今日の天気は晴れのち勇者
昔は晴れが好きだった。
時刻は午前八時。俺──魔王の朝は早かった。
荘厳な大広間にて、俺は漆黒のマントを靡かせながら玉座に腰掛け、視線を下に向ける。俺の下は階段になっており、視線の先には頭を垂れて跪く部下の幹部達の姿があった。
その幹部の人数は三人。
魔性の美貌とも呼ばれ多くの雄を虜にしてきた『吸血姫』のカレン。
鍛え抜かれた強靭な肉体と止まらぬ性欲の果てに進化した『オーク王』のザクマ。
長年の経験と優れた叡智を持ち我が軍を率い勝利に導く参謀である『堕天使長』のリンネ。
これらが俺の幹部。昔は六人いたが、半分は既に死んでしまっていたのが現状であった。
『今日も天気予報のお時間になりました』
そんな彼らを見ていると不意に、大広間に無機質なお姉さんの声が響きわたった。
その声に俺と跪く幹部達の肩が、同時にピクリと揺れる。何時になってもこの予報の始まりは肩が揺れてしまう。
『今日のお天気は、雨のち曇り』
「そうか」
無機質なお天気お姉さんによると、今日の城の外は雨のち曇りらしい。その予報を聞き、下で跪く幹部達は無言で、特に大きな反応は示していない。俺が小さく一人で呟いただけだ。そう、いつも通りの予報を聞いただけに過ぎない。
──今日は違ったのか。
そんな予報に興味を示さない幹部達から視線を外し、俺はこの大広間の天井を見上げる。そして、内心で安堵している自分自身の心に苦笑した。朝から心の中で嫌な予感があったんだ。けどそれは杞憂だったようで。
俺はてっきり今日の天気予報で。
『所により勇者が降るでしょう。以上、今日の天気予報でした』
「「「なっ!?」」」
「……勇者だと?」
だが、お天気お姉さんの続きの言葉によって、無関心だった幹部達は狼狽え、俺も思わず玉座から立ち上がってしまう。
十年ぶりだ。約十年ぶりに、この『勇者』という天気予報を聞いた。聞いてしまった。やはり俺の嫌な予感は間違ってなどいなかった。
「ま、魔王様! ど、どういう事ですの?! 十年もの間、消息を絶っていた勇者が、今となってだなんて!!」
「ククッ、魔王サマ、漸くオレの力を試す時が来たようだな」
「なぜ? どうして? 魔王様、どういう事? 何故今更になって勇者が。何が起こっているの?」
そんな予報を聞き、途端にスイッチを切り替えたように幹部達がそれぞれ違った形ではあるが、興奮気味になっている。だが、予報の答えを知りたいと期待を込めた目で俺に話しかけてくるは止めて欲しい。確かに俺は朝から感じた嫌な予感で幹部達三人を、この魔王城の大広間に招集した。
しかし、なぜ十年ぶりに勇者が現れたのかなんて知るわけがない。寧ろ、俺の方こそ知りたい。
「……少し鎮まれ、お前たち。魔王である俺だって知らない事はある。第一、勇者は十年前から一切の姿を消した事で死んだと判定されていた。だが、奴は再び現れた」
──今、この世界で何が起こっている?
