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第二章 危険な絆(その二)

 親友とは午後に待ち合わせている、という凛香といっしょに出かけるために、俺はシャワーを浴び、ヒゲを剃り、髪の毛を梳かして歯磨きをした。

 せっかく自由で気ままな時間を謳歌していたのに、また昨日のパターンに逆戻りだ。

 そう思う一方で、若干の高揚感を感じている自分に驚きを感じてもいる。一人暮らしを始める前に比べると、自分の周りの世界がゆっくり動き出した気がする。

 コーディネートしてもらったふたパターンのうち、チャコールミントのカーディガンと濃いネイビーのパンツの組み合わせを持って、凛香に文句を言われないようにユニットバスルームに入り、着替える。

 オフホワイトの襟なしシャツの上から厚めのカーディガンを羽織り、最後にほとんど使ったことがないヘアムースで髪の毛をちょっと整える。

 鏡を覗くと、あまり見たことがない姿の俺が映っているが、これが似合ってるのかハズしてるのか、自分ではよくわからない。

 あれこれ考えていると、ユニットバスルームの扉がドンドン!と叩かれ、「あのねえお兄ちゃん、いい加減で出てきて! もう時間ギリだから!」と妹が叫ぶのが聞こえた。はいはい、今行きますよ……。

 ユニットバスルームから出た俺を見ると、凛香は目を見張ったあと、眉を寄せてちょっと一瞬困ったような表情を浮かべたように見えたが、すぐ満面の笑みをつくった。

「なかなかいいじゃない。マゴにも衣装ってヤツ? おばあちゃんが見たら、あまりの変身ぶりに喜んじゃうかも?」

「馬子にも衣装の『マゴ』は、お孫さんの『孫』じゃないぞ。馬の子と書いて『馬子』だ。馬を引いて、人とか荷物を運ぶ昔の職業だと思うが」

「そ、それくらい知ってる! ちょっとボケただけよ!

 まったくノリが悪いんだからっ」

 ほんとにボケたんだかどうだかわからんが、ツッコミを受けた凛香の返しは焦り気味で、罵倒のキレ味がいつもより鈍いような。

 俺としてはちょっと拍子抜けだったが、それ以上深追いはしないことにした。武士の情けだ。

 俺は慣れないコーディネートに戸惑いながら、そして凛香もなぜだか落ち着かない様子で、それぞれ若干ぎくしゃくしながら、待ち合わせ場所に向かうことになった。


「あの……、ええと、初めまして。わたしは凛香さんの同級生で、中原希砂きずなと申します。

 今日はご無理を言って来ていただいて、申し訳ありません。本当にありがとうございます」

 待ち合わせのカフェのボックスシート。

 向かい合わせの席の片方に俺、もう片方には妹と黒髪ロングの女子が並んで座っているのだが……

 しかし、マジか!?

 マスクを取った彼女を見た俺は「超絶美少女」という妹の言葉が誇張ではなかったことを知った。

 前髪は自然に眉のあたりまで、サイドと後ろは肩より少し下まで伸ばし、髪の先端を少し内側にカールさせた黒髪の少女が、伏せ目がちに座っている。よく見るとサイドの髪の一部が編み込みになっている。

 くすみのない白い肌に小さな顔、印象的な黒い瞳に輝く穏やかな光が、品が良いだけではなく内なる深い知性の存在をうかがわせる。健康的なナチュラルピンクの唇とうっすらと上気した頬の赤みは、白い肌と黒い髪との対比でなんとも華やかだ。

