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第三章 雨に降られて(その三)

「…………」

「希砂だってわかってるんじゃないのか。

 いや、違うな。凛香のことを俺よりよっぽど理解している希砂だからこそ、わかってるんじゃないのか。

 あいつは誰かのことを軽々しく『親友』なんて呼ばないヤツなんじゃないかな?

 そして相手にも自分のことを簡単に『親友』なんて呼ばせないヤツだろう?

 そんなヤツが、ちょっとしたトラブルがあったからと言って、自分が認めた『親友』を簡単に手放すと思うか?」

「…………」

「たしかにおまえ――だけじゃなくて俺もか――俺たちふたりが凛香に黙って、いろんな情報収集をしたり、凛香に近づこうとするヤツを対する妨害工作をやってきたことは褒められたものじゃない。

 そんなことを凛香本人が知ったら、その性格からすると間違いなく大激怒するだろうさ。

 でも、妹は誰に対しても大激怒するわけじゃない。おまえが『親友』で、俺が『兄』だからこそ、大激怒する――そう思わないか?」

 希砂を見ると、顔を紅潮させ、両目を見開いて瞬きもしない。

「そして、ここが肝心だが……」

 俺はちょっとタメを作った。美少女に対して、少しくらいはカッコつけたっていいだろ?

「俺たちがどうしてそんなことをしたのか、しっかりわかるようにヤツに説明したとする。たぶんヤツは怒って、ギャーギャーわめき散らすことだろうよ。

 でもそのあとは、ウチの妹は意外にケロッと『親友』とか『兄』を許してくれる、そういうお人好しなヤツだとは思わないか?」

「ふふっ……おもい、ます……ね……わたしの親友、リンちゃんは、たしかに……そんな……優しい女の子……です……」

 希砂の瞳からぽろぽろ、雫がこぼれ落ちる。さっきいったん涙は止まったはずなのに。

「おまえがシャワーを浴びてる間に、凛香には電話した。状況はだいたいわかったから、あとは俺に任せるように凛香には言った。凛香からもおまえをよろしく頼むと言われたよ。

 『今回の件はもう気にしなくていい、親友のおまえを信じる』ってのが、凛香からおまえへの伝言だ」

「でも、わたしは……リンちゃんの信頼を裏切った……リンちゃんが許しても、わたしは……自分で自分が許せない……です……」

「そうだな。たしかにおまえは、いや俺たちは凛香の信頼を裏切った。だからおまえはそんな自分が許せず、妹の『親友』をやめて、凛香との関係を断ちたいというんだな……」

「…………はい。こんなわたしに関わる価値なんてないです。リンちゃんにはその価値にふさわしい人と出会ってほしい。わたしなんかがその出会いを邪魔するようなことをしちゃ、いけないんです」

 凛香が希砂を許したとしても、希砂は自分で自分の裏切りを許せないのか。でも、それでは結局、希砂も凛香もお互いに親友を失ってしまうわけで、それではふたりとも不幸になってしまうじゃないか。

 俺はカッコつけて妹に「この件は俺に任せておけ」と大見得を切った。だから何とかしなきゃいけない。

 何とか希砂を繋ぎ止める方法はないか。

 考えろ、考えろ、俺。何かないか。

 ああ、もう! くそっ!!

「き、希砂、ズルいぞ! 俺を置いて自分だけ逃げる気だな? 卑怯者め!」

 希砂は驚いて目を見開いている。

「おまえはいいよな、親友をやめる!とか言うけど、単に凛香と友だちを付き合いやめて、別の友だちと過ごせばいいんだからな。

 こっちは兄なんだよ! おまえみたいに付き合いをやめられないんだよ、兄は! 逃げられないんだよ、妹からはな。

 いいよなあ、自分だけはさっさといなくなれて。おまえのおかげで俺は妹から一生白い目で見られるんだぞ。

 こうなったら、おまえが実際にやったことも、やってないことも、あることないことみんな凛香にぶちまけてやる! 一生おまえを恨んでやるぞ!」

 ……それまでしおらしく涙していた希砂が、急激に固まった。そして俺の発言の意味を理解すると、明らかに鼻白んで、蔑むような冷たい目をこちらに向けてくる。その視線の冷たさが俺の心にグサグサ突き刺さる。

「……お兄様……何ですかそれ。本当に品性下劣な人なんですね。実の妹に対して、逃げるとか、付き合いをやめるとか、その物言いはなんですか!」

 先ほどとは一転した激しい口調。

「性根が腐ってるとは、あなたのような人のことをいうのです。一瞬でもいい人だと思ったわたしがバカでした。自分を守るためなら、ウソでもなんでも平気でリンちゃんに吹き込んで、さらにリンちゃんの心を傷つけるなんて、あり得ない!

 もしそんなことをあなたがするというのなら、たとえわたしの心がズタズタになっても、真実を自分の口でリンちゃんに説明して、その後どんなに嫌われても苦労しても、いつか絶対にリンちゃんの信頼を回復するわ!

 リンちゃんの幸せはわたしが守る! いい加減な兄なんかに任せておくものですか!