俺は興奮している幹部達の発言を黙らせ、それと同時に俺自身も玉座に座り直し、内心では頭を抱えてしまう。
「失礼します! 魔王様と幹部様! 至急お伝えしたいことが!」
「! 門番、なに大広間に許可なく立ち入っているんですの! 今は大広間にて魔王様と私たち幹部の集会中! それに先程、予報で勇者が、」
そんな悩む俺を周りは休ませてはくれないようで、大広間の門番であった中級悪魔が俺たちの元へと叫びながら走ってきた。そんな中級悪魔を吸血姫のカレンが睨みつけながら怒鳴りつける。
この大広間は、通常時であるなら中級悪魔ごときが許可なく立ち入れる場所ではない。
特に俺──魔王と幹部達との集会。その最中には余程の事がない限り、中級悪魔以上の配下でも大広間に入室できない規則があるのだから。
けれど中級悪魔の彼は大広間に入ってきた。只事出ない事は一目瞭然だった。門番の次の言葉で、俺たちは言葉を失ってしまう。
「申し訳ございません。ですが緊急事態と思い、勝手ですが大広間への入室をさせて頂きました。罰は受けます。けれど緊急事態なのです! カレン様、まさにその件なのです! 勇者です! 勇者なんですっ! 前幹部であられるクロネ様の元支配地だったマリエール大森林で我が軍の配下達が、突如現れた勇者達に狩られ始め、侵略を受け始めました!」
本当に十年の時を経て、この世界に勇者は復活したようだった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
中級悪魔からの伝言から、二時間が経過した。
俺は頭の中に残る違和感のままに、今も侵攻を続ける勇者のことを思い返す。
昔から勇者も無機質な人間だった。我が配下の魔物を殺す時もそこに感情は無く、作業のように効率化された動きをし続けていた。
仲間たちと話す時だってそうだ。勇者には感情の起伏が無かった。必要最低限の会話しかない。それもいつも同じような事を話し出す。
そうして、勇者達は無言でひたすら我が軍を狩り続け、魔王城を目指し歩みを進めていく。それでも勇者の仲間達に不満は無さそうで、私以外の配下達もそんな勇者達に違和感を覚えない。
昔から俺──魔王だけが違和感をずっと持っていた。
『ククッ、よくゾ、マリエール大森林を抜ケ、このオレのアルスト魔窟の最奥まできたナ。此処に設置された第四の結界を解きたければ、このオーク王のザクマを倒スことだナ!!』
今の光景だってそうだ。
朝まで魔王城にいた幹部の一人である『オーク王』のザクマは現在、笑みを浮かべながら勇者達と向かい合っていた。アルスト魔窟は彼の管轄エリアであるから当然だろう。
それにザクマには、この魔窟の最奥にある結界装置を守る役割がある。この結界装置は世界に六つ存在し、その全てを破壊しない限り、魔王城へ人間は立ち入れない。故に最終防衛システムであり、俺たちはこの装置を死守する必要がある。
そんな大切な役目を果たすザクマと対称的に、勇者達は十年前のあの時と変わらない姿で、無感情な様子だった。
そんな様子を俺は、煌びやかな装飾の施された荘厳な自室で、魔水晶越しに呑気に見ている。何処にいるかは知らないが、残された二人の幹部達もきっと俺と同じだろう。
その直後、戦闘は開始された。その戦闘を見ると、ザクマの背丈ほどある大剣を叩きつけ、時には勇者側の魔法攻撃などを下がり回避するザクマの力強さと技量に、勇者達は早くも負け気味であった。
だが、勇者は仲間達との無言の連携により、時には回復をしつつ、ザクマに確実にダメージを蓄積させ、上手く戦闘は継続されていた。けれど、ザクマの方が個々のレベルで強く、HPも多いため、未だに優位な事実は変わらない。
だがまあ、今の俺でなら一人で余裕に勝てる戦いだ。俺は魔王であり世界有数の強者と自覚している。一般的に見れば勇者は強いが、魔王ほどではない。
きっとザクマでも勝てる。勇者の仲間の誰か一人でも倒せば、この均衡は崩壊し、ザクマは勇者達を潰せるだろう。ザクマならやれる。そんな慢心が俺の中で無意識に生じていた。
俺は転移魔法で今すぐにでもザクマ達の前に出て、勇者達を一瞬にして塵に変えて殺せるというのに、何もしなかった。
何かをするという思考すら、いつの間にか思い浮かばなかった。
ぼぅーと眺めているだけだった。
──だから、気が付くとザクマは殺されていた。
腹を正面からぶち抜かれたザクマが、魔水晶越しには映っていた。
正直、自分の目を疑った。言葉にならない声が喉奥から漏れ、何が起こっていたのか理解するのに時間がかかった。数分後だったか、数時間後だったかは分からない。
