そうして日常は続いていく
本日四話目ですー!
想いを打ち明け合ったあと。
なかなか離れたがらないギルディオを容赦なく振り切り図書館に向かうと、ロメウスの驚愕の表情に出迎えられた。
「ロメウス様、どうかされました?」
「いや……まさか、顔を出すとは思わず……」
珍しく狼狽える様子に訝しむカトレアだったが、一つ思い当たることがあった。
彼は、寄り道のせいで遅れることを事前に知っていたのではないだろうか。
「顔を出すと思っていなかったのに、待っていてくださったのですか?」
反応から割り出した結論に、彼はなぜかものすごく渋い顔をした。
「陛下の……ご命令ならば、当然だ……」
「そうですね。ロメウス様に甘えてばかりで申し訳ないですが、助かります」
仕事熱心な彼が国王命令を優先するのはごく当たり前のことだと頷き返しただけなのに、どことなく口角が引きつっているのは気のせいだろうか。
「ありがとうございます。夜会のあとどうなっているのかも、詳しく知りたかったので。リリアンネ様の身柄については、もうボルテオ王国と連絡が取れたのでしょうか?」
メイナをはじめ、リリアンネ以外の令嬢達は既に帰国したと聞いている。
エレミネアとフィネアにも問題行動はあったけれど、あの二人に関してはカトレア自身が直接話をつけたので帰国したところで構わない。
表沙汰にしないことで両国に借りを作れたから、今後は優位に交易を進められるだろう。あれを口約束で終わらせないよう動くのは、国政に携わる者達の役割だ。
メイナと別れの挨拶ができなかったことだけは心残りだが、きっと約束した通りミケルを遣いに伝言を寄越してくれるはずだ。
カトレアの質問に、ロメウスは表情を改めた。
「いや。正式な使者をこちらに寄越すらしいから、話を詰めるのはそれからになるだろう。リリアンネ・ゴルダーは、その間貴族用の独居房に収監される」
「リリアンネ様に利用されていた、あの鼠の獣人の使用人は?」
「彼女は脅されて罪を犯しただけとも言えるが、貴族に刃を向けたからには雑居房へ……というか、君はその刃を向けられた当事者だろう。なぜいつまでもリリアンネ・ゴルダーに敬称をつけている?」
彼の方が腹立たしそうにするから、カトレアは少し嬉しくなった。
出会ったばかりの頃に比べたら、ずいぶん親しくなれたように思う。
「もちろん私とて、許すつもりはありません。ですが、周囲から植え付けられた思想によって身を滅ぼした彼女もまた、ある意味では被害者です」
ボルテオ王国という国全体が、獣人を奴隷のように扱っているのだ。
レディラム王国内では過激な言動として映ったけれど、それが当たり前の社会で育ちながら違和感を持てる者が、果たしてどれほどいるか。
押し付けられた思想は、微弱な毒に似ている。気付かぬ内に全身を侵し、最終的には手の施しようがないほど深部に根付いてしまう。
「リリアンネ様だけでなく、そのような国に問題があるのです。差別のある国を作ってしまった、治世者達に」
発言しながら胸が痛くなった。
全て、前世の自分自身に返ってくる言葉だ。
ロメウスが、神妙な面持ちでいたカトレアの額を弾いた。
「君が同情したところで結果は変わらん。心を痛めるだけ時間の無駄だ」
「心ではなく額が痛いのですが……」
「甘いことを言うからだ。リリアンネ・ゴルダーからひどい扱いを受けていた獣人達の前で、君は同じことを言えるのか?」
何も反論できず、カトレアは黙り込む。
彼は本当に手厳しいが、そういった対応を望んだのはこちらだし、これでも真っ向から注意をしてくれる貴重な存在だ。
額を擦るカトレアの隣で、ロメウスは背もたれに体重を預けながら腕を組んだ。ものを思う眼差しは茫洋と宙空を漂っている。
「だが、そうだな……社会全体の問題なんだろう。君にナイフを向けた獣人も、牢屋に入れられておきながら、祖国にいるよりずっと人らしい扱いだと涙を流して喜んでいるという」
彼の言葉を聞いて、鉛を呑み込んだように胸が重苦しくなる。
少女は、叩くのを躊躇うほど細い腕をしていた。
病弱で人並みの食事を受け付けなかったのと違い、おそらく満足な食糧さえ与えられず酷使されていた。見える部分に暴力の痕跡はなかったけれど、服の下はどうなっていたか。
獣人とはいえ他国の国王と関係を持つかもしれないと、見栄えを整えていただけだ。
「いずれは、改善していかねばならない問題だな」
「獣人族と人族の区別をしないことを、上に立つ者が率先して示していくしかないのでしょうね。少しずつでも他国まで波及してくれるといいのですが」
強引に世の在り方を変えるのは最終手段だ。
じっくりと時間をかけられるのなら、国民にむやみな動揺を与えることもない。
革命という手段を選ばざるを得なかった点はともかく、前王朝から仕えていた人族を強引に排斥しなかった現政権のように。
せっかくいい方向に変わってきているレディラム王国を大切に育てていきたいと、カトレアは心から思っていた。
真剣に考え込む様子を眺め、ロメウスはにやりと目を細めた。
「君、文官に向いてるんじゃないか?」
思いがけない台詞に目を瞬かせる。
漠然とした将来への道程に、ポツリと小さな光が灯ったよう。
「第一線で活躍するには、とにかく知識が必要になってくる。君は何を学ぶにも楽しそうだし、物事を広い視野で判断できるというのも大きな武器になるだろう。メイナ王女殿下との茶会の様子を見る限り外交も任せられそうだ」
「評価していただけるのは嬉しいのですが、そもそも過保護な養父の許可が下りるか……」
「目指すのは早ければ早いほどいい。僕が出した最年少合格記録を抜かれるのは癪だが、優秀な人材はいくらいても困らないからな」
「今、さらりと自慢を織り込みましたよね……?」
彼の輝かしい功績について不勉強であったことはたいへん恐縮だが、カトレアはまだ七歳なのだ。
胸にきざした希望は確かにあるけれど、将来を決めるにはまだ早すぎやしないか。
「ちなみにロメウス様。私が合格できるようになるまで、何年かかると予測します?」
「このままの進捗具合を維持できるなら、五年くらいが妥当だろう」
「五年ってまだ十二歳じゃないですか。勤めはじめる年齢でもないですよ」
「文官になるには学園と院の在籍は必須だから、特例で今から通学できるよう陛下に計らってもらえばいい。僕も特例で二年飛び級した」
「またさらりと自慢しましたし、こねを利用する気満々ですし……」
ロメウスの圧がすごすぎて、カトレアは上半身を大きく反らした状態だ。
なぜそこまで前のめりなのか。幼女の手を借りねばならないほど、王城は人手不足なのか。
過熱する勧誘に水を差したのは、地を這うような声音だった。
「――ロメウス。たとえカトレア様が文官になることを望んだとしても、あなたと机を並べて働くわけではないですからね……」