 ただ本人はこういう場面に慣れていないらしく、緊張感は隠せていないし、反応も初々しい。

「いつも凛香さんには仲良くしていただいていまして、わたしにとって凛香さんは学校で一番のお友達です。

 凛香さんからお兄様の楽しいお話を伺って、ぜひ一度お会いできたらなあと思ったんです。ですから、今日はお会いできてほんとに嬉しく思っています」

 にっこり、と音を立てそうな笑顔で希砂ちゃんが笑いかける。もう少し緊張感がなかったら、俺に惚れてるんじゃないかと勘違いしそうなレベルだ。

「いやあ、きっとロクなことを言われてないんじゃないかな? こちらこそいつも凛香と仲良くしてくれてありがとう」

 俺としては、そんなことを言うのが精一杯。共通の話題もないから「じょにだん」にとってはなかなかツラいシチュエーションだ。

 希砂ちゃんも話題に困っているようで、それ以降は顔を赤くしてもじもじしている。会話が続かない。

 凛香と言えば、横でニヤニヤしているばかり。俺はテーブルの下からヤツの足を蹴ってやり、こちらを睨みつけてくるヤツに目線を合わせて、フォローするように無言で促す。

「あー、そうそう、今日のウチのアニキのファッションなんだけど、きーちゃんどう思う?

 きーちゃんと会うからって、相当気合い入れて服選んだんだよー、ウチのアニキ!」

「ああ、ええと、わたし男の人のお洋服とかよくわからないんですけど、今日お兄様の選ばれたお洋服はとってもステキだと思います。

 ミントグリーンのカーディガン、これからの季節っぽくてわたしは好きです。シンプルに白いシャツと濃い色のボトムスでまとめているから、カーディガンのお色がとってもよく映えていますよ。

 ご自身のことをきちんとわかっていらっしゃる着こなしだと思います。とってもお似合いです」

 きーちゃんと呼ばれてるらしい希砂ちゃんは、今日の俺のコーディネートをすごく誉めてくれた。どうやら俺のセンスで選んだと思ってくれているらしい。

 俺とは初対面だし友人の兄でもあるから、だいぶお世辞も入っているだろう。それでも着るものを誉められた経験がない身からすればくすぐったいような、恥ずかしいような変な気分だ。ただ悪い気はしない。

 斜め前に鎮座している、この服を選んだコーディネーター殿は「ふふん!」というような自慢げな顔をしている。とりあえず、昨日の服選びの成功は希砂ちゃんから確認できたから、自慢げなのは半分で、内心ではホッとしていることだろう。

 ここまでの希砂ちゃんの話からすると、どうやら昨日の服選びについては、凛香は彼女には話していないようだ。

 凛香にその気があるのなら「いやー、今日のアニキのコーディネート、実はわたしがしたんだよー」とか言いそうなものだが、今のところその気配はない。何を考えているのだろうか。

 こういうことになるのなら、妹の心理について、仙人からもっと早くに聞き出しておけばよかった。俺にとって妹は相変わらず謎だらけだ。

 何かの理由があって、凛香はあえて口にしないのかもしれず、俺から話すのも変な気がして、コーディネートの件にはあえて触れないことにした。

「まあ、気合い入れて来たわけじゃないが、妹の友人と会うのに変な格好もできないしな。まして凛香からも『親友と会う』って言われれば、兄としてもそれなりに心構えはするって」

「ただし、わたしはきーちゃんのこと超絶美少女って、前もって伝えてるからねー! それがお兄ちゃんの気合いの着こなしに繋がってるトコもあるでしょ!」

「むむ、それは否定できないが、おまえの言うことを全部信じたわけじゃなかったし」

「でも実際に会ってみてどう? わたしが言ったとおり超絶美少女でしょ、きーちゃんは」

「もうリンちゃん、そんなことないってば。やめてよ恥ずかしい……」

 自分のことを超絶美少女と言われるのが恥ずかしいらしく、希砂ちゃんは両方の手のひらを自分の頬にあてて照れている。その仕草がまた、ほんとうに可愛らしい。

「そういう照れ屋さんなところが、クラスのみんなからからかわれる原因なのよね。この間も――」

 凛香は楽しそうにクラスでのエピソードを話題にし、希砂ちゃんも笑ったり、ちょっとスネたりしながら、話が弾んで楽しい時間が経過していく。

 