気がついた時には既に遅かった。俺の思考は未来にでも飛ばされたのだろうか。知識として、土壇場で覚醒した勇者達によって、ザクマは腹を剣で貫かれ、殺された事は自然と理解させられた。
魔水晶越しの光景では、勇者の仲間達が『やった! 絆の力が更にパワーアップしたわ!』等と勇者を褒め称え、騒いでいる。
何だよ、絆の力って。そんな不確かなものに俺にとって大切な存在であるザクマは殺されたのか。
仲間達が喜んでいる中、勇者は相変わらず無表情だ。言葉だって喋らない。ずっと仲間達の一方的な会話が続いている。
身体が小刻みに震える。怒りや悲しみの気持ちがドンドン膨れ上がって溢れ出てくる。ザクマは勿論だが、魔窟にいた彼以外の大切な配下達も多くが殺されたんだ。俺はまた何も出来なかった。何もしようとしなかった。自分が俺を許せない。
ピクリと身体が揺れる。
すると、俺の中で渦巻いていた激情は霧のように薄れ消えていくのを感じた。悲しみも怒りも苦しさも後悔も、俺の激情の何もかもがリセットされていく。
そのことに、違和感は……。
「ザクマは、殺されたのか」
ふと、自分の手のひらを見ると、握っていた拳から血が出てきていた。強く握りすぎていたらしい。
無意識に強くつぶっていた唇からは血が垂れてきていた。この痛みだけが、俺の中に染み渡る。
ザクマは死んだ。その事実は受け入れなければならないものだと思った。あいつの最期は決して俺が無駄にしない。ザクマの前に死んだ三人の幹部達だってそうだ。
「次で勇者を倒してやる」
魔水晶を見ると、ザクマを殺した勇者達は、そのまま魔窟に施された第四の結界術式を破壊していた。これが破壊され、魔王城の結界は残り二つとなった。この二つも破られた時、魔王城への道は勇者達にも開かれてしまう。
俺は地図を開き、次に勇者達の向かう行き先を予測する。
「このザクマ魔窟の次に近い結界術式の場所となると、堕天使長リンネの管轄エリア──雲を貫く程に天高く聳え立つ塔。ルシフェルの塔か」
あの塔には、我が軍の多くの堕天使や悪霊が住み着いていたはずだ。彼らが連携して数の暴力で攻めれば、きっと勇者達は倒せる。
それに我が幹部であるリンネは頭脳に優れている。彼女が何の策も講じずに勇者を向かい打つわけが無い。
「期待しているぞ、リンネ」
俺は配下であるリンネに期待を抱きながら呟き、再び魔水晶に視線を移した。そこに映ったのは、魔窟の最奥では勇者達が今にも消える姿であった。
前に見たのは十年前。十年前には幾度となく見慣れたはずの光景だったが、今見てみると少しだけ疑問に思う。
勇者達は霧のように消えて何処へ行くのだろう、と。
俺は少しだけ背筋が寒くなった気がした。明日、勇者達は現れるのだろうか。もしかしたら、また十年後に現れるのだろうか。
一旦、嫌な疑問が溢れ出てしまうと止められなかった。
この夜、俺は眠れなかった。と思う。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
次の日。俺は軽い頭痛を我慢し、魔王城の大広間にて、昨日と同様に幹部達を招集した。生き残っている幹部の二人。『吸血姫』エレナと『堕天使長』リンネだ。
昨日までは、この中に『オーク王』ザクマもいて、幹部は三人だった事を思うと、少しだけチクリと心が痛みを覚える気がした。前までは騒がしかったのにと何故か感じ、寂しさを覚えたが、その気持ちも直ぐに消えていく。
玉座から階段下を見下ろすと、エレナとリンネは特に変わったような所はなく、いつも通り淡々と跪いていた。
時刻は午前八時。いつも通りの『天気予報』のお時間になる。身体がピクリと揺れた。
『今日も天気予報のお時間になりました』
無機質なお姉さんの声だ。今日も天気予報が始まったようだった。俺は静かにその次に発せられる予報の言葉を待つ。
『今日の天気は雨のち勇者でしょう。以上、今日の天気予報でした』
「──っ。今日も、勇者か」
十年ぶりに現れたと思いきや、今度は二日連続で『勇者』の予報だ。少しだけ俺は狼狽えた。一体この世界で何が起こっているんだと思わずにはいられない。
けれど、階段下で跪きながら、俺の方へと顔を上げる二人の幹部は天気予報を聞き、好戦的な笑みを浮かべていた。その事実に少しだけ悲しみに似た気持ちを抱く。
──何故、そんなに笑顔になれる。何故、この状況に恐いと思わない。
昨日までの『勇者』の天気予報を疑うエレナとリンネの姿は、もう何処にも無かった。
──寧ろ、一昨日までの……あ、あれ?