 いいですか、もうわたしに馴れ馴れしくしないでください。『親友』のリンちゃんはわたしが守ります。

 あなたには指一本触れされませんから!!」

 一気にそう言い放つや否や、呆然とする俺を尻目に、希砂は大股にバスルームに駆け込むと、あっと言う間に制服に着替えて出てきた。

 それからスクールバッグを抱えるや、メガネの奥から俺のほうをギロリとひと睨みすると、おもむろに靴を履き玄関ドアを開け、外へ出て行った。

 バンッと大きな音を立ててドアが閉まった。

 幸いなことに、雨はもう止んでいるようだった。


 希砂のあまりの変化に、俺はしばらくその場に立ちすくんでいたが、すぐに苦い笑いと脱力感に襲われ、その場に座りこんだ。

 これでいい。これで希砂は凛香に本当のことを話して詫びるだろう。凛香はそれを受け入れて、ふたりの親友関係は保たれることだろう。

 逆に今回の件で、「品性下劣」で「性根が腐っている」俺は、完全に希砂に見限られたことだろう。多少の寂しさはあるが、希砂にあれこれ求められた日々を考えれば、ホッとする気持ちも大いにある。美少女だがクセの強い希砂は、正直なところ、俺の手に余る存在ではあった。

 心残りがあるとすれば、わが妹に関するレクチャーをしてもらえるチャンスが失われたということか。

 まあ俺としては非モテ生活脱出のヒントとして、最も身近な女子である凛香をモデルに、女子一般の考え方やものごとの捉え方を知りたかっただけだ。必ずしも凛香個人の考え方や興味を知りたかったわけじゃない。

 それにこれからだって、女子一般の考え方を知るチャンスがまったくなくなるわけじゃないだろう。

 そんなチャンスを一回二回失うことより、妹が仲の良い友だちと変わらず楽しく日々を送れることが兄としては大事だ。

 とりあえず、妹に連絡するか。

 ふと見ると、バスルームの入り口には、さっきまで希砂が着ていた俺のジャージが、きちんと折りたたんで上下重ねて置いてあった。


 俺はすぐに妹に電話を入れた。

 妹は俺からの連絡を待ち構えていたらしく、ワンコールも待たずに出た。

 俺はすでに希砂が帰ったこと、いろいろ話をした結果、おそらく希砂からお詫びと仲直りの申し出があるであろうこと、希砂のことを許してやってほしいことを伝えた。

 そこに至る詳しい経過はあえて語らなかった。凛香と希砂の関係修復がうまくいくのであれば、些細な経過は関係ないだろう。凛香の兄として、ふたりの関係修復に尽力した。それでいい。

「お兄ちゃん、本当にありがとう。きーちゃん、ちょっと頑固なところもあるから、大変だったんじゃないかと思うよ」

 たしかに大変だったな。希砂は、自分で親友との関係を絶とうと思い詰める程度には頑固だった。

「おう、まあな。ただまあ、希砂と話をつける流れの中で意見の衝突もあったりしたから、希砂はもう俺と接触したいとは思わないだろうよ」

「まったく、どうせいつもみたいに言葉を選ばずに好き勝手言ったんでしょ? お兄ちゃん、わざわざ誤解を招くようなこと言ってトラブル起こすんだから。そういうトコは治したほうがいいよ?

 ……でも、ま、今回の話については、ほんとに感謝してる。ありがとう」

 さすがわが妹、よくわかってらっしゃる。

 たださすがに、それまでしんみり泣いていた希砂を激怒させるに至ったところまでは理解してないだろうがな。

「もしかすると希砂がおまえと話をするとき、俺のことを悪く言うかもしれない。もしそんなことがあっても、それは俺がうまく言葉を選ばなかったせいだから、気にすんなよ?

 まあ、希砂が俺の悪口言ったら、むしろおまえもそれに同調しそうだなあ……お兄ちゃん悲しい」

「うーん、それはたしかに、きーちゃんに同調しちゃうかも……」

「おい、そこはウソでも否定するトコだろ!」

 妹と俺は同時に笑った。

「だけど、きーちゃんが人の悪口言うのは聞いたことないからなあ。お兄ちゃんのことだけ悪口言うとは思えないよ。

 きーちゃんは何かあっても、人のせいじゃなくて自分のせいだ、って考えるタイプだから、他人のせいにしたり、悪口を言ったりほとんどしないんだよね。

 ……自分で抱え込まずにもっとわたしに話してくれればいいのに」

 最後のひと言は、俺に聞かせるためじゃなくて、ひとりごとのようだった。間違って聞こえてしまったのかもしれない。

 

 電話を切ると、俺は緑のアプリを開き、同志ボンドの名前をタップして、溜まっていたメッセージを全部既読にし、メッセージの内容は一切見ないままアプリを閉じた。

 これで今後は希砂からのメッセージが溜まっているのを気にせずに済む。新たなメッセージが溜まることもないだろう。

 何か少し解放された気分で、俺はスマホをミニテーブルのうえに置いた。

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