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「ほら、着いたわ」


 アデラが軽快にステップを踏み、馬車から降りる。


「ここが今日のパーティー会場?」


「そ。お姉様の知り合いが開いてるんですって」


 私は馬車から降りて、眼の前の屋敷を見上げる。


「ほら、行こう」


「待って、アデラ」


 私は慌ててアデラのあとを追った。


 私は今夜アデラに誘われ、伯爵家のパーティーに来ていた。

 何でもアデラのお姉様の知り合いが開いたパーティーらしく、招待客は主に若い未婚の令嬢たちに限られているとのことだった。

 当然パートナーは必須ではなく、私はフェリシアン様のいない初めての――といっても社交界自体が二回目だけど――パーティーに出席することとなった。

 このことをフェリシアン様に伝えれば「気をつけて行っておいで」と言ってくれた。

 私はフェリシアン様から以前贈られた水色のドレスを着て、伯爵邸の中へと踏み入れた。

 デビュタントの時に見た公爵邸の広さや豪奢さは手に届かぬものの、充分立派なお屋敷だった。


「アデラ! こっち! こっち!」


 広間に入れば、アデラの知り合いが何人か手を振っていた。

 私達は合流し、アデラは私の紹介をしてくれ、その後は和気あいあいとパーティーを楽しんだ。

 しばらくしたあと――


「アデラ、私、ちょっと席外すね」


「うん。わかった」


 私は輪から外れ、給仕にお手洗いの場所を聞くと、広間から出ていった。



 その帰り、広間へと続く廊下を歩いていると、突然前方に影がかかった。


「あなた、エレン・レヴィンズ嬢よね」


 顔をあげると、三人の令嬢たちが前を塞いでいた。

 どの方も見覚えのない顔ばかり。

 しかし、真ん中に立っている金髪の令嬢を見ているうちにその特徴が、デビュタントの時フェリシアン様の隣に立っていた令嬢と合致した。


――フェリシアン様と仲が良い公爵家の方だわ。


「は、はい。そうですが……」


「良かった。あ、申し遅れましたわね。私、パトリス・モーズレイというの。こちらの二人は私の友人の侯爵家のコリーン・コールリッジ嬢と同じく侯爵家のシャリー・ビクスビー嬢ですわ」