「魔王様、今宵は私のルシフェル塔で勇者を葬ってみせます。堕天使長リンネにお任せ下さいませ」
そんな中、リンネは自信ありげに言い放ってくる。それを聞き、先程まで考えていた事は思い出すことが出来なくなっていた。何か大切な事だった気がするという感覚だけが残って。
「あぁ。期待しているぞ、リンネ。お前の力で奴らなど十分のはずだ。リンネはルシフェル塔、エレナはヴァンパ屋敷にて待機していろ。俺はこの城にいる。解散だ。リンネ、次に会う時は勇者の首でも手土産にして、再び此処に戻って来い」
「「はい!」」
俺の言葉を聞き、歓喜したように力強く二人は返事を返した。そうして、此処に用はないので魔王城の大広間から出ていく。
「...…リンネ、お前なら倒せるよな」
そんな二人の後ろ姿を見て、俺は特にリンネの後ろ姿に、嫌な予感を覚えた。だからだろうか、無意識のうちに独り言が漏れたのは。
そして、何故か思ってしまう。これがリンネの最後の後ろ姿なのではないか、と。
「俺は何を思っているんだろうな。そんなわけがない。違う。違うだろ。何を思っている俺は。リンネが殺される筈がない。いや、だが……そうだ、三人同時に勇者達をルシフェル塔で待ち受ければ良いはずだ。そうすれば、必ず勝てる。その方が絶対に勝てる……い、いや、けどリンネは強い。リンネだけで十分だ」
既に俺だけしかいなくなった大広間で、俺の言葉は弱々しく情けないものばかりだった。
俺はまた昨日と同じように、魔王城の自室で魔水晶越しにリンネと勇者達の戦いを見るのだろう。
そして、転移魔法で直ぐに向かえるのにも関わらず、俺は一切の手出しをしない。心の奥底で俺は一人、そう察する。表面上には決して出てこない確信と意思。
──それが配下を信頼するという事だと必死に自分に言い聞かせて。
その夜、リンネは勇者達に殺された。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
──数分後。
既に崩壊が始まったルシフェル塔の最上階に俺はいた。
第五の結界術式は塔全体に精巧に施されているのでそれを破壊する為に、勇者達は塔自体の崩壊を選んだのだろう。この結界術式には、堕天使長であるリンネ自身が施したものだ。長い年月をかけた彼女の叡智と努力がつまっている。それが今、一瞬にして崩れ去ろうとしていた。
そんな塔の最上階。リンネは俺の前で赤い血の小池を作り、倒れ伏して死んでいた。堕天使の象徴たる黒い翼は両翼とも剣で切断され、辛うじて原形は留めているものの、彼女の身体は内部から爆発を食らったように所々弾けて、見てて悲惨な姿だった。
既に勇者達は塔には居ない。此処から去っている。何もかも手遅れになった後、俺は転移魔法で此処に来たんだ。来てしまったんだ。
「──ッ。遅すぎんだろ、おれ!!!」
怒りのまま俺は叫んでしまう。
水平へ乱暴に振るった右腕は風圧で、崩壊中の塔の壁を容易く彼方へ吹き飛ばす。全てを怒りに任せて、このまま最上級魔法を上空から勇者達に打ち込みたいとまで思ってしまう。けれど、それを実行する前に、俺は線が切れたように崩壊中の床にへたりこんだ。
「あぁ、なに被害者ぶってるんだよ、おれは」
この目の前の惨状を見て、激しい後悔と共に言葉が漏れる。そして、被害者ぶっている俺自身が何より許せなかった。そう思わずにはいられなかったとはいえ、数分前の俺は何もかもが間違っていた。
俺はリンネが勇者達と戦闘をしている時に、何もしなかった。ザクマの時よりも覚醒した勇者達に追いつめられ、死にかけているリンネの姿を見ても、俺には助けに行くという思考が思い浮かんでくれなかった。
リンネが勇者達に殺されて、塔が破壊された瞬間になって、やっと正気に戻ったように、俺は現実を理解させられた。
「何もかもが間違ってんだよ、俺は」
「いいえ、魔王様は間違ってなどいないですわ」
ふと、背後から声がしたので振り返ると、そこには最後の幹部である吸血姫のカレンが頭だけの状態で浮かび上がっていた。けどそれも今だけで、すぐに周囲の霧が集まり、身体の胴体部が素早く形成されていく。
「魔王様は最後の最後まで、配下のリンネを信じていたという証拠なのですわ。だから、そんなに辛そうな顔をなさらないで下さいませ。このカレンが必ずや、勇者の首を魔王様の元へ」
