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❢注意❢
この回だけヒロインサイド、ヒーローサイドが交互に展開します。
混乱を招かないために、事前にお伝えしておきます。
振り向けば、白馬に乗ってやってくる人物が見えた。
遠くて、まだ顔がよくわからない。
けれど、あの銀髪。
あれほど見事な銀髪を持つひとはひとりしか知らない。
まさかと思い、目を丸くしているうちに、どんどん距離が近くなっていき、あっという間に横を駆け抜けていった。
「そこの馬車、とまれっ!」
前方であがるその聞き覚えのある声に、耳を疑った。
固まって動けないでいると、白馬に乗ったそのひとがこちらにやってくる。
必然、窓越しに視線がかち合った。
「……フェリシアン……様……」
馬車に彼女がいるのを見た途端、身体中から力が抜けるのがわかった。
――良かった。
もしやと思って止めた馬車に本当に彼女が乗っているなんて。
この道を選んで良かった。
あと一歩遅ければ、彼女はカトレ修道院の中だったかもしれない。
己の幸運にひたすら感謝した。
まだ息が切れる中、馬から降り立つ。
こちらを凝視するエレン嬢を見つめたまま、馬車へと近付いていく。
フェリシアン様が扉を開いて、中に入ってきた。
「……どう――」
どうしてここに?
言葉は最後まで口にすることはできなかった。
その前に、フェリシアン様が急に私の前で膝をついたからだ。
膝の上に置かれた私の手をぎゅっと握りしめる。
「君が好きだ」
「え?」
突然言われたせいで、言葉が意味をなくしてしまったように聞こえた。
理解ができないまま、けれど、こちらを真剣に見てくる眼差しが言葉よりもその役目を果たして私に想いを伝えてくる。
「え……?」
その考えに再び戸惑いの声をあげる私。
今度こそ、ちゃんと理解するからもう一度言ってほしい。
この考えが勘違いでないとどうか教えてほしい。
私の心の声が聞こえたわけでもないだろうに、フェリシアン様はもう一度言葉にしてくれた。
「君が好きだ」
私の手を握りしめるフェリシアン様の大きな手。そこからも、想いが伝わってくるようだった。
「君を愛している。どうか、私のずっとそばにいてほしい」
フェリシアン様の気持ちが、私の心にじんわりと入ってくる。
「……本当に?」
胸が震えるのと同時に、声も一緒に震えてしまう。
これは本当に現実かしら。
フェリシアン様が私のことを好きだなんて、本当に現実で起こっていることなのかしら。夢でも見ているのではないかしら。
まだ疑う心の隙を突くように、あることが頭に思い出させた。
「パトリス様は……?」
パトリス様のことを忘れてはいけない。
――何故、ここでパトリス嬢の名前が?
その言葉が出る前まで、潤んだ瞳からは私のことだけを考えていることが見てとれたのに。
今はだだ不安そうに揺れる目。
彼女に会うまではなんと声をかけるかなんて、考えていなくて、彼女を見た途端、思わず口から勝手に好きだとついて出たのだが。
いや、今はそんな衝動的な自分の行いを振り返っている場合ではない。
私は困惑して、眉を寄せた。
「パトリス嬢?」
エレン嬢が悲しそうに少し顔を伏せて、言いにくそうに口を紡ぐ。
「パトリス様とは、お互い、想い合ってた仲なんですよね。パトリス様はいいんですか……」
最後に見捨てられた仔犬のような上目遣いで問いかけられた時、思いも寄らぬ言葉に対する驚き、好きなひとからほかの女性との仲を疑われている混乱、彼女の悲しんだ姿を目にした痛み、そして、彼女の表情を可愛いと思う気持ちが全部一緒くたになって、複雑な感情を私にもたらした。
とりあえず自分の感情を横に置いて、答える。
「何故急にパトリス嬢の名前が出てきたのかわからないが、私とパトリス嬢はそのような仲ではない」
「え?」
ぽかんと顔をあげる彼女。
「彼女はただ母親の友人の娘に過ぎない。それ以上でも、それ以下でもない」
彼女がきちんと言葉を理解するより先に、とにかく事実を早く声にのせてしまいたかった私は、矢継ぎ早に告げた。
私の言葉をまだ完全に理解できていない表情のまま、ゆっくりと口を開くエレン嬢。
「でも、フェリシアン様のご両親に婚約を認められていたと……」
フェリシアン様の言葉をまだ完全に呑み込めたわけじゃなかったけど、私を見つめるフェリシアン様の目には嘘偽りなどないように見える。
