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第二夜

就任早々死神課に配属され落胆しながらも、日々職務に邁進する新神イザヨイ。

ある秋の日自殺を図った青年眞輝は、自らの死を阻みに来たと告げるイザヨイに「勝負」を挑むが…。




 あの入職式の晩、私が死神になったと聞いたアシタレのリアクションはこうだった。

 《まあまあ、俺が鬼であんたが死神で、ちょうどええやん》

 何がいいもんか。茶化しやがって。


 「おおー、ビビった。本当にまた来たんだ」

 暗い台所に立っているので蛍光灯をつけてやると、眞輝は驚いて食器を取り落とした。午後四時半、部屋にはラーメンのにおいが残る。洗っているのは丼鉢、見えるところに即席麺とモヤシの袋が捨ててある。目にかかる癖毛の前髪が陰気に見せるが、昨日と違うのは髭を剃っていた。

 「早めの夕食ですか、それとも遅い昼?」

 「うーん、なんだろ。さっきまで寝てたんで朝、かな。(まじな)い、効きすぎっすよ」

 ハハッと、茶化すように乾いた声で笑う。今日の彼にはどことなくアシタレに似た調子のよい雰囲気を感じる。ただ、目は笑っていない。

 「そこ座ってください。何もないんですけど、ビールでいいすか」

 「では一本だけ。いや、別に気を遣わなくていいんですよ」

 「いやどうも、昨日はお見苦しいところを見せてしまいました」

 冷蔵庫からロング缶を二本出してきて炬燵になるらしいテーブルに置くと、眞輝は私と向かい合って座った。

 「つか、死神って本当に黒ずくめなんすね」

 「それは黒ずくめの方が、説得力があるからですよ。らしさの演出です」

 「なるほど。身も蓋もないこと言いますね」

 人懐こいような顔を見せて、プルタブを引き、私にも開栓するように促す。

 「それ、俺に付けたのと同じのしてるんですね」

 私の袖口に覗いていた柿色の組紐に目を留めて、彼が言った。

 「二つで一組なんですよ。この組紐で私とあなたはご縁が繋がっているんです」

 私も缶を軽く掲げ、乾杯に応える。一口飲むと、彼は沁みるように顔をしかめた。

 「他にも付けてるんですか」

 「ええ」

 袖を捲って見せると、へー、と子どものような目をして色とりどりに結ばれた組紐を眺めた。私の左腕には常に三十本ほどの組紐が結ばれている。

 「これ全部? こんなにたくさん相手にしてるんですか、一度に」

 そうだ。一つ切れてはまた一つ結び、これまでに八十人ほどと会って来た。眞輝は前髪の陰から私の目を見つめ、同情するような顔になった。

 「疲れるでしょう。死にたい奴の話ばかり聴いてるんじゃ」

 そりゃあもう、と言いたいのを飲み込む。仕事ですから、と私が応えるよりも先に、彼が続けた。

 「これから毎日来るんですか? 他がいるなら、俺は優先順位低いと思っててもらっていいですよ。昨日はもう何もかも面倒くさくて、このまま逃げ出そうかななんて思っちゃいましたけど、よく考えてみたら片づけときたい用事もまだ残ってるし、そうすぐに何かってことはないので。とりあえず先一か月くらいは生きてると思っといてください」

 口を差し挟む余地を与えずに言い切ると、缶に口をつけてグイと呷った。

 ――手出し無用。結論は出ている、ということか。

 私も少し飲み、話の切り口を変える。

 「お酒は好きですか。一人でもよく飲むの?」

 「飲んじゃいますね、わりと」

 おそらく乱暴に飲むタイプだ。今の一息でほとんど残っていないのではないか。

 「煙草は?」

 「だいぶ前に止めましたよ。彼女が嫌うので」

 ――ほう。恋人がいるのか。

 「仲が好いんですね」

 「そうですね。ケンカらしいケンカはしたことないです」

 「いいですね」

 「イザヨイさん、一人なんですか」

 「いいえ、連れがいますよ」

 「なんだ。彼氏さんは何の神様なんですか」

 「連れは鬼をやっています。自由業の方がいいと言って」

 「鬼も仕事なんですか」

 「生業のようなものです。今は三途の川原で商いをしています」

 「へー」

 こちらのことに関心を示すケースはあまり多くない。彼はまだこの話を続ける素振りを見せながら、残っていた一口を飲み、持つ手でペコンと缶を潰した。それなりにごつごつとした労働者の手だ。癖のある黒髪の頭がくらりと揺れた。

 「……おもしろいですね。不思議と俺、あなたが神様だって疑ってないんですよ。この世には神も仏もないって思ってる人間なんすけどね、実は。今もね」

 私は腕組みをして、彼がこちらを見ていないので、一瞬窓の外に目をやった。オレンジ色のカーテンの向こうは狭いベランダ。ここは三階建ての三階、通りを挟んで向かいに見えるのは野球グラウンドの緑のネットである。

 「それはおもしろいですね」

 「いやおもしろくないですよ、全然。神様がいるならなんでこの世界はこんなに狂ってるんですか。俺みたいなカスに構ってる暇があったら、早くこの世界の不正をなんとかした方がいいですよ。本気で。救おうとする相手も間違ってます」

 「どなたか身近な方が亡くなりましたか。つまり、昨日死にたいと思ったわけにはそうしたきっかけがありましたか?」

 腕組みしたままの私を、眞輝ははたと見据えた。こちらは切り出すタイミングを探っていた。巡ってきたチャンスを逃しはしない。

 「――ピンポイントで突きますねえ。ふつう、会社をクビになったとか、借金とか、そういうところから訊くんじゃないですか」

 目を逸らし、はぐらかすようにまた口元だけで笑う。

 「会社をクビになったんですか?」

 「いや違いますけど」

 そう尋ねるのには訳がある。実は昨日、私は見た。眞輝に身支度するよう指示して一旦窓の方を向いた、あの時だ。

 窓の外に、うつむく女の影があった。

 顔のぼやけた死霊が一人、物のないベランダの手すりに膝を揃えて座っていた。髪は短く小柄で、どちらかといえば垢ぬけない、地味な装いをしていた。今、そこには何もいない。昨日も、眞輝と縁を結び、ここを去るため再び向いたときにはもう消えていた。

 「まあ、それは追い追い。俺が話したくなった時に話すんじゃ駄目ですか」

 あれが何のつもりであの時あの場にいたのかはわからないにせよ、今の反応であれば、彼の縁者と見てまず間違いないだろう。

 「いいですよ。待つのも仕事ですから」

 こちらでも調べる。私の缶は半分ほど残っていたが、テーブルに置いて立った。

 「また来ます。こちらでも様子を見て来ますが、あなたの方で会いたいと思ってくれれば、私に届いていると思ってください。三十分の間には駆け付けます」

 ごちそうさま、と背を向ける私を、眞輝は呼び止めた。

 「イザヨイさん」

 座ったままの姿勢でもこちらを見ている、強い視線を背中に感じる。

 「なんで誰か死んだと思ったんですか?」

 その声音に、私が見たということを彼に言うべきか否かと迷っていた腹は決まった。

 私は肩越しに振り向き、優しく答えた。

 「この仕事をして経験を積んでくるとね、いろいろと勘が働くんですよ」


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