崩れる塔の最上階で最後の幹部であるカレンは、跪きながらも俺に語りかけ、最後には優しい笑顔を向けてくれた。
この日。もう俺は何も考えたくなかった。無惨な死体と化したリンネを無言で抱きかかえ、魔王城へと大人しく転移したのだった。
それから五日間は何も起こらない平和な時が流れていた。けれど、その次の日、天気予報は荒れた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
『今日も天気予報のお時間になりました。今日の天気は曇りのち勇者でしょう。以上、今日の天気予報でした』
五日ぶりに聞いた天気予報には『勇者』があった。
俺は荒ぶる心を必死に抑えて、天気の移り変わる様子を眺めた。そして天気予報は正しかった。
午後になると、天候は曇りから勇者へと変わり、カレンのいるヴァンパ屋敷の付近に勇者達のパーティーは姿を現した。
そして瞬く間に屋敷まで辿り着くと、勇者達は初めてのはずなのに、道が分かっているかのように最短経路で眷属たちを殺し、カレンのいる最後の部屋まで到達した。
室内には当然、カレンが待ち構えており、一言二言やり取りをすると直ぐに戦闘は開始された。それを魔水晶越しに見て、俺は魔王城の自室で立ち上がる。
──俺はもう迷わない。
数日間の平和な時の中で、俺は一つの決心をしていたから。もう後悔したくないと。カレンの言葉を裏切る事になったとしても、それでも守りたい配下がいるから。
「起点を此処に! 転移地点座標はヴァンパ屋敷──吸血姫の執務室! 転移魔法を発動する!」
そんな詠唱後、俺の下に転移魔法陣が現れて回転を始めた。
そして、魔法陣は足裏から膝へ腹へ首へ頭へと徐々に回転しながら浮かび上がって、俺をカレンの元へと転移させようとしてくれる。
けれど、その転移が成功する事はなかった。
頭まで到達した魔法陣は突如として、パリンッと弾ける音ともに消え去った。そんな初めての魔法の失敗に俺は思わず「えっ?」と唖然してしまう。
何故かヴァンパ屋敷のカレンの元への転移魔法が使用できなかった。俺は焦り狂ったように何度も何度も転移魔法を発動させようとした。けれど、何度やっても成功する事はなく、魔水晶越しに見える屋敷での戦闘は、更に覚醒した勇者の怒涛の剣戟にカレンの蝙蝠の翼は穴あき状態で、左腕は斬り飛ばされていた。
──何で、なんで、なんでなんでなんでっ!!
俺は魔水晶を投げ捨て、転移魔法の詠唱を破棄する。そして、片腕を水平に伸ばし、手のひらから最上級魔法を噴出する事で自室の壁を吹き飛ばし、魔王城から飛び出した。
「待っててくれ、カレン。直ぐに向かうから!」
俺は飛行魔法を用いた最大限の速度でヴァンパ屋敷へと直行する。もう転移魔法での移動は諦めた。それよりも、自力で高速移動すれば間に合うと瞬時に判断した。これでも飛行機と同等くらいの速度は出せる自信はある。
──ん? いや、今はカレンを!!!!
ふと違和感を感じたが、そんな思考は捨てて一心不乱に俺は屋敷を目指した。
そして、屋敷が小さく目視できる地点まで来たとき、俺は見えない壁のようなものにぶつかり弾き飛ばされた。
「は? 見えない壁、だと?」
俺は直ぐに空中で体勢を立て直すと、もう一度ヴァンパ屋敷の方へと高速で向かおうとする。けれど、見えない壁があるのか、俺は先へ進む事が出来なかった。
意味が分からなかった。何故、こんな強固な結界のような壁が張られているのか。俺は焦る気持ちのまま、最上級魔法を何発も見えない壁へとぶつける。だが、壁は一切の無傷で俺の進行を妨げた。
「くそっ、くそくそくそっ!! 何でこんなものが存在する?! 何故、俺はカレンを助けられない?! なぜ、おれは此処にいるっ?!!」
何故か、どうにもならないという事実は自然と理解させられていた。けど、諦めたくなかった。諦めていいはずがなかった。
俺は瞬時に判断して、大きく迂回し反対側から回り込んで、ヴァンパ屋敷へ突入しようとした。けれど反対側も、そして真上も、地中からいこうと最上級魔法でクレーターを作っても、何をしても俺は屋敷へと向かえなかった。目視できる距離からの転移魔法も成功しなかった。
