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第五夜

第二章 イザヨイは謎めいた青年眞輝の情報と対応策を求めて動き始めるが、対する眞輝は自らの終焉に向けて粛々と準備を進めていて…。


   


 今日あたり眞輝についての報告書が来ているかもしれない。

 今回申請した書類は冥府の外局が記録を付けている閻魔帳の写しと、福神(ふくのかみ)(えにし)班が把握している良縁悪縁の情報提供書、それから産神(うぶがみ)課運命班に保管されているはずの、今の生を授けた際の運勢の配合表だ。特に、一番欲しい閻魔帳は写しを取って交換便で死神課(こちら)に返してくれるだけのことだから、中一日あれば十分だろう。

 登庁一番に事務室を訪れた私の期待は、当直の鬼の一言に挫かれた。

 「まだですよ」

 しかも、遅れている、というニュアンスを感じ取れない言い方である。

 「どのくらいかかるものなんでしょうか」

 「中三開庁日がふつうです。ただ、神無月なのでねえ。長期休暇に入られる神様も多い時期なので、担当次第ではいつになるか、こちらではなんとも」

 なんだってー。

 他所では週休制度が導入されていることなら私も知っている。いやしかし。

 「え、その間は業務が停止するんですか? そんなことでいいんですか? 相手は年中無休ですよ、人命がかかってるんですよ」

 「わたしに言われても。死神課(ここ)くらいですよ、こんなにフル稼働しているところは」

 なんということだ、他課の神がそんなにのんびりしているとは。


 「それ、落ちましたよ」

 悶々として北第四庁舎の大回廊を歩いていると、たまたま向こうから歩いてきた他班の死神ににこやかに指摘された。時々お見かけする、物腰がさばさばとして朗らかなベテランの神様だ。私が振り向いて探す間に拾い上げ、届けてくださったのは(はなだ)色の組紐だった。

 「ああっ、ありがとうございます」

 恐縮して受け取ると、「自害班の子ね。おめでとう」とおっしゃる。自殺対策班の創設当初の名称だ。死神課(ここ)に来てからも長い神様なのかもしれない。

 「最後にお別れ、言いに行くの?」

 「いえ……、落着ですので、私はこのまま」

 「そう? あっさりしてて、いいわね。それが一番よ。頑張って」

 「はい。ありがとうございました!」

 最敬礼する私ににこにこと手を振りながら、その神様は去って行かれた。

 格好いい。他班でも同志の感がある。ウミヤメ様が作られた雰囲気なのか、私の知る今の死神課は気さくで素敵な神様が多い。

 胸が温かくなり、改めて手の中の切れた組紐を眺める。今日切れるとは正直思っていなかった。縹色は、学生時代の挫折から長らく実家に引き籠り、社会復帰しようと求職活動を始めたものの、本人の理想も周囲の要求も高くてなかなか拾われず苦しんでいた、沙智と同年の女性のケースだ。半年ほど私が付き合って目標を現実的な高さに下げるよう導き、昨日、ようやく一社から有期で採用内定をもらえたと報告を受けたばかりだった。実際に働き始めたわけでもなく、報告の最後に「行けるところまで行ってみます」と言ってほほ笑んだ顔が儚げな様子で少し引っかかったので、まだしばらくは見守る必要があるのだろうと私は思っていたが。

 組紐が切れたということは、この先は人間のプロフェッショナルに任せておけばよい、ということなのだろう。

 目の前にいない時に落着した場合、私はわざわざ会いに行くことをしない。晴れて死神との縁が切れたのだから、そのまま前を向いて、死に魅入られていた自分とともに私と出会ったことは忘れてゆけばよいのだ。

 回廊から中庭へ降り、銀のライターで火を点ける。二度と私の班が出動する機会が訪れないよう、最後の祈祷の儀式だ。私の目の前で組紐はめらめらと燃え、一筋の煙になって空に消えた。

