第十一話「策を講じている人間が先手で、受ける側が後手なのは必然では?」
ポチャン、と顔に水滴が落ちて、バーガンディーは目を覚ました。
頬と、うつ伏せになった顔に、ごつごつとした岩肌を感じる。
(確か――――転移の魔法を)
思い出しながら、身体を起こす。転移酔いで少しくらくらする頭を押え、周囲を見回すと、近くにシャルトルーズが倒れていた。
ハッとして近寄り、肩を揺さぶる。少しして彼女も薄っすらと目を開いた。
良かった、どうやら無事のようだ。ホッとしながら、バーガンディーは声をかける。
「シャルトルーズ殿。大丈夫か?」
「はい、大丈夫です。ちょっと眩暈がしますけれど」
「転移酔いだな。魔法で強制的に空間を移動すると、よくそうなる。一時的なものだ」
「ああ、なるほど、これが……」
何度か頷きながら、シャルトルーズは顔を上げる。
それからきょろきょろと辺りを見回した。
「ここは……」
彼女の言葉に、バーガンディーも周囲の様子を見る。
どこかの洞窟の中のようだ。岩肌のあちこちに、青白く光る水晶が埋まっている。直ぐ近くには川が流れていた。
「転移の魔法はそう遠くへは行けない。国内ではあると思うが……見覚えのない場所だな。ただ水が流れているところから考えると、どこかのオアシスの近くではないだろうか」
話しながらバーガンディーは頭の中でこの国の地図を広げた。王都周辺にオアシスは三か所ある。恐らくだが、そのどれかだろう。
とにかく早く脱出しなければ。
転移してどのくらいの時間が経っているか、外の様子が見えないので分からないが、急がないと城の人間に危険が迫っている。オーカーもどこかで瀕死の状態になっているようだ。
マルベリーやサックスなど、事情を知っている者が残っているため、何かしら動いてはくれるだろうが、それでも時間がない。
『これ以上ないくらい、良い的ですよねぇ』
シャモアの言葉が蘇る。バーガンディーはぐっと奥歯を噛んだ。
全部を巻き込んで、あそこまで強固な手段を取ろうとしているとは思わなかった。
「どうました、陛下?」
「いや。自分の甘さに、嫌気がする」
「甘さ……ですか」
ふむ、とシャルトルーズは顎に手を当てて、少し首を傾げる。
「今の状況の事を仰っているのなら。策を講じている人間が先手で、受ける側が後手なのは必然では?」
「いいや。私は、彼らが『ここまでするはずがない』と思い込んでいたんだ。可能性としては、考えてみれば確かにあった。形振り構っていられない状況だったのだろう。彼らにとっては」
信じたいという気持ちと、そこまでしないだろうという見通しの甘さは別だ。
本当に、何から何まで、自分は遅い。
不甲斐ない。悔しい。そんな気持ちが胸をぐるぐると回る。
王と呼ばれても、何も守れていないではないか。バーガンディーが強く目を閉じる。
「彼らは確かに悪意を持っていましたよ、陛下。でも、彼らの悪意は悪人のそれじゃありませんでした」
そんなバーガンディーに、シャルトルーズはそう言った。
目を開いて顔を向ければ、彼女は優しい目をしている。
「悪人の悪意ってのはですね、人を騙してやろう、利用してやろうって、楽しむ気持ちが混ざっているんです。そういうのは醜くて、腐った色と匂いがする」
だけど、とシャルトルーズは続ける。
「彼女達の悪意はそういうのじゃありませんでした。カージナルさんも、シャモアさんも、マダーさんも。ただ純粋に砂の国が好きで、大事な人達を失った事が苦しくて、悲しくて。森の国が許せない。だから、あいつらをどんな手を使ってもぶっ飛ばしてやる。そんな混ざり気のない悪意です」
「悪意は悪意、だろう?」
「ええ。ですが彼らの悪意は、砂の国や大事な人達への善意の裏返しです。マダーさんはちょっと見たことがないくらいの度合いで、かつ上手く隠していましたけどね」
話しながらシャルトルーズは胸に手を当てる。
「私は色んな悪意を見てきました。たくさん見てきました。その大半は、腐ったような悪意です。彼女達みたいに、綺麗な色をしていなかった」
「…………綺麗」
「私の力はですね、陛下。正確には、同じ場所で作られた料理を、一緒に食べた人達へ向けられた悪意を感知する力なんですよ」
「食事? だから君達からの条件は……」
森の国からの出されたのは、滞在期間中、朝食、昼食、夕食を必ず一緒に取らせて欲しい、というものだった。
最初に聞いた時は妙な条件を提示するものだなと思ったが、どうやら聖人の力絡みの理由だったらしい。
つまり森の国は、バーガンディーを守ろうとしてくれていたのだ。
「そうです。だから私は陛下への悪意も感知できます。だけどね、陛下。あの三人に限っては、あなたへ悪意なんて抱いていませんでしたよ」
「え?」
「言葉ではああいってましたけどね。でも、悪意を向けられていたのは私達。陛下への感情に悪意はなかった」
「――――」
思わず言葉を失った。そんなはずはないと、バーガンディーは思った。
だって自分は、彼女達の気持ちに目を閉じた。和平のためにと、見ないふりをした。
恨まれて、憎まれているはずなのだ。なのに。
「あなたが王で良かった。だからあなたが王のまま、砂の国を勝たせたい。――――そういう感じでしょうかね。陛下、よく知らない私の事まで心配してくれるくらい優しいから」
そう言われた時、胸に熱いものが広がって。バーガンディーの目からつうと、涙が一滴頬を伝った。
それを見てシャルトルーズは慌てて、服のポケットからハンカチを取り出して差し出す。
「あわ、すみません。どうぞ」
「す、すまない……」
バーガンディーはハンカチを受け取ると、涙を拭く。
「……ありがとう、シャルトルーズ殿」
「いえいえ。私こそ」
シャルトルーズはフフ、と笑う。
それから自分達がいる場所から、どこかへ続く道へ顔を向けた。
「とりあえず、動いてみましょうか」
「ああ、そうだな。――――行こう」