第一章 妹、襲来(その一)
「ねぇねぇ、いつまで寝てんの? もう午前十時近い時間だよ」
「いくら夕べ遅くまで楽しんだからって、そろそろ起きなきゃでしょ? ほらぁ……」
「もぉ、こっちはもうシャワー浴びて、着替えも終わってるのに、ほんとうにねぼすけなんだから……」
これは妄想ではない。現実だ。
努力の甲斐あって、俺は第一志望の大学に合格することができた。そしてついに念願の一人暮らしを始めることになった。
俺の入った大学は、中堅どころの伝統校でそれなりに名前の通っている大学なのだが、俺の選択ポイントはそこじゃない。
重要なのは、実家からキャンパスまで電車を乗り継いでも片道二時間はかかるということだ。これで一人暮らしは確定だ。
俺が第一志望に受かったことを親はとても喜んだが、大学のキャンパスは実家から通える範囲にあると思い込んでいたらしい。
入学書類を読み込むうちに、俺の通う学部のキャンパスは、都心を中心点としてわが実家からほぼ点対称の位置にあることを知るや、親は急に文句を言い始めた。
こっちはもともと一人暮らしを目指して志望校や志望学部を狙いすましたわけだから、受かってしまえばこっちのもの。
渋る親を説得して、大学までさほど遠くないあたりにワンルームの物件を借り、ようやく一人暮らしにこぎ着けた。
「……というわけで、今日は教科書の四十三ページまで講義したことになります。次の講義ではここまでやったことのテストを兼ねて、皆さんにランダムに質問していきますから、しっかり復習して臨むようにしてください。それではまた来週」
ノートパソコンの画面に表示されていた講義の出席人数が、百人近くからたちまち数を一桁まで減らしていく。俺も「退出」ボタンを押して、受講画面からログアウト。
右手を軽く握って左の首筋をぽんぽんと叩き、首をぐるりと回す。一時限目、二時限目と連続受講は正直しんどい。
この後の三時限目は空いているが、四時限目の自然科学概論は必須科目で落とせない。メシ食って少しのんびりしたら、午後三時前にはまたログインしなきゃダメだ。いちいち面倒なことだ。
いま俺は一人暮らしのワンルームから、インターネット経由で大学の講義を受けている。オンライン講義というやつだ。
東アジアから拡がったパンデミックウイルスは、瞬く間に全世界に拡がった。更なる感染拡大を防ぐため、多くの人が集まる機会は可能な限り回避されることになった。
学生が集まる大学の講義もその例外ではなく、うちの大学ではほぼすべてがオンライン講義に切り替えられた。教室での一斉テストもできないので、ほとんどの科目でレポート提出が必須だ。
わざわざキャンパスに行く必要はないということ。
これは俺にとって、深刻な問題だ。
キャンパスに行かなくていいということは、同期の友達も作れないし、サークルやクラブ活動への接点もないことを意味する。
同じ高校を卒業した先輩の話では、新入生に科目選択や大学生活などを説明する新入生オリエンテーションの期間、キャンパスの至るところでサークルやクラブ活動への勧誘がかなり賑やかに行われるという話だったが、今年はさすがに自粛らしい。
これは非モテからの脱出を目指す俺にとって、出会いの機会が奪われることに他ならない。これでは何のためにこの大学を選んだのかわからん。
もっとも、受験中にSNSで仲良くなったヲタ友のひとり――とあるアニメで推しがいっしょであることから仲良くなった――に言わせれば、「仮に万一、おぬしに出会いの機会が確保できるとして、『女子だけコミュ症』のおぬしが女の子とキャッキャうふふできるなんていうのは、所詮は幻想じゃよ」なんだそうだ。
おぬしの幻想をイマジンブレイクしてしんぜようか、とまで言われたが、それは遠慮しておいた。
ヲタ友の言うとおり、何もしないのに女子のほうから寄ってくるとか、そんなのアニメやマンガの世界にしかないよなあ。
一方、親からは実家に帰って来いという圧がスゴい。オンライン講義なら実家でも受けられるだろう、家賃は仕方がないにしても、実家に戻れば電気代や水道代、食費などもかからなくなる、その分家計が助かる、などとうるさく言ってくる。
いろいろ考えているうちに、あらためて腹が減っているのに気づき、三時限目までの間に何か食うかと、昼メシ候補を思い浮かべていると、呼び鈴が「ピンポ〜ン」と間の抜けた音で鳴った。
誰か訪ねてくる予定なんかないし、宅配の届く予定もないから、こりゃ何かの勧誘だな。伊賀の影丸なみに気配を消してスルーしよう。
そう思ったとたん、
「ピンポーン、ピポピポピポピンポーン!
ピピピピピピンポーン!!
ピポピポピポピポピポピポーン!!!」
こ、この連打は……
知っている……気がする!
でも、まさか来るのか? ここに?
だいたい今日は金曜日で平日、それもまだ授業終わりには早すぎる。
そんなはずはない、と思いながらドアスコープを覗くと、俺のワンルームのピンポンをゲーム機のコントローラーボタンよろしく、スコスコ押しまくっている見覚えのある姿。
俺は瞬時にドアロックを解除し、バッ!とドアを引き開ける。
「凛香っ、おまえ、どうしてここにっ?!」
「あのねえお兄ちゃん、どうしてって、そりゃあ電車を乗り継いで来たに決まってるんだよー」
セーラー服姿の妹・凛香が、呼び鈴のボタンを押すポーズのままダウナー気味に答えた。
俺の開けたドアの向こうから呆れたように、ジト目でこっちを見ている。
急にドアを開けたんだから、ちっとは驚けよ!
「移動手段を聞きたいワケじゃない! まだ昼過ぎたばっかりなのに、なんでこんなところにいんだよ。授業はどうしたんだ?!」
「あのねえお兄ちゃん、今日は先生たちの研修で、朝のLHRだけで授業はお休みだってさー。だからヒマつぶしにちょうどいいと思って、学校から直接来ちゃったんだよ」
「おまえなー、いくら兄妹だからって何にも言わずに突然来るやつがあるか! 第一、おやじやおふくろに――」
「――あのねえお兄ちゃーん、こんなかわいい制服女子にドア開けっぱなしで大声で叫びまくるとか、隣り近所の人が聞いててどう思うか、よーく考えたほうがいいんじゃないかなあ?
モラハラとかDVとか疑われて、警察に通報されちゃうよ?
ま、わたしはぜんっぜん構わないけどねー?」
俺が喋ってる途中で、上から被せてくる凛香。こういう小生意気なところが気に食わないんだが、確かに通報されたり、周りの人に迷惑かけるわけにもいかないので、言いたいことをぐっ、と飲み込む。
「わ、わかったから、さっさと中に入れっ!」
仕方なく凛香を部屋に招き入れる俺。
ニンマリする凛香。こんにゃろー!
「おっじゃましまーす!」
妹・凛香は、こういうヤツである。
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