 「あ、ちょうどいいところにいた」

 声の方を振り返ると、イナミさんが早足で渡って来るところだった。手招きしているので、私も急いで回廊へ上る。

 「牡丹の彼女ね、昨日またやったって。一人で薬飲んだって、今情報が入った」

 「――それで今、病院ですか?」

 「いや、誰も見つけないで部屋で眠り込んでる。まずそっち、行ってやって」


     ***


 沙智と初めて会ったのは九月最後の金曜日、今からちょうど二週間前のことだ。

 最初の日の彼女は、今のようではなかった。死神であれ神が自分を救いに来たと理解して歓喜に(むせ) び、迷子のように私に抱きついてきたものだ。今思えば、天が自分のために動いたことが嬉しかったのかもしれない。二日目に沙智がしたことは、私が彼女を特別扱いするように仕向けることだった。私が牡丹色の他にもたくさんの組紐を付けていることに気がつくと目の色が変わり、こう尋ねた。


 「あたしはたくさんいる中の一人なのね。一人あたりどれくらいの面会時間を割けるものなの? 十五分、三十分、一時間?」


 医療機関でカウンセリングを受けていた時期もあると聞いているので、そのイメージで、診療時間のように定められた制限時間があると思ったのだろう。私はだいたい三十分から長くても一時間だと答えた。

 彼女はその場では「わかった」と理解を示す素振りを見せた。ところが、四十五分を過ぎた頃から私が中断しづらいような身の上話を始め、結局その日は二時間私を引き留め、離さなかった。それも私が止めさせたのではなく、時計を見て、本人が区切りをつけたのだ。


 「二時間も経っちゃった。ありがとう、本当は一時間で行かなきゃいけないのに、あたしのために特別に規則を破ってくれたのね」


 嬉しそうに笑って私を見つめる目の奥がギラギラと輝いていた。その暴力的な輝きに私は彼女の本性を見抜いた。だが遅すぎた。

 初めに私が言った通り、その日の面会をきっちり一時間で切り上げるべきだった。彼女が決まり事をやすやすと破ってしまえた事実を作るべきではなかったのだ。

 沙智が友好的な顔だけを見せる日々は長く続かなかった。頻繁に呼び出されるので最初の一週間で五回会い、その五回目に、彼女は豹変した。


 「日曜日はお休みって言ったよね?」

 実は、私は沙智にだけはそう嘘をついていた。初日に彼女がしがみついてきた時、すでに際限なく依存され振り回されることになりそうな予感があったのだ。

 「お休みだから、他の人のところへは行かなくていいんでしょ? だったらその日だけ、親友として、一日ずーっと沙智と一緒にいてほしいの。町に出かけて、かわいいカフェでお茶しようよ。あんたに見せたいところがいっぱいあるの」

 笑っていたが、頬が引き攣っていた。後ろに刃物を隠し持っているかのように、彼女は私に自分の期待を裏切らないよう脅しかけていた。

 私は、ごく冷静に、きっぱりと、「それはできません」と答えた。

 「業務を離れて、プライベートで人間と会うことは法で禁止されています」

 沙智の顔は見る間に掻き曇り、歪んだ。

 「あたしが会いたいって言ってるの。聞いてくれないの?」

 尖った声だった。

 「規則です」

 すっと表情が消えた後、金切り声が狭いアパートの壁を震わせた。


 「この嘘つき! マガイモノ!」


 ダン! と彼女の足が床を踏み鳴らした。

 「友だちと会うって、嘘つけばいいでしょ! そのくらいの嘘もつかないで、規則ですって? 規則だなんて、そんなくだらないものの方があたしより大事だなんて! それで人を助けるだなんて、よく言うよ! あんたなんか神様じゃない、その辺のクズどもと(おんな)じね! 平気で人の心を踏みにじりやがって! 大嫌い! あんたなんか大嫌い! 失せろよ死神! 二度とそのツラ見せんな!」

 髪を振り乱し地団駄を踏んで喚き散らすので、お望み通り背を向ければ、二歳児のような泣き声が耳を(つんざ)いた。

 「イヤァァアー! 行かないで! イヤ、イヤ、そんなのってないよお……」

 その日を境に、沙智は毎日のように私を呼びつけておきながら、二秒で来てくれないだの、仕事で来るのは誠意がないだのと私を(なじ)り、詰っては自分が嫌いになっただろうといじけてみせ、収拾がつかなくなり、今日に至る。


     ***


 「自分が嫌になったの」

 頼りなげに私の手を握りしめて、沙智は言った。昨夜、私は仕事で来るのであって自分のことを本当に思ってくれているのではないと主張し、その証拠を引き出そうと私を散々挑発した後、一人に戻って悲しくなったらしい。眠りからは覚めたが気分が悪くて起き上がれず、彼女はベッドにうつ伏せ、枕にぐったりと頭を預けている。