──そして、どれくらい時間が経った後だったのだろうか。
見えない壁へと突進した俺は、壁をすり抜けることが出来た。
すり抜けたとき、今までのは何だったんだと呆然としたが、直ぐに俺は思考を切りかえて屋敷へと高速で向かった。
真下に屋敷から去っていく勇者達が居てすれ違っていく事に気付かずに。
この日。吸血姫カレンは死んだ。
魔王軍の最後の幹部であるカレンは片腕を斬り落とされ、首から上の頭が魔法攻撃により消し飛ばされた状態で死亡していた。
そんな彼女の無惨な姿を見た者は、勇者達と魔王しか存在しない。
何故なら、この屋敷は、自我を失った俺の超特大な魔力放出によって消し飛ばされたのだから。
自然と涙が止まらずに、頬を伝っていた。
また、魔王城を守り隠していた全ての結界は勇者達によって解かれた。
これにより、人間に魔王城への道は開かれた。
そして、この日の深夜、勇者達は魔王城へと到達した。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
カレンが死に、俺が屋敷を消し飛ばした日の深夜。
俺は魔王城の大広間で玉座に座り、静かに目を瞑っていた。城に響くのは配下たちの最期の戦闘音。城全体が戦闘で揺れ、自分の肩もピクリと揺れる。
次第に大きくなる戦闘音を聞くと、勇者達はこの大広間へと近付いてきている事を悟る。
俺は不意に両腕を水平に振るって最上級魔法を大広間の壁にぶつけた。大音量の爆発音が響き渡ったが、壁は一切の無傷であった。
「昨日の見えない壁と同じ、か。俺をこの大広間から絶対に逃がさないようにする為の」
俺はその壁の推測を呟き、小さく自傷気味に笑う。そして先程、この大広間の奥にある隠し通路の先にある存在を見に行った事を思い出す。正確には、視認する事は出来なかった。だが、見えない壁が隠し通路の途中にあり、俺はそこから先へは進めなかった。俺はこの魔王城に閉じ込められたというわけだ。自分の無力をどれだけ恨めばいいんだ。
そして、この事実を、口に言葉として出す事も出来なかった。言った途端、何かが喪失する予感を感じたからだ。思考する度に頭痛が走り、肩がピクリと揺れる。けれど、そんなこと知ったことじゃない。そう必死に抵抗するだけが、俺に出来る精一杯だった。
一つだけ。幹部たちの全員が殺された今になって思い出した存在であり、言葉がある。
──『システム』。
俺という魔王の存在が生まれた時に、一度だけ理解させられた存在。顔も姿も思い出せない。ただ、あの頃に見上げた空は白かった事だけ覚えている。その存在が、俺の行動を何もかも縛りつけているのだろう。
そう考えると、腑に落ちる気がした。腑に落ちてほしいと願った。
ふと耳を澄ますと、城を揺らすほど響いていた戦闘音は次第に小さくなり、大広間を含めた城中に静寂が訪れていた。
──あぁ、漸くきたのか。
その直後、大広間の大扉は開かれ、勇者達が俺の前に現れた。
勇者の仲間たちは目に闘志を宿し、勇者だけは無機質な表情で俺だけを見つめていた。
そんな若く不気味で勇ましい彼らを、俺は階段の上の玉座に座りながら静かに睨みつける。俺の顔はどれだけ酷く歪んでいるのだろうな。想像の五倍は酷い顔だろうなと、静かに苦笑する。
「遂に追いつめたぞ、魔王! 今日でお前を倒し、平和な世界を取り戻す!!」
「はい! 私たちのこれまでの絆の力を信じて!」
「お父さんとお母さんの仇。私の故郷を滅ぼした仇取らせてもらうわ!」
そんな睨みは効果がないようで、勇者以外の人間たちは各自思い思いに俺に向かって何やら宣言をしていた。順に戦士、聖女、魔法使いなのだろう事は服装を見れば一目瞭然であった。
だが、彼らの言葉には正直に言って、聞き覚えのないものまであった。けれど、それが『システム』の影響なのだろう。過去の俺は無意識のうちに人間の街や村を破壊した事があると知識として理解させられているから。
それに、次に言い放つ俺自身の言葉も無意識のうちに理解していた。
「遂に此処まで来たようだな、勇者パーティーよ。我が名は魔王フェイト。世界を混沌へと導き滅ぼす存在だ」
「僕の名は◆ゞ>★! 魔王、今日お前を此処で倒す!」
