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森小屋

 リューリを振り切るようにして庭を駆けていると、背後から少女の声が追いかけてきた。

「待ってくださいよ、お嬢様ー!」

 動揺したカトレアは、侍女見習いでもある年上の友人を置いてきていたことに、ようやく気が付いた。彼女は鹿獣人の血を継いでいるのだが、二足では俊足を発揮できないのだ。

「ごめんなさい、ルピナ」

「行儀見習いも兼ねているから、いざというとき以外は四足走行を禁止されているんです。お嬢様も少しは気を遣ってください」

「あなた、私付きの侍女になる予定よね……?」

 主人に気を遣えとはいかがなものか。

 さておき、カトレア達はさらに庭を奥へと進む。

 セフィルス邸の南東には森があり、これが王領森と繋がっていることを知る者は限られたごく一部のみ。だからこそ国王の腹心であるリューリの居住地として選ばれたのだと、さらりと教えられた時は反応に困ったものだ。

「お嬢様って、走るのが好きですよね」

「元々孤児だったし、猫の獣人だからということもあるかもしれないわね」

 屋敷に引き取られた日からずっと側にいるルピナの前では、自分を取り繕う必要はない。

 前世について話したことはないけれど、健康な体なら何をしても楽しいのだと、素直に伝えるくらいは許されるだろう。

 あまり表情が動かないカトレアにしては珍しく、ほんの少し口角が上がった。

「走るのって気持ちがいいわ。体が軽くて、そのままどこまでも飛んで行けそう」

「鳥の獣人でもあるまいし。下りられなくなりますから、高い木に登ろうなんてくれぐれも思わないでくださいよ」

「それは、後々の伏線?」

「じゃないです。どんだけひねくれてるんですか」

 軽口を叩き合っていると、夜に沈む森が前方に見えてきた。その入口には、ぽつんと小さな明かりが灯っている。

 明かりを目指して歩いていけば、丸太を組んで建てられた森小屋が見えてきた。ここは、ルピナの実家でもあるのだ。

「ただいまー」

「おかえり、ルピナ。今日もお嬢様と一緒なのね」

 出迎えてくれたのは、ルピナの母親のファナ。その後ろには父親のグルの姿もある。

「こんばんは。今日もお邪魔いたします」

「いつもご丁寧にありがとうございます。どうぞ上がってください。紅茶はいかがですか? 小腹が空いているようでしたら、先ほど焼き上がったクッキーもございます」

「ぜひ食べたいです」

 温和な笑みで案内するファナのあとを歩いていると、背後のルピナがぼそりと呟いた。

「お嬢様、遠慮って知ってます?」

「そっくりそのままあなたに返したい言葉ね」

 ルピナの両親はそれぞれ鹿獣人と羊獣人で、共にこのセフィルス邸で使用人として働いている。

 夫のグルが庭師をしているため、この森小屋で家族三人仲良く暮らしているのだ。

 四十代とはいえ獣人族ならまだ働き盛りと言えるこの夫婦は温厚な性格で、カトレアにとって彼らのいる場所は避難所でもあった。

「グル、いつも迷惑をおかけします」

「いいんですよ。屋敷に居辛いなら、ずっとここにいたっていいくらいです」

「父さん、そんなこと言ったらこのお嬢様、本当に入り浸っちゃうから」

 嫌みで割り込む娘を、グルは優しく窘める。

「ルピナ、素直じゃないね? うちではいつもお嬢様の心配をしているくせに」

「そ、そりゃ心配しますよ。私はいずれお嬢様付きの侍女になるっていうのに、主人のせいで肩身が狭いったら――……」

 ルピナはカトレアと目が合うと、ばつが悪そうな顔になりキッチンへと立ち去った。

 グルはそれを面白そうに眺めている。

「すみませんね、お嬢様。一応あの子もまだ十歳なので。もし失礼な発言があっても、聞き流してくださると嬉しいです」

