第三話「あっ王様! 王様! 休憩ですか?」
和平についての話し合いは、今のところ順調だった。
お互いの国のトップの意志が固く、会議に参加した者達も「和平」という同じ目標を見ているからだろう。お互いに無茶な要求を出す事もなく、あくまで対等に公平に、話は進んでいく。
そうして二日目の会議が終わって、少しした頃。
バーガンディーは城の廊下を歩きながら、取り出した懐中時計で時間を確認すると、十五時を少し回ったところだった。
(ふむ、お茶の時間にでもするか)
砂の国には十時と十五時にお茶を嗜む風習がある。
子供の頃からずっとそうなので、バーガンディーも時間があればそうしていた。
特によく飲んでいるのが香辛料入りのミルクティーだ。
今日もそれにしようかと考えながら歩いていると、ふと、中庭の方から楽しげな声が聞こえてきた。
顔を向けると、そこにはマルベリーとシャルトルーズの姿がある。二人は和やかに談笑していた。
この二人、料理の話題であっという間に仲良くなったようで、本日の昼前くらいにはお互いに「シャルさん」「マルさん」と呼び合っていた。
いがみ合うのではなく、仲良くしているのは良い事だなとバーガンディーは微笑ましく思ったものだ。
足を止め、何となくそちらの方を見ていると、マルベリーがバーガンディーに気づいた。
「あっ王様! 王様! 休憩ですか?」
ぶんぶんと手を振るマルベリー。それに返すように軽く手を挙げると、バーガンディーもそちらへ近づく。
「ああ、そろそろお茶でもしようかとな。二人もどうだ?」
「それはナイスアイデアなのであります! シャルさん、一緒にお茶をしようでありますー!」
マルベリーは、もし獣の尻尾が生えていたらぶんぶん振っていたであろう様子で、シャルトルーズを誘う。
シャルトルーズは満面の笑顔で「ぜひ!」と言った後、しまった、という顔になり。
大慌てで「いえ、えっと。私も良いのですか?」と聞き返してきた。
おや、とバーガンディーは僅かに首を傾げる。
「ああ、構わない。お茶は皆で楽しんだ方が美味しいからな。……どうかしたのか?」
「いやぁ、実は昨日、サックス師匠から『謙虚と遠慮と腹八分目』を再度叩き込まれまして」
困った顔で笑いながら、シャルトルーズは頭をかく。
彼女の言葉に、バーガンディーは昨日の朝食の様子を思い出して、なるほどと頷く。
「食事代も受け取っているからな。その辺りも気にしなくて構わんよ」
「あははは……では、お言葉に甘えて、お邪魔します」
笑うシャルトルーズにつられ、バーガンディーが小さく笑っていると、後ろの方から「陛下」と、呼ぶ声が聞こえてきた。
顔を向けると、長い灰色の髪を風に揺らしながら、柔和な表情を浮かべた丸眼鏡の青年が立っている。彼はバーガンディーの臣下の一人だ。
ただ、マルベリーやオーカーとは少し違う。彼はバーガンディーが王位に就いた際に遠ざけた、不正を働いた元臣下の息子だった。
バーガンディーが「どうした?」と聞くと、彼はにこりと笑顔を浮かべたまま近づいて来た。
名前はマダーと言い、歳は二十四。城では文官の仕事を行っている。
父が不正をと言ったが、マダー自身は関与していない。それどころか「父のした事への贖罪がしたいのです」という理由で、バーガンディーに仕えている。
その仕事ぶりは真面目で、優秀だと周囲から評判だ。バーガンディーを恨む素振りすら見せない。
むしろ彼の態度はその真逆で、オーカー曰く「心酔という言葉が似合いそうですね」との事だ。
今回、和平の席を設けるという話を出した時に、真っ先に賛成してくれたのが彼だ。
(ただ、妙な違和感はあるのだがな)
彼には悪意というものがまるでない。言動に相手を害そうという感情が欠片も感じられないのだ。
誰にだってそういう感情はある。恨みや憎しみ、妬みや悲しみ。そういった感情から、悪意は生まれる。
善人の象徴とされている、古い時代に聖人と呼ばれた者達ですら、持ち合わせているものだ。
けれどマダーからはそれを感じられない。
幼少の頃から、悪意が周囲にあったバーガンディーにとっては、マダーの感情は少し異質だった。
それはバーガンディーだけではなく、マルベリーも同じようで。彼女は今も朗らかな笑顔を浮かべているが、そこに僅かに警戒の色が伺える。
そう言えばマルベリーはマダーの事が苦手だったなと思っていると、シャルトルーズがスッとさりげない動作でマルベリーの前に立った。
まるで庇うような動きだ。おや、と目を瞬いた時、マダーが目の前にやって来た。
「お話し中に申し訳ございません。先日、南部オアシス付近で発生した、巨大魔獣についての討伐が完了しましたので、そちらのご報告をと思いまして」
魔獣と言うのは、魔力に当てられ、力を増大させた獣の事だ。地域によっては危険種とも呼ばれる。
数日前に、砂の国南部にあるオアシスの付近で、巨大な魔獣を見かけたとの報告があった。
オアシス付近には町がある。放っておくと甚大な被害になりかねないため、バーガンディーはその討伐をマダーに任せていたのだ。
「被害状況は?」
「町の方には特には出ていません。ただ、現地の傭兵団と、向かわせた兵に少し怪我人が」
「そうか、ご苦労。傭兵団の方に報酬と、怪我人には医者と治療費を手配してくれ」
「承知しました」
マダーは恭しく頭を下げる。
そして少しして顔を上げると、シャルトルーズの方をちらりと見た。
「あなたが森からいらした使節団の方ですね。初めまして、マダー・ルナルドと申します。砂で文官を務めております」
「初めまして、シャルトルーズ・ウナヴォルタと申します。森で魔導具技師をしています」
マダーが挨拶をすると、シャルトルーズも同様に返す。
「魔導具技師の方でしたか。お若いのに、素晴らしいですね」
「いえいえ。私はまだまだですよ。師匠からは一人前にゃほど遠い、なんて言われておりまして」
フフ、と笑って、シャルトルーズは元気に答える。
マダーも微笑みながら「いやいや、御謙遜を」なんて言っている。
それから彼はバーガンディーを見て、
「陛下は、この後はどうなさるのですか?」
「ああ。彼女達とお茶をしようと思ってな。君もどうだ?」
「それは魅力的なお誘いですが、これから別件の仕事がありまして。またの機会にぜひ。あ、そうだ。その時は、この国のお菓子でもご馳走させてください。野菜の砂糖漬けなんですが、美味しいですよ。……では、失礼致します」
マダーはそう言うと、バーガンディーに向かって頭を下げ、去って行った。
姿が見えなくなった頃にマルベリーが、シャルトルーズの後ろから、ひょこりと顔を出す。
「い、行ったであります……?」
「行ったよ。マルベリーは本当にマダーが苦手だな」
「だってマダーさん、何か怖いのでありますよう」
うう、とマルベリーは口を尖らせる。
バーガンディーが感じている違和感を、マルベリーは『怖い』と捉えているのだろう。
そう考えていると、マダーが去って行った方角を見つめていたシャルトルーズが「確かに」と呟く声が聞こえた。
「あの人は、怖い人ですね」
普段の朗らかで、跳ねるような声でははなく。
落ち着いた真面目な声でシャルトルーズはそう言った。