第一章 妹、襲来(その四)
電車に乗ってからも、凛香は俺とは微妙に距離をとりながら、ジト目でたまにこっちを見てくる。
話しかけるために近づこうとすると、「寄るなオーラ」を露骨に展開してくるから、うかつには近づけない。
だからといって俺としては、これから凛香にご指導ご鞭撻を受ける立場なので、開き直るとか逆ギレとか、そういう冷たい態度はとれない。
まあ目的の駅に着けば、さすがに向こうから接触してくるだろうが、その後をスムーズに運ぶためにも、なるべく早い緊張緩和を図るべきだろう。
だがどういうアプローチをすれば緊張緩和に繋がるか、悲しいかな俺にはノウハウがない。「女子を苦手な男子」、すなわち「じょにだん」の面目躍如だ。
というか、何がそんなに凛香の逆鱗に触れたのか、正直よくわからない。顔も洗ってヒゲも剃ったし、髪も整えたよね?
思い悩んでいると、ふっ、と天啓の閃きが俺に降りてきた。
アイツに訊いてみよう、俺に「じょにだん」の真名を与えたヤツに。
まずはDMを送ってみる。「おい、今ヒマか?」
「ワシはそんなヒマ人ではない。が、少しの間ならおぬしの相手をするのは吝かではないぞ」
間髪入れずに反応があった。
「ちょっと相談があるんだが」
「ふむ、少々立て込んでおるから、短い時間で良ければお相手するが、それでよいかな?」
電車が目的地に着くのにまだ三十分はかかるだろうから、たぶん大丈夫だろう。
「おう、助かるわ」
DMの相手は「安井」。そう、彼は安井仙人と呼ばれている人物だ。
安井仙人は古今東西のマンガ、アニメ、同人誌などの造詣が深いことをベースとして、特にラブコメを中心とした女性心理の分析に定評があり、最近、コミュ症男子界隈に有益な示唆と福音をもたらしている。
その的確な分析は、例えば連載ラブコメの今後の展開を予想して見事に当てたり、最近では恋に悩む同胞へのアドバイスで悩みを見事解消したり、というような実績を挙げており、本人の語り口とも相まって、誰が言い始めたのか「仙人」と呼ばれ、フォロワー数は徐々に増えている。
マンガやアニメ作品の女性心理分析とともに、「模試会場でイチャつく輩どもに鉄槌を下せい!」とか、「模試の志望大学判定結果が英国放送協会じゃ……」――たぶんB・B・Cだったってことだろう――などというメッセージを流してたので、たぶん俺と同じく大学受験中だなと察し、フォローし始めた。
何回かDMを飛ばしたりしているうちに、とあるアニメの推しキャラが同じだったことから意気投合した、というわけだ。
このところ、これまで以上に元気にメッセージを飛ばしてるから、たぶん無事に大学生になったってことだろう。
さっそく用件を打ち込んでいく。
「おう、悪いな。ちょっと妹のことで相談がある」
「ほお、おぬし妹がおるのか。それは興味があるのう。まあどんな妹かは追い追い聞くとして、どんな相談じゃ?」
俺は昨日から今日にかけての経緯を手短かに伝える。
「というわけで、今いっしょに服を買いに行く途中の電車の中なんだが、妹の機嫌を直してもらうにはどうしたらいいかな?」
「むう、おぬし本当に『じょにだん』なんじゃな。呆れ果てるばかりじゃ」
「?」
「おぬし、妹の気に触ることばかりしておることに、気がついておらんのか? もしそうならば、モテ男になるなど夢のまた夢じゃのう」
「ワシはおぬしを見たことはまだないが、おぬしがよほど容姿端麗なら天然ボケも味になろうが、そうでないのなら単なるボケナスじゃな」
「妹と言えども女子。最も近しい女子にそのように嫌われるなど、モテ生活など考えずに分相応の生活をしたほうよいのではないかの」
仙人からの思ってもいなかった毒舌に、俺は一瞬、怯んだ。
「俺って気づかないうちに、嫌われるような行動してるってこと? え、どの辺が?」
「時間もないから手短かに言うぞ。