ここが戦いの火蓋だった。勇者は宣言したと同時に剣を抜き、俺に向かって数十の剣撃を遠距離から飛ばしてくる。
俺はその全てを攻撃魔法で封殺し、地面を強く蹴り勇者と距離を縮める。だが、その突撃する俺に亜空間から現れた鎖が数十本と巻き付き、勢いを止められ拘束される。そんな空中で動きを止められた俺に、魔法使いが詠唱の終わった光属性の最上級魔法を撃ち放つ。
正直言って当たれば大ダメージであるが、俺は負けるつもりはない。瞬時に闇属性の力を身体中から放出させることで鎖を全て腐らせ、拘束を無理やり破壊し、地面に屈むことで光属性の魔法ビームを躱す。だが、そんな俺を逃がさないように戦士が金色に輝く拳を無数に繰り出し、それと連携する形で俺に接近した勇者が『絆の力』を纏わせた聖剣で斬りかかってくる。
俺は高速移動で後退しつつ、両手から闇の最上級魔法を戦士と勇者にぶつける。戦士は見切り、勇者は斬り捨てていくが、多少は魔法の余波が身体に当たることで彼らは傷を負っていく。
だが、俺の攻撃には全て即死属性が付くはずなのに、彼らは死んでいないのを見ると、きっと後方で『聖域』を展開している聖女が原因だろう。
俺は即座に床に右手をつき、闇の力を展開させることで聖女の聖域を侵食して破壊する。そして、最上級魔法を勇者達に放つが、それらは勇者の『絆の力』によって斬り裂かれて防がれてしまう。
──やはり、早く勇者達は倒しておくべきだったな。
『絆の力』は前よりも増して強大な力となっている。魔王である俺が全力を出して、倒せるか倒せないかくらいに今の勇者達は強いだろう。彼らは短時間で……短時間で成長をした。
俺は彼らの成長をずっと魔水晶越しに見て理解していたはずなのに、気付けば、この脅威を見て見ぬふりをし続けてきた。
あぁ。だからこそ、幹部や配下達の死を無駄にしない為にも、俺は早々に決着をつけるとしよう。
ここで勇者達を俺が殺す。
瞬時に闇の壁を厚く、俺と勇者達の間に創り出し、俺は亜空間から一つの禍々しい両手杖を取り出す。これを持つのは、何時ぶりなのだろう。感慨深く感じる気持ちが出てくるがそれを直ぐに抑えつけ、俺は両手杖を突き出し、詠唱を開始する。
「紅き焔は地を溶かし、蒼き水は地を飲み込む。翡翠の木は地を繁栄させ、黄の雷は地を震わせる。光は地に希望を、闇は地に絶望を。我ここに終焉の魔法を誓わん! 我が魔導の最果て! カタストロフィ!」
詠唱直後、俺の両手杖から禍々しい赤青緑黄白黒のそれぞれの色をした最上級魔法の光線が放出され、瞬く間に勇者達は全員その奔流に飲まれた。
──これで勝負はついただろう。
この魔法は、俺の最終手段であり、魔力の大多数を費やして放った一撃だ。今までこの魔法を受けて生きていた者はいない。それこそ『システム』くらいの存在じゃないと、生きてはいられないだろう。
現に魔王城の壁は俺の最強の魔法を受けても、爆発音を発するだけで破壊されていない。
だが、魔力の煙の中に蹌踉めきながらも立ち上がる四人の人間の影を見て、俺は驚愕で目を見開き、両手杖を力なく手放してしまう。次第に晴れていく煙には、無傷ではないとはいえ生きている勇者達がいた。今の俺の全力を防いだのだろう。
「……有り得ない」
今の今まで『システム』の影響か、喋る事の出来なかった俺の口から小さく言葉が漏れる。魔力切れによる息切れと共に、肩がピクリピクリと揺れるが、そんな事知ったことじゃない。
「何故だ、何故死ななかった! 何故生きているんだ、勇者!!!」
「俺たちは死ぬわけには、いかないんだっ!!!」
俺の悲痛の叫びに勇者は無表情のまま答え、聖剣を真上に振り上げる。そして、勇者や仲間たちは吼えると聖剣に未だかつてない程の『絆の力』が纏わり、その力の放流で魔王城の天井はぶち抜かれた。
その圧倒的な力を見て、俺は本能で己の死を悟った。あれには勝てないと本能で理解させられた。最早あれを止めることが出来るのは、勇者の意思以外に誰もいないだろう。
そんな死を齎す聖剣を前にして、俺は静かに目を瞑った。すると、勇者達に葬られた幹部や配下達の姿が目に浮かんでくる。
──あぁ。ダメだダメだダメだ。このまま、俺は終わらないッ!! 死んでたまるかぁ!!!!
