第四夜
新たに担当する眞輝の周囲には幽霊の影があり、対応に悩む彼女は、タマホメという冥府の神に相談したいと願うが…。
「あれはなかなか捕まらぬぞ」
一通り聞き終えると、ウミヤメ様は顔をしかめて笑いなさった。アシタレが、肝心な居所は知らないがタマホメ様はウミヤメ様と旧知の仲であると聞くというので、早速執務室に参上し、是非とも一度謁見賜りたいと申し出たのだが。
「タマホメには冥府も常々手を焼いていてな。賽の河原へ行くべき稚児の霊を率いた咎で戒められるところを、いっそ神にと推挙したのは、実は我なのだが。神になったところであれが変わることはなく、〈くう〉の理などはどこ吹く風、己の意にのみ従い何ものにも縛られぬ。巡り合えばその話には耳を貸すかもしれぬが、西へ東へと気の向くままゆえ、我には引き合わせてやる術がない」
「――さようでございますか」
やはりそう簡単には運ばないか。
「うむ。だがそなたの申すことはわかる。この件については我が冥府に掛け合おう」
驚いている間にもウミヤメ様は紙を広げ、筆を執られた。
「その死霊には死神課と冥府が共同で対応する。互いに情報を共有し、冥界への連行は時機を見てくれるようにと。それでよいな?」
「はい、ありがとうございます! よろしくお願いします!」
かっけぇー。この見事な仕事捌き、爽やかなお人柄。このお方が長でなければ、私は今日まで死神課に留まれなかったかもしれない。
ウミヤメ様が把握してくださっているというだけでも勇気づけられ、私は意気揚々と退出した。軽くなった肩に昨日一昨日の緊張を自覚する。初日よりも二日目だ。
元気そうな様子ほど信用ならないものはない。
心細い残照に音も匂いも混ざりあう繁華街を、眞輝は携帯片手にゆっくりと歩いていた。中古品のチェーン店から出てきたところを見つけ、気づかない様子なので後を付けている。ラフな装いだが部屋着ではない。駅の方へ向かっているから、これから人と会うのかも知れない。恋人ならもう少し身形に気を遣いそうなものだ。気楽な友人だろう。
道行く人は黒ずくめの私には目もくれず、ただ通り過ぎてゆく。死神の姿が見えるのは死に魅せられた者だけだからだ。それなのにここ最近、襟元が寒くなってから、目の合う人が増えてきた。まったく、世の中には死にたい人が多すぎる。
アパートの最寄り駅にたどり着くと、彼は改札を通らずに交番脇の植込みのところに立った。イヤホンを着け、猶も携帯をいじり続けている。
「待ち合わせですか」
横から声をかけるとギョッとしたように振り向き、反射的に空いている手でイヤホンを外しながらやや迷惑そうに眉を曇らせた。
「びっくりした。外でも出てくるんですか」
「今日くらいです。初めの三日間は連続で会うことにしているのと、一つ確かめたいことがあったので。すぐに終わります」
「なんすか」
不機嫌な声で返し、人に見られるのを気にするように周囲を見回す。
「昨日も出かけて、今夜も人と会うんですね」
「……ん、昨日?」
「昨日、あれから外に出たでしょう」
まだだ。訊きたいのはそのことではない。
「なんで?」
怪訝な顔をするので、私は自分の顎に指先を当ててみせた。
「髭ですよ。何日も家に籠っていたあなたが昨日は無精髭を綺麗に剃っていた。私がまた来るとは思っていなかった様子なのに。これから人に会う予定でもなければ、わざわざそうするとは思えません」
「ああー……」
繋がった、とばかりに声を上げ、眞輝は前髪をわしゃわしゃと掻き毟った。
「参ったな、神通力的なアレじゃなくて推理か。探偵かストーカーみたいですよ、あんた」
「神通力的なアレじゃなくて残念でしたね。二十四時間お見通しの方が良かったですか」
「いや、もう、勘弁してください」
できないではないが、受け持っている三十人全員分の動向を常時モニタリングするほどのキャパシティは残念ながら神も持ち合わせていない。
「それで、こう連日出かけるだけの繋がりとお金と時間が、あなたにはあるわけですね」
「今日は飲みですけど、昨日は違いますよ」
声のトーンを落とし、眞輝は私の方に向き直った。
「会社を辞めたんです。昨日は夜、その挨拶に行きました」
***
仕事をどうしているのか。
それが今の段階で訊いておきたいことだった。辞めるという行動はある程度予期していた。だから、止められるものならば後々のために阻止したかった。
辞めた、と私に告げる彼の声は勝利宣言の色を含んでいた。この勝負は俺の勝ちで終わると言った時と同じものが正面から見下ろす目の奥に宿っている。
なるほど。彼は彼で私を出し抜くことを考えている。
「そう。何と言って辞めたんですか?」
「理由なんかつけませんよ、引き留められるだけ面倒なんで。金は、使い切ろうと思えばそれなりにあるんです」
