をしていることか、考えるだけで胃が痛い。

 「そうなのか……。(やつ)れるわけだね」

 「窶れてる? 私」

 「窶れてるよ」

 そうかなあ。どちらかといえば気がかりの中心にあるのは沙智よりも眞輝のことだ。

 一昨日、例の死霊目撃の件で冥府の出張所に報告に出向いた。その機会に先方が特定済みという身元を照会し、死神課が保管している記録からその死亡経緯を調べた。

 仁科(にしな)(あかね)。二十四歳、在職者。去る十月四日、帰宅途中に危険運転車両の事故に巻き込まれて亡くなった。眞輝が縊首(いしゅ)自殺を図った日のわずか六日前だ。対応した事後処理班の死神に昨日問い合わせたところ、死亡時の彼女は事態をすんなりと理解し、冥府に引き渡すまでの道中もおとなしく、確かに三途の川を渡ったという。それがどうしたことか今は下界に舞い戻り迷っていると聞き、元担当も驚いていた。

 私に掴めたのはそこまでだ。先に事務に立ち寄ったが、各部署からの調査要請への回答は今日も(なし)(つぶて)である。

 「あのさ、誰だったか、先輩も言ってたよ、自分が救うと思わないことだって。外科的な処置ではどうにもならなくて、本人が乗り越えるしかないようなケースの場合、私たちの役目はただ死なせないように時間稼ぎをすることだって。――なんて、私が上から言うことじゃないか。イザヨイは期待されてるからね、難しい子ばかり任されちゃうんだよね」

 「ちょっと待て。何それ、何の話?」

 ナマメはおどけるように首をすくめた。

 「あらやだ、謙遜。みんな言ってるよ、ふつう牡丹みたいなケースを一年目の新神に任せたりしないって。あなたイナミさんに気に入られてるんだよ」

 「ねえ……、そういうの本当に要らないんだけど」

 勘弁してほしい。あらゆる意味で。


     ***


 信用ということなら、私ほど相手を信用しない死神はいないだろう。

 一昨日も、私は朝から死霊のことで冥府に出向こうとしてアシタレに呆れられた。わざわざ私が出向かなくても、文書で伝えればいいだろうと言うのだ。


 《幽霊のことで一刻を争う必要がどこにあんねん。当の本人は彼女とお気楽にデートしてたんやろ? それやったらもう心配いらんのんちゃう》


 そうならいい。デートできるくらいなら死なないというのが本当なら、いいが。

 ――淳也(じゅんや)。眞輝が調子よく振る舞うのを見ると、彼のことが思い起こされる。最後に会った時に彼が見せた笑顔を私は忘れることができない。他で見たことのない、晴れ晴れとしてすっかり楽になったような笑顔だった。

 私は彼が良くなったのだと思った。こんなふうに笑えるようになったのだからもう大丈夫だと楽観して別れた翌日、彼は朝の踏切に消えてしまった。

 まだ桜も咲かない頃だった。



 「久しぶりですね。木曜以来だから、四日ぶりですか」

 下界は雨の日が続いて四日目になる。以前にもまして物の少なくなった部屋で、眞輝は相変わらず元気そうだった。

 「どうぞどうぞ、また何にもないですけど、そこ座ってください」

 冷蔵庫を覗いてみて閉め、流し台の上に取りつけた乾燥棚からマグカップを二つ取る。

 「昨日、一昨日とまた昔の仲間と会ってました。今週も水、金と約束済みです。相手はそれぞれ別ですけどね。土日はちょっと移動して、昔馴染のところに一泊します。俺なかなかに忙しいんですよ、今。毎日充実してます」

 こちらから訊くまでもなく挨拶回りの予定を語る彼は、楽しげなのだった。ケトルの湯を注ぐ音がリズムを刻み、何やらスパイシーなあまい香りが台所から漂う。

 「それで時間のあるときは、片づけをしているわけですか」

 「なかなか進みませんねえ。本なんかはそのまま売りに出せたんですが、CDは一応、思い入れがあって集めたものばかりなんで。最後に一通り聴いてからにしようと思って、今、一枚ずつ順番にかけてるんですよ。だからなかなか」