俺はこのまま死ねない。死んでたまるか。俺は、死ぬ直前まで必死に勇者達と戦ってきた多くの配下達を見殺しにしてきた。そんな俺が棒立ちで諦めてたまるか。
俺は目を見開くと同時に全力で床を蹴り、聖剣を振り上げる勇者へと肉弾した。アイツらの魔の王として、俺は最期まで全力で足掻いてやる。そんな俺の行動に勇者の目の奥が一瞬揺らいだような気がした。
既に魔力切れの俺に残された攻撃手段は、己の身体しかない。魔王として長く鋭く研ぎ澄まされた爪に、俺は魔王の最期の全てを込める。
もう勇者との距離は三メートルを切っている。勇者は覚悟を決めたように聖剣を握り、『絆の力』と共に振り下ろされ始める。
「うぉぉぉぉぉぉおおお!!!!!!」
俺は心の底から吼える。勇者に近づけば近づく程、『絆の力』によって己の魂が削られていく。だが、俺は止まらない。止まりたくない。俺は勇者を己の爪で貫き、死しても一矢を報いてやる。
「これが俺たちの『絆の力』だ、魔王!!!!!」
勇者との距離が一メートルを切る。勇者も俺の全力に応えるかのように、無表情ながら吼える。確かに『絆の力』は凄まじい力だと認める。既に俺の頭上に振り下ろされてきている聖剣──これを喰らえば、俺は死ぬだろう。
だが、斬られる前に俺はこの爪をお前に届かせてやる。最後の最期まで絶対に諦めてたまるか。
俺は身体を無理矢理捻りながら、左腕を聖剣の犠牲にして、身体の下に来た右腕を勇者へと伸ばす。既に肉弾した俺の速度は、人間を容易く爪で貫ける。もう数十センチと迫った俺の爪の方が、聖剣よりも早く勇者を仕留められる。
あぁ、ここだ。ここで一矢報いる。俺は勇者を刺し違えてでも死んだ仲間達の為に殺す。
──カキンッ。
けれど、現実は非情でしかなくて。
俺の爪は勇者の身体を貫く事はなく、あと数センチのところで俺の最期の攻撃は、勇者を覆っていた『見えない壁』に止められた。
見えない壁。ははっ、また俺はシステ──。
その直後、俺は頭上に迫った聖剣に身体を斬られる。『絆の力』が魔王を倒した瞬間だった。そうして、俺の意識はプツリと消失した。
この日の深夜。俺は勇者に負けたんだ。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
次に目が覚めたのは、日が昇る朝だった。
客観的に考えるに、天井が抜けた魔王城の大広間で、俺は仰向けの状態。激しい頭痛を我慢して頭を起こし、己の身体を見ると、左肩から斜めに俺の身体の半分は、もう綺麗に繋がってすらいなかった。真っ二つだった。
いま、俺の意識が少しでも戻ったのは奇跡にでも近いのだろう。
俺は静かに頭を地面に下ろすと、もう再び頭を上げる元気は湧いてこなかった。死期は悟った。もうあと数十秒で俺は死ぬだろう。俺はこれまでの事を走馬灯のように思い出していく。無意識のうちに世界を破壊した事もあったが、俺はこの世界を愛していた。
願わくば、この愛した世界で幹部達や配下達と共に、まだ生きていたかった。馬鹿みたいに楽しみたかった。
『今日も天気予報のお時間になりました』
そんな死にかけの俺の耳に、ふと無機質なお天気お姉さんの声が聞こえた。いつもの天気予報の時間になったらしい。
──は、ははっ。
もう俺は乾いた笑いしか出来なかった。
けど、最期に魔王軍ではないが、俺はいつも共にいた無機質な彼女の声を聞くのもありかもなと思えた。
『今日の天気は晴れのち勇者でしょう』
「──っ」
右肩がピクリと揺れた気がした。その直後、眠気が襲ってきて、俺はこのまま寝たら死ぬのだろうなと悟った。だが、今言いたいことはそうでは無い。
少しだけ。ほんの少しだけ、最後のお天気お姉さんの声は、無機質ではなくお姉さんらしい優しさを感じた。
破壊された魔王城の大広間から見える青空は、次第に白色へと変わっていく。
昔は青空に浮かぶ雲を眺めて、飛行機雲を見つけたら指を差して母親に伝えて心を躍らせて、いつか鳥のように空を飛んでみたいなと夢を膨らませて……。
──あ、あァ。そうか、俺は。わたしは。
俺は眠気のままに目を閉じる。その顔は他人が見たら、満足気だったんじゃないだろうか。
『以上、今日の天気予報でした』
あぁ。昔は晴れが好きだった。
この作品は初の短編小説投稿となっています。
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