 「どうしようもなくクズで、ワガママで、あんたを困らせてばっかり」

 増え続ける物の山に埋没しつつある部屋の、ローテーブルの上にはチューハイの缶と手当り次第に濫用した眠剤や安定剤のシートが散乱している。

 「いつもこうなの。あたしが自分でダメにしちゃう。好きなほどね。優しくされると怖くて壊さずにいられなくなるの。そういう病気なの」

 外は雨が降っている。昨夜のアルコール臭がまだ残る部屋は寒い。

 「……ねえ、泥の底を這いまわる人間の苦しみが、神様のあんたにわかる? わかんないよね。全部正しいから悩むこともない。どうしようもないことが悲しい人間の弱さなんかわかりっこない。所詮、あんたは神様だもん」

 砂漠のような魂の渇きを、私は沙智の中に感じる。だがおそらくその渇きは、彼女が自ら克服しない限り癒えないものだ。

 「何とか言ったらどうなの。なんで何も言わないの?」

 「沙智。初めに約束しましたね、私と繋がっている間は命を危険にさらすことはしないと。今、あなたはその約束を守れなくなった。こういう状態の時には、私はあなたに会いに来ることができません」

 「え――?」

 不安げな目をする沙智に、私はゆっくりと告げた。

 「あなたが落ち着くまで、間を開けます。次は来週の木曜日に来ます。それまではどんなに呼んでも、今度のようなことをしたとしても、私は来ません」

 「きっと、死んじゃうかもよ」

 涙の潤む目で恨みがましく睨みつける。けれど私の表情から譲歩させる余地はないことを理解したのか、観念したように顔を枕に埋めた。

 「今日は何の日? 十三日の金曜日よ……」

 独り言のように呟き、しくしくと泣き始めた。その頭を軽く撫で、私は部屋を去った。



 「おいしかったー。たまには外食もいいですなあ」

 雨の夜道をカップルが歩いてゆく。上機嫌で彼氏の腕にぶら下がるスカートの短い女は、何も気づいていない風に見えた。

 「あっ、たい焼き! ねー、あれも食べようよー」

 「まだ食べるんか」

 ベタベタと甘えつく彼女に、男のほうもまんざらではなさそうである。

 「じゃーあ、半分こしよっ」

 「しゃーない。お父さんが買ってやろう」

 話しかけるつもりはなく、遠目に観ている。眞輝とその恋人だ。

 「ねー、この後、部屋行っていい?」

 先にたい焼きを頬張りながら、いいよね、という調子で彼女が尋ねた。

 「いや……、ちょっと散らかっちゃってんだ。ホテルにしよう」

 「ええー、明日土曜日なのに!」

 「悪い悪い、代りにいいとこ連れてくから。明日も予定入っちゃっててさ」

 「なにそれぇ。本当にいいとこじゃないと怒るかんね?」

 薄々おかしいとは思っている……?

 電信柱の陰から動こうとして、私は立ち竦んだ。


 ――道の真ん中に、あの女の霊が立っている。


 雨の中に立ち尽くし、じゃれあいながら遠ざかってゆく二人をじっと見つめていた。

 「おまえ」

 思わず声をかけた。霊は私に気づくや、すーっと後退り暗闇に消えてゆこうとする。

 「待て」

 遅かった。霊の消えた辺りまで走り、歯噛みをしたい思いで闇を睨む。

 その時私は、すぐ近くにもう一つのただならぬ気配を感じた。そこだけ取り残されたように暗闇に沈む廃屋の屋根の上で、確かに何者かが動いた。


■登場人物

イザヨイ:生命省人間庁人口調整局死神課自殺対策班青年係の新神

ウミヤメ:死神課の長。イザヨイの憧れ

イナミ:直属の上司。三期目で祟神課から異動してきたばかり

眞輝まさき:二十五歳の青年。組紐は柿色

沙智さち:自殺行為を繰り返す二十八歳の女性。組紐は牡丹色



■組織構成

人間庁>衛生局、人口調整局

 衛生局:

  福神課(縁班他)

  貧乏神課

  祟神課

 人口調整局:

  産神課(安産班、運命班他)

  死神課(老衰班、病死班、事後処理班、自殺対策班、過労死班)

  疫病神課


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