前に進んで
新しい服を見に纏った千尋は、上機嫌で歩いている。スキップをしながら歩くものだから、俺は少し歩きにくい。傘と花を持ちながら、スキップをする千尋の歩幅に合わせなければならない。千尋の身長がもう少し高ければ、更に苦労することになっていただろう。千尋には悪いが、低身長でありがとうと伝えたい。伝えたら殴られる予感しかしないので言わないが。
上機嫌に向かっている千尋に対し、俺の気分はそこまで上がっていなかった。妹の墓参りなのだから、当然といえば当然だが。
大切な家族の墓参りに上機嫌で向かったら、失礼極まりない。
正反対のテンションで俺たちは歩いた。
そこに着いた時、スキップをして歩いていた千尋は既におらず、黙って墓石を見ていた。
あの日――妹である紅葉がこの世界を去ってから、2年の時が経ったが、1度も足を運ぶことが出来ていなかった。
「――紅葉、来るのが遅くなってすまない」
話しかけたその声は震えている。
橘家と彫られている墓石の前で、隼人は妹の名を呼んだ。2年間、この場所へ来ることが出来なかった。それは俺が紅葉に対して、後ろめたさがあったからだ。自分のせいで幼くしてこの世を去った紅葉が、自分のことを恨んでいるのではないか。俺の顔など、もう見たくないのではないか。そんなことを思うと、この場所に足を運ぶことがなかなか出来ず、気付けば2年の月日が経っていた。
隣に千尋がいなければ、俺は泣き崩れていたことだろう。紅葉との思い出が頭の中を駆け巡り、俺は今にも泣き出しそうだった。それを察してか、千尋は何も言わずに1歩後ろへ下がった。元々後ろにいた千尋が、さらに1歩……後ろへ下がる。彼女なりの気遣いだと理解した俺の涙腺は崩壊間近だった。
泣いてはならない。
そんな衝動に俺は駆られた。
出てきそうになる涙を無理やり引っ込める。
雨が降っているため、墓石を拭いても濡れてしまう。軽く拭いた後、水を変えて花を供える。
「あれから2年……か。俺の心は穴が空いたまま塞がらないよ。ねえ、紅葉。俺、もう疲れたよ。お前のいない世界で生きることに。もう……そっちの世界にいっても、いいかな」
当然、返事は聞こえない。
死んだ者の考えていることなど、生者には分からない。いや、死者がどうなっているのかすら、生者は知らない。死者の気持ちなど、死者になってみないと分からない。
それでも――
「お前はそれを望んでいないよな」
隼人はギュッと拳を握った。
紅葉は自分が自ら命を絶つことを、望んでいない。それをして会いに行っても、怒られるだけだろう。そんな風に隼人は思い、苦笑した。
手を合わせて目を瞑る。
本来ならば、墓参りで手を合わせる行為は、先祖に対する感謝の気持ちを表すことを意味するのだが、今だけは謝罪として使わせてほしい。
「俺のせいでごめんな。また来るからな」
墓石から背を向けた。
その時、トンっ! と背中を押された気がした。それは悪い意味ではなく『前に進んで』と励ましているかのようだった。
隼人は泣きそうだった。
「――紅葉、本当にありがとう。俺の妹として生まれてきてくれて、本当にありがとうな」
俺は生きることに決めた。妹がいない世界で生きることは辛く、酷く苦しいことだけれど。それでも、妹の分まで俺は生きるよ。
小さく微笑み、俺は振り返る。
そこには何とも言えない表情をしている千尋がいた。
「悪い、お待たせ」
「大丈夫……?」
待たされたことへの不満より先に、俺の心配をするとは。変なやつだな。
「ああ、大丈夫だ。今日ここに来て良かった気がする。辛いことには変わりはないが、それでも……昨日までよりは幾分かマシになった」
「それなら良かった」
にこりと微笑む千尋。
つい先程会ったばかりだというのに、ずっと前から知っていたような感覚に陥る。一体何故だろうか? その理由を知るのはもう少し先になることを、この時の俺は知らない。
「さて、とりあえずどこか話せる場所へ移動しようか」
「え……?」
きょとんとする千尋に、俺は首を傾げる。
「俺に用があるんじゃないのか?」
「そうだけど……」
「話しにくいなら俺が住んでる家でもいいが?」
「え……? それこそいいの……?」
「ダメだったら言わないが」
「そうだよね……うん、そうだよね」
何回か頷いた後、千尋は自分を納得させるように最後に大きく頷いた。
「うん、そうしてもらえると助かるよ」
「分かった。じゃあ、俺の住んでる家に行こう。少し散らかってると思うが、我慢してくれ」
「いやいや、半分以上押しかけるようなものだし、文句なんて言えないよ」
くすくすと笑った千尋に、それもそうか……と俺は思ったのだった。
来た道を戻り帰路を目指す。
まさか家に帰った後に、あんな話を聞かされるなどと、俺は思っていなかった。
止まっていた歯車が今、動き出す――
さて。
次から1章突入です。
もし良ければ続きも読んでくださいね(* ´ ` *)ᐝ