 上位貴族の方をひとりで対応したことがない私は、緊張しながら頭を下げた。


「はじめまして。エレン・レヴィンズです」


「私、あなたとお話がしたかったの」


 パトリス様はにっこり笑った。

 その笑顔と礼儀正しさ、所作の美しさから、良い印象を抱いた。


――やはりフェリシアンの知り合いはみんなできた方なんだわ。


「少し大事な話なの。聞かれたくないから、こっちに来てくださらない?」


 パトリス様はちょうど横にあったテラスをしめした。

 急に現れたと思ったけれど、開かれた扉を見て彼女たちはそこから出てきたのだとわかった。


「あ、は、はい」


 フェリシアン様の友人の頼みとあらば、それに大事な話と聞いてしまったからには拒否する理由はなかった。


「良かった。急なお願いでごめんなさいね」


「そんな」


 私は首を振って、彼女たちに続いて、テラスに入った。

 コリーン様とシャリー様が扉を閉めてくれ、パトリス様の後ろに立った。

 私達は正面に向き直った。


「さて――」 


 パトリス様が口を開いた。


「あなたにお願いがあるの。――フェリシアン様と別れてくださらない?」


「え?」


「あなたがフェリシアン様と婚約した経緯は知ってるわ。フェリシアン様を助けたのをきっかけで婚約者になったのよね?」


 優しい口調のパトリス様。

 でも、私は唐突に言われた言葉に反応できずにいる。


「実を言うと、私とフェリシアン様は婚約する間際までいってたの」


 私は目を広げて、パトリス様を見る。


「あなたがいなかったら、結婚するのは私達だったの」


「そ、そんなこと、フェリシアン様は一度も――」


 そんなに親しい間柄の方がいたなんて、ただの一言も口にしたことがない。


「そんなこと、()()()のあなたに言えるわけないでしょう」 


 確かにその通りだ。

 フェリシアン様は優しい方だもの。


「……で、でも――」


 私は尚も信じられなかった。いや、信じたくなかった。

 フェリシアン様が私に見せてくれた笑み。

 何度も優しい言葉をかけてくれた。

 幾度ものデートへのお誘い。

 想い合っていた方がいたならば、私に対してあんな気遣いをしてくれただろうか。

 私はいわば、ふたりの仲を引き裂いた張本人だ。


「……信じないのね。……でもね、私達の婚約をフェリシアン様のご両親も認めていてくださっていたのよ」


 私は雷が落ちたような衝撃を感じた。

 まだ一度もご両親に挨拶していない私。

 フェリシアン様は何度も『まだ先で良い』と仰って――。 

 あまり深く考えず、甘えてきてしまったけれど……。

 何故もっとしっかり考えなかったのだろう。 

 何の教養も取り柄もない娘を迎えなければならないご両親の気持ち。

 パトリス様という素敵な令嬢を婚約者を迎えることに胸を弾ませていたかもしれないのに。

 ご両親が私に会いたくないと仰っているのかも――。

 その考えに至って、胸が押し潰されそうになった。

 フェリシアン様に辛い思いをさせていたんだわ。

 それなのに、私は気付かず――


「あと少しで婚約するはずだったのに、『あの事件』が起こったでしょう? 私達は泣く泣く諦めるしかなかったの」


 パトリス様は悲しげに顔を伏せた。


「でも! やっぱりフェリシアン様を諦められない!」


 パトリス様はすぐにぱっと顔をあげて辛そうに眉を歪めた。


「私たちは思い合っていた仲なの。あなたに少しでも良心があるなら、別れてちょうだい。お願いよ。結婚したあとからでは、もう遅いの。フェリシアン様はお優しい方だから自身の『責任』をちゃんと果たされようとするわ」


――『責任』。

 予期せず出された言葉は私の心に深く突き刺さった。

 親愛の情があるパトリス様と違って、私には『責任』以外の感情を持っていないフェリシアン様。

 『責任』から好きな女性よりも、こんな取り柄もない私を婚約者にしてくれた。


 私の脳裏にこれまでのフェリシアン様の姿が浮かんでは消えていく。

 初めて私に挨拶しにきてくれた時のこと。

 歩けなかった私を支えてくれた逞しい腕と励ましの言葉。

 庭のテーブルに座って、私に向けた柔らかな微笑み。

 屋台の串焼きを食べたときに見せてくれた綻んだ表情。

 気高い志を話してくれた時の横顔。

 お祭りを笑いながら一緒にめぐったこと。

 それから、それから――  


「やだ、この娘、泣いてるの」


 パトリス様の友人のどちらかの声が聞こえた。

 気づけば、私は泣いていた。


「……うっ……うっ」


「いやだ、私達が虐めたみたいじゃない」


 その言葉に尚更止めなければいけないと思うのに、涙は次から次へと溢れてくる。


「おおかた、この涙でフェリシアン様に婚約者にしてほしいって頼んだんじゃない? フェリシアン様はお優しい方だから、泣いて請われれば断れるわけないもの。パトリス様、優しく言ってないで、もっと強く――」


「しっ」


 パトリス様が鋭く声を発したようだった。

 私に向き直り、私の腕を掴む。


「あなたはフェリシアン様の婚約者だから、あの方が優しいのは充分理解してるわよね」


 その言葉が真実だったため、嗚咽を堪えながら頷いた。


「傷を負ったあなたを自分から捨てられないんでしょう。お優しい方だから。だからあなたのほうから言いなさい」


 パトリス様が私の腕にぐっと力を込める。


「フェリシアン様に『お別れしたい』と。フェリシアン様のことを大事に思うなら、幸せを願ってくれているなら、あなたがそう言ってくれると信じているわ」


 パトリス様は力を込めた眼差しで見つめたあと、私から手を離した。


「行きましょう」


 パトリス様三人はテラスから出ていった。

 あとに残された私は泣くことしかできなかった。





「エレンッ!? その顔どうしたの!?」  


「アデラ……、……私、帰りたい」


 なんとか涙を引っ込めた私は、広間に戻るとアデラに声をかけた。

 本当は誰にも会わずに帰りたかったけれど、アデラの家の馬車で来ていたため、ひとりでは帰れなかった。

 私の顔を見て、アデラは驚いたようだった。

 私の泣き腫らした姿に何かを察してくれたのか、友人たちに「帰るね」と声をかける。


「ごめん……」


「気にしないで。エレンがそんな顔してたら、そっちのほうが気になっちゃって、楽しむどころじゃないよ」


 アデラは私を連れて広場を抜け出すと、屋敷を出、馬車に乗り込んだ。


「大丈夫? 何があったの」


 俯いた私の隣に座って、背中に手を当てて訊いてくれる。

 でも私は答えられなかった。


「フェリシアン様絡みでまた何か嫌なこと言われたんでしょ」


 アデラが私が泣いた理由を推測する。

 本当のことを言いたかった。

 この苦しい胸のうちが少しでも和らぐなら、言葉に出してしまいたかった。

 けれど「フェリシアン様に想う方がいた」だなんて、口に出すだけで辛かった。そのまま、心が裂けてしまいそうだった。


「もう気にすることないよ! ただのやっかみなんだから。あー! 私もそこにいれば良かった! がつんと言ってやったのに」


「……ありがとう」


 震える声でそっとお礼を言えば、アデラの口調が和らいだ。


「元気出して。私はエレンの味方だよ」


 そうして馬車を降りる間際まで、アデラは私を慰めてくれたのだった。




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