ひとつ、おぬしが頼んだのに真摯に対応しとらん。
ふたつ、女が男と出かける際の心理を理解しとらん。
みつつ、腹を空かせたまま行動させとる。以上じゃ」
メッセージはそれで途絶え、その後こちらから追加のメッセージを入力しても、まったく反応はなかった。
動揺が顔に出ていたのか、よそよそしかった妹がちょっと心配そうに、チラチラこちらを見ているのがわかる。
ヲタ友と思っていた仙人から、思いもしなかった厳しい反応を返され、俺は衝撃半分、怒り半分で、それ以上動かないメッセージ画面をじっと見つめる。
ひどくイライラして胃が迫り上がってくる。
しかし次の瞬間、「ぎゅるーるるる……」と驚くほどの音で俺の腹が鳴った。近くに立っていたおじさんとお姉さんが、驚いて振り向いた。恥ずかしい。
あー、でも仙人の言うとおりだ。たしかに俺も腹が減ってる。そして自分のイライラのかなりの部分は、ここから来ている。
ということは、妹も同じ状態なんだよな。
「腹を空かせたまま行動させとる」――そりゃあ、機嫌も悪くなるわけだ、もう昼近いわけだし。それに妹からは、昨日から今日の朝食を頼まれてたんだった。そりゃ怒るわ……。
仙人の残したあと二つのメッセージを見つめる。
「おぬしが頼んだのに真摯に対応しとらん」――これも否定できない。俺は妹に服のアドバイスを頼み、妹は俺の希望を叶えるために今、いっしょに電車に乗ってくれている。
今日は朝から服を買いに行くことになっていて、妹は早く起きて準備してたのに、俺自身は遅くまで寝ていて、妹に起こされる羽目になった。これもダメだな。
「女が男と出かける際の心理を理解しとらん」――これはあんまりわからない。妹が俺と出かけるときの心理、と言われても、正直ピンとはこない。
ただ、どんな気持ちで妹が俺と出かけてるか、なんて考えてこなかったことも事実だ。仙人が言うように、妹と行動するなら妹の気持ちを察することが大事だ、ってことはわかる。
妹の気持ちをちゃんと考えて行動するべきだったな。そういう反省が素直に心の中に滲み出してきた。
仙人からのメッセージを見たときは怒りもあったが、あらためて考えてみると、自分では気づかなかった問題点を的確に指摘してもらってる。仙人に対しては怒るどころか、感謝しなきゃいけないだろう。
ただし今は仙人のことより、まず妹だ。
こちらの様子をうかがっている妹の近くへ、俺はズカズカ踏み込む。突然の俺の行動に、妹は目を大きく見開いて「え?……」と絶句し、口だけパクパクさせて固まった。
「凛香すまない。今日の買い物は俺が頼んで付き合ってもらってるのに、出かけるまでグズグズしちゃって。
朝メシも用意できずに、腹減ってるよな。ほんとうにごめん。
もう朝メシの時間じゃないけど、駅に着いたら何かたべよう。おまえの食べたいものでいいから。
……ただちょっと、これから服買うんで、あんまりすごくお金ガカカルノハ、チョットダケ、イヤデキレバ手加減シテイタダケマシタラ幸イナンデスケレドモ……」
固まってた凛香の表情が、瞬間キョトンとし、そのあと呆れたような苦笑のような表情へと移り変わり、そして最後は柔らかい笑顔になった。
あれ、俺の妹ってこんなに可愛かったっけ? 生意気な妹に対して、一瞬でもそう思ったのは、気の迷いだと思いたい。
「あのねえお兄ちゃん、お兄ちゃんがポンコツ男子なのは、凛香は生まれたときからわかってるよ! まったくしょうがないよねえ。
今日はぜったいに豪華ランチ! って思ってきたけど、そんな風に言われたら、ほんのちょーっとだけ考え直すかもしれないしー、考え直さないかもしれない。
ま、駅に着いてから考えましょ!」
片目をつぶって、俺の顔をイタズラっぽく見つめてくる妹を見て、俺は仙人に心の中で手を合わせた。
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