「怒っていませんよ。ルピナの言う通り、屋敷に居辛いのは自業自得ですから」

 獣人を多く雇用しているこの邸宅で、差別に敢然と立ち向かい勝利をもぎ取ったリューリを尊敬しない者はいない。

 それはもう、カトレアへの異常な態度が目に映らないほどの盲目ぶりだ。

 立場をわきまえず養父に不遜な態度を取り続ける少女に、使用人達の反応は冷ややかだった。主人を慮ってか面には出さないけれど、常に悪感情が突き刺さってくる。

 カトレアに反感を抱いていないのは、この森小屋に住む家族くらい。それも友人でいてくれるルピナの影響だろうが、だからこそこの場でだけは、心から安らぐことができるのだ。

「屋敷の使用人達は、私の身の回りの世話だけは怠りませんが、嫌悪感は態度に出ていますから。ああやって正面から嫌みを言ってくれる分、ずっと付き合いやすいです」

「お嬢様はまだ七歳でいらっしゃるのに、あの子よりもずっと大人ですね」

「――」

 グルの何気ない言葉に、カトレアは固まった。

 彼は穏やかだが鋭い。

 誰にも打ち明けたことはないのに、前世十七年分の記憶があるせいで年齢のわりに大人びているのだと、見透かされたような心地になる。

「さ、様々な習いごとのおかげでしょうか……」

「なるほど。ルピナにもどんどん学ばせなければ、置いていかれそうな勢いです」

 どうやら誤魔化せたらしい。

 実はこの国の王女だった記憶があるのだと話したところで、信じるのは難しいだろうけれど。

「それも全て、財を惜しまず優秀な教師を招いてくださる、旦那様のおかげですね」

「……」

 カトレアはぐっと詰まった。

 復讐を果たすべくあらゆる知識を吸収しているカトレアだが、薄々気付いているのだ。選りすぐりの教師を招いてくれるリューリに恩がかさんでは、本末転倒なのではないかと。

 やはり、彼は鋭い。

 普段はここで堂々と復讐計画を練っているのだが、今晩だけはやめておこうか。

「……グル、今日は何だか怖いです」

「ぐはっ……!」

 なぜかグルが、先ほどのリューリのように膝から崩れ落ちた。

「あーあ、何をやってるんだか……」

 カトレアが目を白黒させていると、ルピナとファナがキッチンから戻って来た。

 二人ともクッキー皿や茶器を抱えているためか、苦笑いはするもグルを助け起こそうとはしない。

「ルピナ。私、誓って何もしてないわよ」

「あぁ、大丈夫です。大体把握できますから」

 彼女はテーブルに皿を置きながら、カトレアに向かって肩をすくめた。

「『パパ怖い』も、『パパ臭い』と同じく相手に強烈な一撃を与える、有効な言葉ですから。一番の致命傷となるのは『パパ嫌い』ですけどね」

 何を隠そう、『パパ臭い』なる言葉を教えてくれた友人とは、ルピナのことだ。

 失敗したかに思えた作戦だったが、グルの様子を見る限り彼女の経験談は正確だったらしい。

 重傷を越えむしろ幸せそうにしていた養父の方がおかしいのだ。

「あらあら、グルったら。お嬢様を大切に思っているから、『怖い』と言われて傷付いちゃったのね」

 のんびり笑うファナの発言で、動揺していたカトレアも気付いた。

 衝撃を受けるということは、身内のように思ってくれているということ。グルの親愛に、胸の奥が温かくなる。

 カトレアと友人でいてくれるルピナも、猫舌を気遣いぬるめの紅茶を淹れてくれるファナも。この家の人達は本当にかけがえがない。

「さぁ、お茶も入ったし食べましょうか」

「――はい」

 カトレア達はテーブルにつくと、話に花を咲かせながらクッキーを頬張った。

 ……全員がグルを放置して。



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