「眞輝」
改札口から呼びかけたのは彼と同じ年頃の遊んでいそうな若者だった。私は無言で傍を離れる。
「お疲れー」
「なんだよおまえ、急で驚いたじゃん」
「いや別に、いつもこんなじゃね?」
至ってふつうらしい声音である。あの友人が彼の空元気を見破るのは難しいだろう。見破ったとして、急に会おうと言い出した眞輝の目的を見抜くだろうか。感付いたとして。
彼の仲間は彼を引き留めるだろうか。
金を使い切ると言った。尻ポケットに財布をねじ込み手ぶらなところを見ると、彼は部屋の物を売るために中古品店に立ち寄ったのだろう。
確実に死支度を始めている。
***
「もう無理なんだから」
大粒の涙をぼろぼろと零して十九歳の少女は泣き崩れた。
「もう許してよ。終わりまで見たくない。今より惨めになんかなりたくない、行き着く先を見るのが怖いの。もう死にたいよ、何も見ないで六年待てばいいなら、その方がいい」
ベッドに並んで座り、背中をさすってやるといっそう激しくしゃくりあげる。檸檬色の組紐の陰で火傷の痕が痛々しい。
「どうしてもっと早く来てくれなかったの? こんなになる前に……ボクが一番つらかった時は助けてくれなかったくせに、どうして今になって頑張れなんて言うの」
頑張れとは言っていない。だが、彼女に言わせればそういうことになるのだろう。
「ごめんなさい」
最も必要としていた時にどの神も手を差し伸べなかったと言われては、私も心が痛む。
「あなたは自分を罰しなくていい。久礼亜」
私が手を翳して傷を癒すのを、脱色した髪の下から彼女はじっと見ていた。遅すぎることはないだろうと、私は思う。彼女が訴えているのは末路への悲観と恐怖、後悔であり、悲惨な死を恐れるあまり死を願うという矛盾に陥っている。過去を清算してやり直せるとしても死にたいというのではない。
「お帰り。牡丹の彼女のこと、どうなった?」
久礼亜をその夜の最後の訪問に、詰所に戻ると、上司が話しかけてきた。
「今日は拗ねてました。『仕事でしょ? あたしに死なれたら困ります。業績に障るからでしょ?』仕方なく来るんでしょ、ってそればっかり」
「あ、そう。彼女、それ今までずっと彼氏にやってたの。フフフ、面倒くさいねえ」
自分の担当ではないからと思って、気楽だ。
「彼女は本当に死神課の管轄ですか? どちらかというと怨念の塊のようですが」
沙智については、関われば関わるほど手に負えなくなっていく感がある。辛抱強く向き合い続けることが彼女のためにも良いことなのか、迷う。
「危ないことしちゃう子は他では受けたがらないんだよ。うっかりにしろ死んでしまうかもしれない間は死神課。その心配がなくなって、怨念のせいで生霊になりかねない事態にでもなれば、僕の古巣に繋ぐかな」
祟神課から六期目で異動してきたばかりのこの上司は、イナミという。
「それと檸檬のケース……いえ、彼女に限らずなんですが。もっと早い段階で衛生局の方で対応することはできないんですか? 子どものうちに支援があれば死神の世話にならずに済んだと思われる例があまりにも多いんですが」
「それは本来人間がやるべきことなんだよ」
腕組みをして、イナミさんはきっぱりと言った。
「傀儡じゃないんだから、無制限に我々が管理するという風ではいけない。子どもの幸福の保障が神頼みになってはおかしいと、君も思うだろう? 人間の問題は人間が自ら努力して解決するべきであって、あくまでも我々は最後の砦なんだよ」
そうですか。それでいざ我々が出動する頃には、彼らはすっかり神への不信感を募らせているわけですが。
訪問記録の名簿に印を入れ、明日の予定を考える。短い作業の間にその日の出来事が思い起こされる。久礼亜のようなケースに介入の余地があるからと希望を見出すのは、死神としての自分から離れてみると悲しいことだ。それでも、今は目の前にいないからつい比較してしまう。衝動的に危険行為に及び、苦しい胸の内を吐露する彼女たちには眞輝のような不気味さはない。
――正直いって、私は彼が怖い。
■登場人物
イザヨイ:生命省人間庁人口調整局死神課自殺対策班青年係の新神
アシタレ:イザヨイの恋人。三途の河原で鬼をしている
ウミヤメ:死神課の長。イザヨイの憧れ
タマホメ:冥府の神様。人の娘から鬼となり、神になった
イナミ(新出):イザヨイの直属の上司。祟神課から異動してきた
眞輝:二十五歳の青年。組紐は柿色
沙智:自殺行為を繰り返す二十八歳の女性。組紐は牡丹色
久礼亜(くれあ・新出):十九歳の少女。組紐は檸檬色
■組織構成
人間庁>衛生局、人口調整局
衛生局:福神課、貧乏神課、祟神課
人口調整局:産神課、死神課、疫病神課