些細な変化、大きな一歩
今日もよろしくお願いします!
転生し、一度は孤児となったからこそ、理解できることもある。
この国はいい方向へ向かっている。悔しいが、それを日々実感している。
「あなた方が立ち上がった、勇気は。国を変えたいと培ってきた誇りは……安易に否定すべきではない。それがたとえ、あなた方自身であっても」
カトレアが何を言っても、彼の気持ちを変えることなどできないだろう。許しを与えること自体が自己満足に過ぎない。
けれど、ほんの僅かでも、ギルディオの負担を減らせるのなら。
「……私は、あなた方を――許します」
彼らが息をのむのが分かった。
カトレアは、目蓋の裏に思い出す。
まだ一介の騎士だった頃のギルディオの笑みと、文官だったリューリの気遣い。ぬいぐるみ、地形図、シロツメクサ。
忙しいはずなのに三日と置かず訪れては、苦もなく笑ってみせるのだ。『カトレア様の顔を見るだけで、何より元気をもらえるのです』と。
どのような奸計が陰に潜んでいたとしても、あの真心に嘘はなかった。
そう、信じている。
不意に目の奥が熱くなった。
「カトレア様……」
恥ずかしい。
彼らは、十七年の歳月を生きた記憶があることを知っているのに。
使用人達にどれほど白い目を向けられても、令嬢達からひどい嫌がらせを受けても、絶対に泣くまいと決めていたのに。
「うえぇぇ……っ」
唇から勝手に嗚咽がこぼれた。
ぽろぽろと頬を転がり落ちる涙を、止めることができない。
カトレアは頑是ない子どもらしく、これまでの全てを洗い流すように、力の限り泣いた。
脆弱な体に苦しんでいても弱音一つこぼさない気丈な王女だった。
前世と合わせても初めて見るカトレアの涙に、大人達は戸惑うしかない。
「カトレア様……どうか、泣かないでください……うぅっ、カトレア様……」
やがて悲しみが伝染し、ギルディオとリューリまで泣きだした。ギルディオはともかく、リューリまで泣くとは少し意外だ。
両側からカトレアにしがみつき、先ほどまでより抱擁はさらにきつくなる。
「カトレア様ごめんなさい……ごめんなさい……」
「カトレア様、大好きですぅ……」
「ギルディオのばかぁ……そしてリューリは純正のへんたいぃ……」
ぎゅうぎゅうにくっつき合い、三人は疲れ果てるまで泣き続けた。
折り重なるようにして眠っているところを城の使用人に発見されるのは、明朝のこと。
その日の空は、昨日の晩が嘘のように、どこまでも青く澄みきっていた。
◇ ◆ ◇
「おはようございます、カトレア様。今日も朝日に輝く御髪の美しさを堪能できて、私は世界で一番の幸せ者です」
「……おはようございます、清々しいほど正々堂々と気持ちの悪いお父様」
白々とした陽光が射し込む室内で、カトレアは朝から頭を抱えた。
今日も無駄に麗しい養父が、許可もなく私室に居座っている。
秘密を打ち明け三人で泣きじゃくったあの日から、これが毎朝の日課となっていた。
これまでも変態性を前面に押し出していたリューリだが、ますます自重しなくなった気がする。
今はカトレア・セフィルスとして人生をやり直しているので、呼び方は『お父様』で定着させることにした。態度も突然変える必要はないということでそのままを通しているのだが、既に後悔している。
はっきり言って、とにかく鬱陶しい。
屋敷にいる間は離れている時間も惜しいとばかりに密着されるし、『お父様』と呼ぶたび笑顔をとろけさせている。これまで通り接しているのだからリューリも合わせてくれないと、使用人達に不審がられるではないか。
膝に座らせ手ずから食事を与えようとするリューリから逃げ出したところで、ようやく平穏なひと時を得られる。
ぬるい温度の紅茶を味わいながらホッと息を吐いていると、リューリが口を開いた。
「今日こそは、登城いたしましょうね」
「うっ……」
カトレアは口許を押さえながら目を逸らした。
現在、恥ずかしさから城通いを控えている。
国王と宰相と身を寄せ合って眠る姿を、城の使用人に目撃されてしまったのだ。
たった数人とはいえ、人の口に戸は立てられない。今頃は城中のほとんどが知っているに違いなく、カトレアは想像するだけで消えたくなる。
逃げたって仕方がないことは分かっている。あの日リリアンネが起こした事件の顛末についてだって詳しく知りたい。
冷静な部分ではそう思えるのに、どうしても羞恥が勝ってしまう。
「あぁー……照れるカトレア様を見ているだけでパンをいくらでも食べられそうです……」
「見ないでください、いつか本当に捕まりますよ」
リューリはいたずらっぽい笑みになった。
「……あなたは、ギルディオとどんな顔をして会えばいいのか分からないのでしょう?」
指摘され、カトレアは頬がさらに熱くなるのを感じた。ギルディオと会うことが何より不安なのだと、完全に見透かされている。
あのあとろくに話しもせず別れてしまったせいで、時間が経つほど会いづらくなっていた。
馬鹿みたいに泣いて迷惑だったかもしれないし、あまりに偉そうに振る舞ってしまった。頭を冷やして考えてみると失態だらけだ。
少なくとも、好きな人の前でやることではない。
――いえ、別に嫌われようが関係ないですし……そもそもリリアンネ様を言い負かしているところなんて、相当な悪人面だったでしょうし。……えぇ、嫌われる要素しかないわね……。
うじうじ悩んでももはや取り返しがつかないのだから、諦めて登城することにした。
支度を整えて屋敷を出る直前、カトレアは重々しい声に引き留められた。
いつも厳しい表情を崩さないデモントだ。
彼の後ろには、他の使用人達までやけに神妙な顔付きで並んでいる。
「……お嬢様。ご主人様を助けてくださり、本当にありがとうございました」
何のことだか、一瞬理解できなかった。
カトレアはしばし逡巡し、珈琲の件だと気付く。
リューリはデモントに、強引な珈琲取り寄せの裏に隠された意図を説明したのだろう。
どう答えたらいいのか分からず周囲を見回すと、たまたま出仕してきたところらしいルピナと目が合った。瞳を輝かせて展開を見守る彼女の隣では、グルとファナが微笑ましげにこちらを見つめている。
何とも面映ゆい。けれど、もう復讐を諦めたのだから、使用人達とも歩み寄る必要がある。
嫌われていても仕方がないと諦めるのは、もうやめるのだから。
「誤解を招く言い方をしたのは私ですし、感謝はしなくても結構です。……私こそ、いつもあなた方には助けられておりますので」
長年染み付いた態度は、やはりそう簡単には治らないようだ。
ルピナは今頃どんな顔をしているだろう。
知りたくもなくて、カトレアはそそくさと馬車に乗り込んだ。