じゃあ、このままフェリシアン様を信じても良いのだろうか。
淡い期待をのせて、フェリシアン様の顔を見つめる。
エレン嬢に見つめられたまま、私は内心首を捻った。
――そのようなこと、あっただろうか。
私は昔のことを思い返し、記憶を掘り起こした。
すると、ある記憶が蘇った。
あれは確か、エレン嬢とまだ婚約する前のこと。
私が婚約者を一向に決めようとしないことに母上がお茶の席で愚痴をこぼし、それを聞いたパトリス嬢が――
『でも、いずれは、誰かに決めなくてはいけませんよね。このまま見つからず、もしローラ様が決めなくてはいけないことになったら、その時は私も、候補に入りますか?』
『それはわからないけれど、もしかしたら、そういうことになってしまうかもしれないわね』
問いかけに母上はそう答えたが、あれはきっと自分が決めることになるかもしれない事態を危惧しただけで、パトリス嬢を認めたわけではない。
だが、パトリス嬢はそうとらなかったかもしれない。仮に、そう捉えることができたとしても、あくまで仮定の話だ。まだ付け足すと、母上がパトリス嬢を薦めてきたことなど一度もない。
そう伝えると、エレン嬢は目をぱちぱちと瞬きさせた。こんな時だというのに、その姿も可愛いと思ってしまう。
「……じゃあ、パトリス様が言ったことは間違いなんですか?」
「ああ。私が愛しているのは君だけだ。両親も君に会えるのを楽しみにしている」
真っ直ぐ見つめてくる青い目に今度こそ、頬が熱くなるのを感じた。
――フェリシアン様が私のことを愛してる……。
歓びがふつふつと沸き上がり、次にたまらない気持ちになった。
心が躍りだすような、幸せと喜びと嬉しさがごちゃまぜになった気持ち。
思わず涙がこみ上げそうになる。
「わ、私もフェリシアン様がす、好きです」
思いの丈をぶつけるように口にする。すると――
「愛してるではないんだな」
真面目くさった顔をしてこちらを見るフェリシアン様。
「あ、いえ! 私も勿論、愛して――」
「冗談だ」
慌てて返事を返せば、そんなことを言う。
冗談を言うフェリシアン様は初めてで、思わずぽかんと見返してしてしまう。
――まさか私が冗談を言う日がくるとはな。
エレン嬢から返事を返してもらって余裕ができて、随分浮かれているらしい。
ふと、エレン嬢の傍らに置かれた白いうさぎのぬいぐるみが目に入る。
手にとって、思わず目を細める。
「やっぱり持ってきていたんだな」
優しい顔つきのフェリシアン様が私を見つめてくる。
「君の部屋にあったくまのぬいぐるみと人形を見て、君と初めて会った時のことを思い出した」
私は目を見開いた。
フェリシアン様はとっくに忘れていたと思っていたのに、覚えていてくれた。
そのことに胸が詰まる。
あの時感じた想いが、再び蘇るようだった。
初めての恋。
切なさも、歓びも、誰かを想う気持ちも、あなたが初めて教えてくれた。
「今まで忘れていてすまない。君がこれまで私を想ってくれた分、私も同じだけ、いや、それ以上に君を想い、大切にすると誓う」
真剣な眼差しと言葉に思わず、涙がこぼれた。
「だから、いつかこの先、君が愛の言葉を口にしてもいいと思ったら、その時は『愛している』と私に伝えてほしい。その時が来るまで、いつまでも待つつもりだから」
「……っはい……」
涙が幾筋も頬を伝っていく。
「エレン嬢、どうか、私と結婚してください」
思えば、婚約はしたものの、正式にプロポーズしたことがなかった。
これでは彼女が不安に思うのも無理はない。
これからは、きちんと彼女に想いを伝えていこう。
二度と彼女を失いたくないから。
頬を紅潮させて涙を流す彼女の顔を見あげる。
懸命に言葉を紡ごうとするものの、涙で喉が詰まって、うまく言葉が出せない。
けれど、フェリシアン様は手を握って、じっと待っていてくれる。
鋭く息を吸って、これだけは返事を返す。
「はい……っ」
涙で滲んで、フェリシアン様の顔はほとんど見えなかったけれど、フェリシアン様のお顔が近づいてくるのが感じ取れた。
私はそっと瞼を閉じた。
涙をぽろぽろと流す、赤い顔の彼女。
そんな彼女も愛しくて、私はそっと彼女の唇に触れるようなキスをしたのだった。
御者のおじさんも一緒に泣いてたかもしれません。
まだ最終話ではありません。
あとエピローグ(フェリシアン様サイド)と番外編が残っています。
最後までお付き合いくださると嬉しいです。
ありがとうございました。




