僕の章 第九節 驚嘆
彼がここを出てから、すでに三時間ほどが経過した。
彼は僕がどういった存在なのかを知っただろう。
故に……おそらく、もうここには戻ってこない。
かつて慣れ切ってしまったはずの孤独が、再びやってくる。
静寂に包まれた孤独がまたやってくる。
そういえば、かつて孤独になる前の僕には、自分と同じような境遇のものがいた。
参ったな。まさか、奴のことを思い出す日が来るなんて……
「ふえ~、やっと着いた~」
聞き覚えのある声がして、僕は思考を中断する。
つい最近、聞き始めた声。
そして、僕が最も聞きたかった者の声が。
しかし、同時に不安と恐怖が押し寄せる。
彼はすでに、僕がどういった存在であるかを知った。
アイツらから聞いたはずだ。
故に、彼の口から出る言葉はおそらく……
「イータ聞いてよ~」
と言って、彼はべそをかく。この反応は予想していなかった。
「ここ、広すぎるよ~。君を取りに来るのに、二時間近くもさまよったんだよぉ。何でここ、こんなに広いの~」
と言って、彼は愚痴をこぼし始めた。
その反応と言葉に、僕は心底驚く。
「僕を……取りに戻ったの?」
僕は恐る恐る聞いた。
「そうだよ~。なんかさ~、次に門(?)が開くまでの間、このお城にいていいんだって。部屋も貸してくれたんだ」
「そ、そう……」
「でも、部屋を貸してもらえたのはいいんだけどさ~、ここに来るまで散々迷っちゃって。取りに来るのが遅くなっちゃった。ゴメンね~」
と言って、ぐったり疲れ切った様子で彼は言った。
その態度に、またも僕は驚嘆した。
さきほどよりもさらに驚いた。
「取りに来た? 僕を? ソウ君、君は、奴らに僕がどういう存在かを聞いたはずだ。なのに……何で……」
気が付くと、僕の声は震えていた。
「えっ?」
彼は、僕の言葉に軽く驚いたような表情を浮かべる。
「何で……戻ってきたの?」
「はあ? 何言ってんだよ、イータ。戻ってくるって言ったじゃん」
「僕がどういう存在かは、奴らに聞いたんだよね?」
「……うん。まあ」
「じゃあ、普通、戻ろうなんて思わないだろ?」
「何で?」
「なっ! 何でって……それは……」
今までがずっとそうだったから……とは言えなかった。
「君が命を吸い取る剣だから?」
「……そうだ。それは事実なんだ。僕は今まで、多くの命を吸い取ってきた。もちろん僕がそう望んだわけじゃない。けど、僕が多くの命を吸い取ってきたというのは事実なんだ」
震える声で僕は言う。
「けど、ボクは平気だよ。君に触っても近づいても平気だし」
「それは――」
「それに、剣は元々、何かを傷つけるための物だよ」
「そ、それはもちろんそうなんだけど、けど僕は……」
「まあいいじゃん。ボクは君に命を吸い取られることはないんだから。あれ? それともひょっとして、今無意識のうちに、ボク、命吸われちゃってる?」
と冗談めかして彼は言う。
いつもの彼の口調で。
いつもと変わらぬ彼のままで。
「……いや、それはないんだけど」
「じゃあいいじゃん。とりあえず移動しよう。ここ、ちょっと寒いし」
と言って、彼は僕を持って立ち上がった。
「こ……」
気が付くと、僕は言葉を紡いでいた。
「こ?」
彼が首を傾げて、僕の言葉を繰り返す。
「この世界の奴らは、君みたいには考えない。君が言ったような言葉なんて、絶対に言わない」
「そりゃそうだろうねぇ。近づいただけで命を吸い取られるんだから」
「なのに……何で君は……」
そんな風に平然としていられるんだい?
「う~ん。実感ないからじゃない?」
「えっ?」
「いや、実際大切な誰かの命を吸われたりとか、自分の命を吸われそうになったりとかしたら、そりゃ怖がったり嫌ったりするだろうけどさ、ボク、君を持っても全然平気じゃん? だから、大丈夫かな~って」
「だ、大丈夫かな~って……」
そ、そんな理由で、君はここに戻ってきたの?
そんな理由で、君は僕に触れられるの?
そんな理由で、君は僕を恐れないの?
「ふ、普通は怖がるよ。いつ命を吸われるか分からないんだから」
「ま、それが普通だろうね」
「……けど、君は僕を怖がらない」
「うん。だって吸われてないし」
「……君は僕が怖くないの?」
「全然」
「‼ ――――」
心が、震える。
彼と出会ってから、もう何度目か。
心が、震えている。
「……ハハ」
気が付くと、僕は笑っていた。
「ん? どしたの、イータ?」
「ハハハハハハハ!」
彼の言葉には答えず、僕は笑っていた。
嘲笑でも自嘲でもなく、ただ笑っていた。