「あ、ごめん、わたしちょっとお手洗いに行くね」

 凛香が席を立ち、希砂ちゃんと俺が残された。

 さてどんな話をしたものか、と俺が新たな話題を考えていると、

「……お兄様、ちょっと伺いたいことがあります」

と、希砂ちゃんが少しためらいながら、小さなやや低い声で俺に話しかけてきた。

「実は、今日お会いしたかったのは、お兄様にお尋ねしたいことがあるからです。

 リンちゃん……いや凛香さんと最近何かありましたか? あるいはごく最近、凛香さんとお兄様との関係に何か変化はありませんでしたか?」

「うーん、凛香との関係に変化があるかはよくわからないけど、環境の変化はあったかな。

 俺はこの四月から凛香の住んでいる実家を出て、一人暮らしを始めたんだ。実家とはだいぶ離れてる場所だから、凛香と接触する機会はかなり減ったよ。

 接触機会が減ったことが、変化と言えば変化かもな」

「そう、ですか」

 希砂ちゃんは少し意外そうな顔をして答えた。

「……わたしと凛香さんとは、中学一年生のときからのお付き合いで、凛香さんから兄がいるとは聞いていましたが、これまでわたしたちの間でお兄様の話題が出たことは、ただの一度もありませんでした。

 ところが昨日、凛香さんとお話しする中で急にお兄様の話が出て、それもとても楽しそうに語りはじめたので、いったいどうしたんだろう、何があったのだろう、と不思議に思ったのです。むしろ接触機会が減ったとのお話を聞いて、ちょっと困惑しています」

「そうなのか?」

「そうなんです。お兄様との接触機会が減ったのに、凛香さんはなぜお兄様の話を楽しげにするのでしょうか。凛香さんの心境の変化が、わたしとても気になります。

 何がリンちゃんの心をとらえたのか、わたしはそれが何かを知りたいのです。

 お兄様、本当に心当たりはありませんか? 絶対何かあったはずです」

 いつのまにか希砂ちゃんの黒い瞳から穏やかな光が失われ、漆黒の丸い穴が穿たれたような、ブラックホールを思わせるような、そんな暗黒がこちらを見つめている。

「お兄様、何があったのですか? よーく思い出してみてください……。今まで凛香さんに見向きもされなかったあなたが、凛香さんの心を捉えた理由があるはずです。よーくよーく思い出してみて……」

 え、コイツ、病み的な意味で、実はヤベえヤツなの? 凛香早く帰ってきてくれ! お兄ちゃん、消されちゃうかもしれないよ!!

「もう、黙ってないで何か言ってください。

 何震えてるんですか、何にもしませんよ、今は。

 わたし、とにかくお兄様がリンちゃんと急に仲良くなった理由を知りたいんです」

 ……「今は」っていうのが怖いんだけど。

 でも、そんなに俺、凛香と仲良さそうに見えるのかな。どちらかと言うと、凛香のほうが俺を敬遠してる感じがしてたんだが、たしかに一昨日から今日にかけては凛香主導の接触が多くなってる気はする。

 でも、俺の引っ越しだって凛香は特に手伝わなかったし、俺も凛香に何も言わずに実家を離れた。

 それ以前は俺は必死で受験勉強してたから、妹なんかに構っている余裕はなかった。

 さらにそれ以前はオタク生活だから、マンガとアニメと同人誌以外には興味なんかなく、第一、人当たりがよくて周囲の人に愛される妹にどこか面白くない思いを抱えていたから、ほぼ話しかけることなんかなかった。

 話したとしても「醤油取ってくれ」とか「電気消すぞ」とか、そういうやりとりだった。

 だから、ここ数年間に比べてこの三日間は、希砂ちゃんの言うとおり、凛香との距離は前に比べて縮まっているのかもしれない。

 急激に仲良くなった理由、か。何かあっただろうか。

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