 答える声はのんびりとして、引越しの準備が(はかど)らない話でもしているかのようだ。戻って来た彼は炬燵テーブルの上にマグを置き、ジャージのポケットからミカンを三つ出して私の前に並べた。よい香りのする茶に浮かんでいるのは屠蘇散に似たティーバックだった。

 「薬膳茶ですか。おもしろいものを飲むんですね」

 「チャイっていうんですかね。彼女が好きでよく買って来るんです。で、自分が来た時用に置いてくんです」

 ミカンも食べるよう私に勧めて、自分も一つ剥き始める。茶に口をつけると、香りに反してヒリヒリとからい。

 「あまり片づいていると、今度来た時に彼女が驚くでしょう」

 「まあ、もう呼ばないつもりです」

 ひどくあっさりと宣言して、眞輝は半分に割ったミカンを口に放り込んだ。

 「あなたの異変に気がついて、乗り込んできたら?」

 「それはないので大丈夫です。美優(みゆ)に、彼女に気づかれることはありません」

 「なぜそう言い切れるんでしょう」

 残りの半分の筋を取る手を止め、彼は私の目を見た。

 「もとから全部が夢だからですよ。俺は俺がみんなのために見せてきた夢の中にしか存在しない。だからすべては俺の筋書き通りに進むんです」


 なぞかけのように言って、眞輝は薄く笑った。

 「周りの人間はあなたのシナリオに従うただの人形ですか」

 「逆です。すべては俺の犠牲のもとに成り立ってきたからこそ、みんなからすれば取るに足らない夢から覚めるみたいに、俺はここから離脱することができるんです」

 半分になったミカンの筋を一つ一つ丁寧に剥き取り、一房取って口に入れる。

 「あまり対等な関係と呼べるものではなかったから、それを絶つことも惜しいとは思わない、ということですか」

 「対等ではなかったでしょうね。けど、こないだからとこれからの時間に会ってくのは、俺にとって大切な繋がりばかりです。死を前にして逃げ込めるものが残っていたらまずいんです。だから今、俺はそういうものとか(しがらみ)を一つ一つ片づけているんです」

 そこで言葉を区切ると、眞輝はフフッと笑いを漏らした。

 「狂ってんなあ、この会話。すいませんね、疲れますよね」

 淡々と沈んでいた声音に唐突に張りが戻る。

 「負担ならば切り上げましょうか?」

 「いや、俺はむしろありがたいんですよ、この関係も。あなたとも、もっと腰を据えて語り合いたい気もあるんですがね。如何せん、さっきも言ったようにまだ忙しいんで。もうちょっと、目処が立ってからでないと」

 目処、と言うのもあくまでも忙しい人の口調だった。座ったまま手を伸ばして手帳を引き寄せ、栞紐を挟んだページを睨む。

 「来週の後半――ああ、土日はふつうに休みですか? さすがに」

 「いえ土日も、うちの課は年中無休でやってますよ」

 率直に答えると、眞輝は不審そうに眉を曇らせた。

 「――ん? じゃあ、イザヨイさんが休みの日は代理の神様が来たりするんですか」

 思いがけない切り返しに、私も意味を掴みかねる。

 「代理が行く、という話は私の班では聞いたことがないですね。早く上がらせてもらう日はありますが、私が全休をいただくことはないです」

 「嘘でしょ」

 眞輝は飛び退くように大げさに後ろに手をついた。

 「残念ながら本当です。休みようがないので」

 「いやいやいや駄目ですよ、そんなの。どんだけブラックなんすか」

 上体を戻し、恐ろしいものを見る目で私を見つめる。先ほど風変りな言い回しで自分のことを話していた時とは打って変わって、声が大きい。

 「いいですか。そういう仕事はチーム制にして輪番にするとか、土日は窓口を別にして緊急のやつだけ当番が対応するとか。全体で機能が止まらないシステムにして、個々の労働者はちゃんと休みを取るんです。改革しなきゃ、あなたが偉くなって。ていうか、もう辞めていいですよ。そんな仕事、即刻辞めた方がいい」

