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今日は一年に数度しかないお祭りの日。
道の脇では遊戯や食べ物を売り物にした多くの屋台が立ち並んでいる。
大きな広場では芝居小屋。路上には旅芸人や吟遊詩人。普段は見ることができないそれらが街を陽気に彩る。
行き交う人々は笑いさざめき、あるいははしゃぎながら、ここぞとばかり今日という日を楽しんでいるようだった。
――私も本当だったら今頃、同じように楽しんでいるはずだったのに。
いや、正確にはさっきまで楽しんでいた。
多くの人が行き交う路上をきょろきょろと見渡すも、さっきまで一緒にいた両親の姿はどこにも見当たらない。
完全にはぐれてしまった。
道の真ん中で大道芸をしている芸人に気を取られ、思わず立ち止まって見入ってしまったのが悪かった。気付いてはっと顔を上げたときには完全にひとりだった。
そこから両親を探し歩くも、人がごちゃごちゃしていて、一向に見つかる気配がない。
このまま、取り残されたらどうしよう。
さっきのところまで戻ろうか。
不安から手のなかにある人形をぎゅうっと無意識に握りしめる。
はっと気付いて、思わず人形を見つめた。
この人形を買ってもらったときはあんなに嬉しかったのに。
ショーウインドウに並んでるのを見て思わずねだったら、「今日はお祭りだから」と、いつもは必要以上にお金を使わない両親が特別に買ってくれたものだった。
人形をぼうっと眺めていれば、どんっと人が後ろからぶつかってきた。
「あっ!」
人形が手から離れ、水溜まりに落ちる。
昨日までずっと降り続いた雨のせいで、道にはそこかしこに水溜まりができていた。
人形の服が泥水を吸いこんでいく。
急いで掬い上げようとしたら、あらたな人の足で、ぐしゃりと踏まれてしまった。
踏んだ人は気付かないのか、振り向きもせず歩いていってしまった。
あんなに綺麗だった人形のワンピースが今はもう泥で真っ黒だ。
――せっかく買ってもらったのに。
髪にも顔にも泥が飛び散っている。靴跡と凹んだ人形のお腹を見ているうちに、はぐれた寂しさで強がって泣くまいと思っていた心が簡単に崩れてしまった。
「……っふ」
涙があとからあとから盛り上がってくる。
道の真ん中で泣き続けていたら――
「大丈夫?」
頭上から優しい声がかかった。
目元をこすって顔を上げれば――。
そこには王子様が立っていた。
綺羅びやかな服装。流れる銀髪。星のように煌めく青い目。
――絵本から出てきたみたい。
思わず泣くのも忘れて、見入っていれば、王子様が足元に転がっていた人形に目を向けた。
泥に汚れているのも躊躇せず、しゃがんで拾い上げる。
「もしかして、これ君のかな?」
私はまだ半分驚いたまま、こくりと頷いた。
「そうか。こんなに汚れてしまったら、悲しくて泣いてしまうよね」
ちょっと切なく人形を見やる。その横顔は、それまで誰一人味方がいないような心細かった世界に、初めて味方が現れたような、そんな感覚を私に与えた。
王子様が目線を上げる。
「お父さんかお母さんはどこにいるの? もしくは付き添いの方は?」
涙のせいで喉が苦しくて、言葉を出すかわりにふるふると首をふる。
「迷子か……」
王子様は一言呟くと、立ち上がった。
「来て。一緒に探してあげる」
王子様が人形を持った手とは反対の手を差し出してくる。
私はおずおずと、けれど疑うことなくその手を取った。彼の口調や表情から、彼が優しい人であることが充分伝わっていたから。
「でもその前に――。このお人形を……」
彼は独り言のように呟くと、近くにあった公園のなかへと入っていく。
やってきたのは水飲み場。
何をするかと見ていれば、王子様は水飲み場の水で人形の泥を落とし始めた。
「はい。大分綺麗になった。あとは乾かせば、なんとかなるだろう」
差し出された彼の手の平には、綺麗に泥が落とされた人形がのっていた。
人形は確かに元の色を取り戻していた。
けれど、最初の完璧な状態を知っている私には、べったり体に張り付いた髪や服、凹んだ腹に目が行ってしまった。
大人だったら「ありがとう」と言って丸く収める分別があったのだろう。だが、あいにく私はそのときまだ九歳の子供だった。
「……っふ」
再び悲しくなって涙が盛り上がっていくのはどうしようもなかった。私を見て、彼は慌てたようだった。私を宥めようと肩に手を置こうとした矢先、何かに気づいたように彼の視線が私の背の向こうで止まった。
「あれは――。待っていて。良いものをあげる」
そういうと王子様は、視線の先へと走り去っていってしまった。
公園のなかのいくつも立ち並んだ屋台。そのなかのひとつに足をとめると、何かやり取りしたあと、再び戻ってきた。
「ほら。くまのぬいぐるみ。人形じゃなくて悪いけど、君にあげるよ」
王子様の手の中にあったものは茶色いくまのぬいぐるみだった。
黒いつぶらな瞳がこちらを見ている。可愛らしい耳と柔らかそうな体。
それに誘われて手をのばす。
「……ありがとう」
ぎゅっと胸の前で抱いてお礼を言うと、王子様は笑った。
「どういたしまして。君を泣かせてしまったお詫びだよ。気に入ってくれたなら良かった」
あなたは全然悪くないのに。
勝手に私が泣いただけ。
子供の私でもそれはきちんと分別できた。
王子様の微笑みを見た瞬間、心臓がきゅうと柔らかく締め付けられた気がした。
それがなにかの合図だと、まだ恋がなにかも知らない子供だったのに、確かに私の中ではっきりと感じられた瞬間だった。