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息が詰まる

 世界が、ルピナの家だけで完結していたらいいのに。

 カトレアは朝目覚めるたびに思う。

 子どもには不相応に思われる広い部屋。埋もれてしまいそうなほど大きなベッドに、一目で上等だと分かる調度類。花瓶やらの割れものと幼児を一緒の部屋に押し込めて、心配にはならないのだろうか。

 時機を見計らったかのように、居室の扉が叩かれる。

「失礼いたします、お嬢様」

 入室を許可した相手は、セフィルス邸で家令を務めるデモントという熊の獣人だ。

 人族の年齢でいえば初老にあたり、厳めしい顔に整った口ひげが特徴の彼は、家内のことをほとんど任されているといってもいい。

 憂欝な気持ちになるのはこんな時だ。

 侍女見習いといっても森小屋で家族と暮らしているルピナは、カトレアの朝食後まで顔を出さない。それまでは自然と、他の使用人との接触が多くなってしまう。

 リューリが一介の文官だった頃から仕えているという彼は、カトレアを快く思っていない使用人の筆頭だった。

 普段主人の側を離れようとしないデモントがここを訪う理由といえば、用事を言い付けられたからに他ならないのだが、そうしてカトレアのために時間を割くこと自体が不快なのだろう。安心してほしい、こちらも心の底から憂鬱だ。

 ――お父様の用事なんて、どうせろくでもないに決まっているもの……。

 カトレアはこぼれそうになるため息を堪え、渋々口を開いた。

「何でしょうか、デモント?」

「旦那様からのご伝言です。本日の朝食を共にいかがか、とのことです」

 やはりか、と頭を抱える。

 この誘いへの可否がどうあれ、デモントには白い目を向けられるだろう。

『主人の誘いを断るのか』や、『恩知らずな小娘が主人に素っ気なく振る舞うのを、朝食の間中我慢し続けねばならないのか』といったふうに。

 となれば、わざわざリューリに会わなくとも構わないだろう。そう判断したカトレアが拒否を口にしかけたところで、デモントの脇から張本人がひょっこりと現れた。

「おはようございます、カトレア様。早朝からあなたの麗しいご尊顔を拝謁でき、恐悦至極に存じます。具体的に言いますと、寝癖が可愛くて仕方がありません萌え」

「……朝から完全に気持ちが悪いお父様、おはようございます……」

 発言が全てを台無しにしているが、リューリの方こそ朝から隙のない麗しさだった。敬語をやめるよう何度言えばいいのかと思いつつ、眩しい笑顔からそっと目を逸らす。

 対照的に、根気強く諭すのはデモントだ。

「……旦那様。ご自身の養い子に対して、いつまでもそのような口調をされては、使用人達へ示しがつきませんぞ」

「可愛い娘を食事に誘うだけなのに、堅苦しいマナーなど必要ないだろう」

「そもそも、自ら養い子の許へ赴いては、使用人のいる意味がないでしょう。我々の仕事を取り上げるなど論外です」

 家令の小言はもっともなのに、リューリは懲りもせずカトレアに話しかける。

「真摯に向き合うのなら馳せ参じて当然であるのに、デモントがたいへん失礼いたしました。カトレア様、よろしければ私と食事などいかがで……」

「結構です」

 言い切らせもせず断れば、デモントの視線がこちらを向いた。

 白い目も素知らぬふりをしてやり過ごすカトレアに、リューリはひどく申し訳なさそうに眉尻を下げた。

「折り入って話したいことがあるので、今日のところはどうか受け入れてくださいませんか? ご気分が優れないということでしたら、また後日お誘いいたしますが」

 基本的に自由にさせてくれる彼から何かを強制されるのは、たいへん珍しい。おそらくそれほど重要な用件があるのだろう。

 衣食住も、身に付けるべき教養も全て頼っているのだ。ここは大人しく従った方がいい。

「身支度を整え次第、食堂へ向かいます。少々お待ちください」

「では、ここでお待ちして……」

「やめてください。気持ちが悪いです、お父様」

 今度こそきっぱり断ると、こんな時ばかり息が合うデモントがすかさず扉を閉じる。実に素晴らしい手際だ。

 リューリが引きずられていく音を扉越しに聞きながら、カトレアはベッドを下りた。




 リューリがすぐさま登城しなければならない事件でも起これば顔を出さずに済むと思っていたのだが、むしろ邸内の方が緊急事態だった。

「あー……可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い……」

 久しぶりに一緒に食事ができると大興奮したリューリは本能の赴くままにカトレアを抱き上げ、耳の根元に顔を埋めるなど、しばらくはやりたい放題だった。

 彼の顔面が無事だったのは、ひとえにデモントのおかげだ。主人に忠実な彼が決死の覚悟でいさめてくれなければ、危うく爪で引っ掻くところだった。

 何とか匂いを嗅ぐのはやめてくれたリューリだが、それでもカトレアを離そうとしない。

 あの家令すら匙を投げ――結果的にカトレアは、なぜか養父の膝の上に落ち着いていた。

 本当になぜ。

「お父様……これでは、食事ができないです……」

「僭越ながら、カトレア様のお食事は私が給仕いたします」

「キリッとしないでください。余計に気持ちが悪いです」

 一気に食欲が失せたカトレアは、力なく項垂れた。するとすかさず、好機を逃すまいと頬ずりをされる。彼が宰相でこの国は本当に大丈夫だろうか。

「『私ごときが触れてはあなたを穢してしまう』ではなかったのですか?」

「訂正いたします。私ごときがあなたを穢せるはずもありませんでした。あぁ……私は何という果報者でしょう……このような僥倖が我が身に訪れるなど、想像すらしておりませんでしたのに……」

 リューリが頬を撫でる優しい手付きに、カトレアの中でカッと怒りが込み上げる。

 彼はいつも当然のように全身で愛を告げる。

 ……それほど思ってくれるのなら、なぜ。

 分かっている。彼らだって望んで革命を起こしたわけではないし、当時の王族を全員排除するまで民衆の怒りは収まらなかっただろうとも。仕方のないことなのだと。

 けれど時折、無性に叫び出したくなる。穏やかな笑みも優しさも、当時向けられていたものと全く同じで、堪らない気持ちになる。

 八つ当たりでも何でもいい。

 カトレアの傷をさらして、見せ付けて、少しでもその笑顔を歪めてやりたかった。一生忘れられない傷になればいいのに。

「お優しいカトレア様。私が必ずや、あなたを幸せに導くと誓いましょう」

「……私の幸せは、お父様と金輪際顔を合わせないことです」

「そんな、物陰から見つめ続けるご許可をいただけるので?」

「気持ちが悪いです、お父様」

 何を言っても嬉しそうにしている養父を、カトレアは冷めた目で観察した。




本編には関係ないですが、本日『悪役令嬢? いいえ、極悪令嬢ですわ』のコミカライズ3巻が発売されました!


それに合わせなろう様でも久々にお話を更新いたしますので、どうぞよろしくお願いしますー!!

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