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「わあ」
馬車から降り立った瞬間、エレン嬢が周りの景色に目を奪われたように大きく目を広げた。
「すごいわ」
鮮やかな祭りの飾り付け。所狭しと並ぶ出店。吟遊詩人に曲芸師。それに大勢の行き交う人々で、街は溢れかえっている。
「祭りは初めて?」
「いいえ。小さい頃に来たことがあります。でも、最近はあんまり」
エレン嬢が小さく肩をすぼませたので、これまでの境遇が思い量られた。
「では、今日はたくさん楽しもう」
今日はこれまで楽しめなかった分も込めて、目一杯楽しんでほしい。
そう気持ちを込めて返せば、エレン嬢が笑顔で振り向いた。
「はい」
その喜びようにこちらまで心が弾み、自然と笑顔になった。
それから私たちは見世物や屋台の間を巡り、祭りを楽しんだ。
大道芸や吟遊詩人などはそれ自体でも楽しめるものだったかもしれないが、しかし、自分の隣で一緒になって笑い合える相手がいるというものがこれほど心を満たすものだとは思わなかった。
初めての経験をさせてくれたエレン嬢に感謝した。もっとも、相手がエレン嬢だったから、こんな気持ちになるのかもしれなかったが。
祭りをある程度楽しんだ頃、公園へと差し掛かった。
「歩き疲れただろう? この公園で休んでいこう」
ずっと歩き通しだったから、そろそろエレン嬢は休みたいかもしれない。
公園の中に入ると、ベンチに腰を下ろした。
やはり休んで正解だった。
エレン嬢の顔を見ると、息があがったのか、心なし顔が赤くなっていた。
「あの、ドレスをありがとうございました」
少しまごまごして言うところは、やはり可愛らしい小動物のようだ。
「ああ。無事届けられたようで良かった」
「はい。すごく素敵なドレスでした」
「君の社交界デビューが一月後だろう。そのために作らせたんだ。ぜひ着てほしい」
「ありがとうございます。――フェリシアン様が直々に注文されたのですか?」
「ああ。デザインのほうはよくわからなかったから、そっちは専門の者に任せたが」
そう言うとエレン嬢は黙り込んでしまった。
「どうした?」
膝の上で拳をぎゅっと握りしめる彼女。
もしやまた、至らない発言をしてしまっただろうか。
焦りが生まれたところで、エレン嬢が絞り出すようにぽつりぽつりと言葉を発した。
「……素敵なドレスを頂いたのはすごく嬉しいんですが。……でも、着こなせる自信がなくて……」
彼女が弱々しく吐露する。
「私、お化粧が上手くなくて……。髪も……」
そうして俯いて、項に手をやる。
ひとつに結んだ、彼女の白くて細い項。
確かに今まで出会った女性と比べると、エレン嬢は化粧っ気がなく、髪型もいつもシンプルだった。
身支度を整えてくれる侍女がいなければ、当然そうなるだろう。
いつも着けてくれる、あまり高価とは言えない髪飾り、そして以前贈った耳飾り。
ひとり、この少女が鏡の前で、自分なりに考えて私の為に装ったと思うと、どれほど侍女の手によって着飾ってきた女性を前にしても、彼女のほうが私の目には好ましく映るだろう。
だが、そうは言っても彼女の悩みが解決するわけではない。
「では、公爵家から人をやろう」
彼女の憂いをとってあげたくて、そう口にした。
大勢いる使用人から数人選んで人をやることくらい、何の造作もないことだ。
「身支度に慣れたメイドを当日君の家におくろう」
「……いいんですか?」
まるで耳をうたぐっているかのような、驚きに満ちた表情。
「ああ」
微笑めば、エレン嬢が胸が詰まったような表情を見せた。
「――ありがとうございます」
わずかに震える声音と潤んだような瞳。
彼女の無欲で真っ直ぐな心に触れていると、私の心まで清らかになるような気がする。
彼女には、何でもしてやりたくなってしまう不思議な力がある。
「いや。当然のことだ」
それから私は話題を切り替えた。
「私の知り合いが一月後にパーティーを開くんだ。そこでデビューするのがちょうど良いと思う」
すると目をぱちりと瞬きして、何かに思い至った表情をするエレン嬢。
「そういえば、フェリシアン様のご両親にまだ御挨拶に行ってませんが……」
内心ぎくりとするものの、平静を装った。
「両親は……。そうだな、結婚式の前日が空いてるからその日で良いと思う」
先日のレナルドとの会話を思い出しながらそう口にする。
「そんなにお忙しい方なんですか」
「……まあ、そうだね。なかなかお忙しい方ではある」
嘘は言っていない。
父上は普段から領主の仕事で忙しいし、母上も日々社交に精をだしている。
「そうなんですか……。じゃあ、フェリシアン様の言うとおりにします」
「うん、それが良い」
彼女の素直さに救われる形で、この話は終わったのだった。




