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第一章 妹、襲来(その二)

 俺と凛香は四つ違いで、凛香は今年、中学三年生になった。中高一貫で有名な、都市圏屈指の難関女子校に通っている。

 成績は優秀なのだが、俺に言わせれば、今の凛香には可愛げというものがない。

 黙ってればそこそこ見栄えもいいのに、口を開けば、兄を兄とも思わない罵倒の数々、あー言えばこー言うし、まず口では敵わない。

 幼稚園や小学校のころは、もう少し可愛げがあって俺に懐いてたような気がするが、今はそんな気配は微塵もない。

 どういうわけだか凛香の俺への当たりはキツい。反抗期か。反抗するなら親にしてくれ。

 今日は予告なしに来訪しているのだが、何を狙って来たのかよくわからない。こんな遠くまで無目的に来るとは思えないので、出来るだけ丁寧に対応して、早々にお引き取り願うのが(キチ)だろう。

「それで凛香さん? 今日のご来訪の目的は?

 あと、俺いまから昼メシ食おうと思ってるんだけど、おまえの分はないから」

 ワンルームの真ん中の床にぺたりと座り、キョロキョロと興味深そうに、そして若干不思議そうに部屋を見回していた凛香は、昼メシの話を聞いたとたん、ニガ虫を十匹単位で噛みつぶしたような顔で俺を睨みつけてきた。

 そんな顔されても、食い物は俺の分しかないのだ。

 負けずに睨み返すと、呆れたようにプイっと目を逸らし「あのねえ……お兄ちゃんはまったく、もう」っと、深い深いため息を吐かれた。

「お父さん、お母さんが様子を見て来いっていうから来たんだよ。そうでもなきゃ、わざわざ来ないんだよこんなとこ」

「そうかよ、悪かったなこんなとこで」

「あのねえお兄ちゃん、お父さんもお母さんも『いったん帰って来ればいいのに』って言ってるんだよ。

 帰ってくれば食事の心配なんかしなくていいし、お兄ちゃんの大好きなマンガや同人誌も、部屋中にアホみたいにいっぱいあるんだよー?」

「そういう問題じゃないんだよ、凛香」

 思わず、そう口に出していた。

 思わず口には出したが、何が「そういう問題じゃない」のか、そしてそれをどんなふうに説明したら妹に理解してもらえるだろうか、と困惑している自分がいる。

 というか、俺自身ちゃんとわかってるのか?

 何から話せばいいのだろうか。

 まずはここからか。

「おまえには初めて言うけど、実家の環境や地元のしがらみから離れるために、俺は一人暮らしを始めたんだ。

 だからそう簡単に帰るわけにはいかない」

 ここまでは、すんなり言葉が出てきた。

 凛香は一瞬両目を見開き、何か言おうとして、すぐに両目をすがめるように俺を見つめ、無言で先を促す。

 考えながら言葉を紡ぐ。

「そうだな、知ってのとおり、子どものころから俺は……そう、おまえと違って、他人との関係がうまく築けなかった。

 特に女子相手には気後れしてしまって、好意をもってない女子と話すのは怖かったし、好意をもっている女子には、意識しすぎて自分の考えや想いを伝えることが出来なかった。どちらも苦手だった。

 おまえも知ってる小学生の時のバレンタインの一件もそうだし、言ってないだけで中学高校時代もいろいろあったさ」

 あれ? 俺、妹相手に何を語っちゃってるんだろ。

 凛香相手にこんな話するなんてわけわからんが、なんだかここで止めることは出来なかった。

 よくわからないまま、俺は自分の心の奥に分け入っていく。

「たぶんその反動で、俺は人と接触しなくてもいい『ニジオタ』になった。そうなることで、マンガやアニメや同人誌に埋もれて、自分の弱い心を守りながら、疑似的な友情や恋愛体験をしたかったんだろうと思う」

 話しているうちに、客観的な自己分析ができていく。

「……でも結局、そういうものに自分から埋もれて疑似体験を重ねてみても、疑似体験はやっぱり疑似体験なんだよなあ。

 どんなにスゴい作品に出会ったときでも、心の底からの感動とか満足感とか充足感は、俺は得られなかったんだ。

 そういう作品よりよっぽど、隣りのヤツがチョコいっぱい貰ったとか、同級生から『キモオタッ!』って叫ばれたとか、そっちのほうが衝撃インパクトがデカかったんだよ」

 凛香は「ふーん」とか「うーん」とか、はっきりしない声をあげてるが、口を挟まず聞いてくれてる。

 なんか嬉しかった。

 心の声に従って、続けて話す。

「俺自身はきっと、リアルな女の子を心の奥底では求めてたのに、現実が怖くて、その想いにマンガや同人誌でフタをして、見ないようにしてたんだろうな。

 たぶん、そういう状態から抜け出したくて、マンガや同人誌なんかを全部置いて、実家を離れたんだな俺は」

 妹に向けて丁寧に語ろうとしたはずが、俺は、俺が一人暮らしを始めたかった根本の理由らしきものに、行き着いてしまった。

 そうだったのか。

 そんなふうに考えたことは一度もなかったが、あらためてそう考えてみると、パズルのピースが嵌まったみたいにピッタリくる考えだった。

 霧が晴れて、視界が一気に明るくなった感じがした。

「ふーん。だからこの部屋には、マンガや同人誌が見当たらないのか。なるほどねー」

 凛香が納得顔で、うんうん、とうなずく。

「この部屋に入ったとき、ちょー違和感あったんだよね。お兄ちゃんが住んでる部屋なのに、片づき過ぎてるもん。

 だって実家のお兄ちゃんの部屋、マンガ本やアニメの円盤とか、あやしい同人誌がそこここに積まれてるし、萌えキャラのポスターとかもベタベタ貼られてるし。

 それと比べると、え、マジかーって感じ。

 あのねえお兄ちゃん、凛香はね、最初この部屋を見てあまりの片づき加減に、お兄ちゃんにカヨイヅマでもできたのかと思ったんだよ!」

 ニシシシ……と凛香が口に手を当てて笑う。

 まったく、なんてこと言いやがる。

 つられて俺も笑った。

 通い妻というか、部屋を片付けてくれるような女性がいるくらいなら、おまえにこんな話するわけねーだろ。

 それをわかってるくせに、優しく笑ってんじゃねー!

 妹と会話して、いっしょに笑いあうなんていつ以来だろう。俺は一番近くにいた妹とすら、これまで人間関係をしっかりと紡いでこなかったことにあらためて気づいた。

 まずはここからだ。

「残念ながら、通い妻はいないからロクなものはないが、昼メシくらい用意するからいっしょに食うか?」

「あのねえお兄ちゃん、せっかく妹が遠路はるばる来てるんだから『最大限ご接待するよ』くらい言ってほしいところだよー。

 ま、可愛い妹すら喜ばせられないようじゃ、お兄ちゃんのモテ生活なんてまだまだ、無限に広がる大宇宙、のはるか彼方だねー」

 凛香が苦笑しながらからかってくる。

「調子のんな!」と笑いながら、妹を軽く小突くと俺は立ち上がり、食糧を物色するためにキッチンへ向かった。

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