 身振り手振りを交え諭すように滔々と捲し立てるので、私はつい吹きだした。

 「あなたが私の心配をするんですか」

 「笑い事じゃないですよ、まじめに。……死なないでくださいね」

 どの口が言うかと笑うには、真剣な様子なのだった。

 「今のその反応と、自分の命に対するあなたの考え方はどう並び立つんでしょうね」

 「並び立ちませんよ、そんなもの」

 目を逸らし、居心地悪そうに座布団の上に立つ。

 「ただ俺は、もの凄く不真面目な理由で死ぬんです。別に不幸でもなければ、生き続けられない正当な理由もない。そんなのは許されないからあなたが邪魔しに来たんだって、ちゃんとわかってますよ。けど、そうまでして残す価値なんか俺にはないって言うんです」

 今度は苛立った様子でCDラックの方へ行き、床に座り込む。

 「今日はもう、帰ってください。なんだか混乱して疲れました」

 頭を抱える背中がこれ以上の対話を拒んでいた。私は立ち、静かに告げた。

 「そうですか。ではまた時機を見て来ます」

 彼は応えなかった。


     ***


 ――なぜあの局面で彼は感情的になったのだろうか。

 眞輝について不可解な点を数え上げればきりがないが、そのことばかりは巡回の間中気にかかって心を離れなかった。訪問中に他のケースのことが意識にのぼるなど、あってはならないことなのに。午前二時、反省と自己嫌悪を引きずって北第四庁舎に戻る。

 ウミヤメ様の執務室に通じる渡り廊下の壁面が名札掛けになっており、点々と灯される火灯りに八千余りといわれる死神の名がぼんやりと浮かんでいる。この時間に朱塗りの面が表に返っているのは我々自殺対策班か、夜勤の神だ。そう、他班はとうの昔からシフト制を取り入れている。我が班だけが担当制を理由にこういう働き方を続けている。

 ずらりと並ぶ札の中に、印の付けられたものがあるのを私は見つけた。近づいて見ると、私の札である。札を掛ける鋲に柿色の紙縒(こより)が結び付けられている。

 もしやと思って(ほど)き取ると、紙縒はひとりでに開いて短い文書を現した。

 《福神(ふくのかみ)(えにし)班ヨリ返信 事務》

 深夜に事務室が開いているだろうかと訝りつつ、暗い回廊を巡る。本堂の西に位置する室の引き戸の上には、果たして赤い提灯が明かりを灯していた。当直の鬼は居眠りをしていたが、先ほどの紙縒を見せると眠い目をこすりながら柿色の栞を挟んだ文書を棚から出してきて交換してくれた。待ちに待った情報提供書である。

 詰所に移動する間も惜しまれて、その場で厚紙の表紙を開いた。

 「ん?」

 一枚の図面に表された良縁悪縁の見取り図は、やたらと朱色の罰印の目立つものだった。〈幼馴染〉と付された仁科茜の名も朱の罰印で消されている。

 仁科茜――私は素早く凡例に目を走らせ、息を呑んだ。


 朱の罰印は死別。


 仁科茜だけではない。彼の周りを親しい者の死が取り囲んでいた。


■登場人物

イザヨイ:生命省人間庁人口調整局死神課自殺対策班青年係の新神

ナマメ:同じく自殺対策班青年係の死神。イザヨイと仲のよい同期

沙智さち:自殺行為を繰り返す二十八歳の女性。組紐は牡丹色

眞輝まさき:二十五歳の青年。組紐は柿色

死霊:眞輝の周辺に度々出没する若い女の幽霊

アシタレ:イザヨイの恋人。三途の河原で鬼をしている

イナミ:直属の上司。三期目で祟神課から異動してきたばかり

ウミヤメ:死神課の長。イザヨイの憧れ

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