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まだ七歳ですので

すみません、変態っぽい発言注意です!

 とはいえ、カトレアはまだ七歳の子ども。

 できることは限られている。

 引き取られたセフィルス邸は、子爵という地位にありながら王都の一等地に存在した。

 広大な敷地を有している上、王城にもほど近く好立地。それは、七年前に起こった獣人革命の立役者であり、現国王とも親しい間柄であるためだ。

 セフィルス子爵――カトレアの養父であるリューリ・セフィルスは獣人族だった。

 彼は蛇の獣人で、腰まで伸びた真っ直ぐな白髪に琥珀色の瞳をしている。縁なしの眼鏡をかけ、涼やかな顔立ちはどこまでも知的な印象。

 一見しただけでは人族の青年に見えるけれど、腕には特徴的な鱗がうっすらと生えていた。

 革命から七年が経ち、市井での獣人差別はほとんど解消されていると言えるが、貴族社会に根付いた思想はなかなか改善が進んでいない。宰相を務める養父はいつもへとへとになって帰宅するので、こう声をかけるのがカトレアの日課となっていた。

「おかえりなさいませ、お父様。今日もお疲れのようで、とっても臭いですね」

「ぐはっ……!」

 開放的なエントランスに苦悶の声を響かせながら、リューリが膝から崩れ落ちる。

 安定の気持ち悪さに、カトレアは冷めた目で彼を見下ろした。

『パパ臭い』は強烈な一撃になると、せっかく友人から教えてもらったのに、なぜか養父はうっすら幸せそうに微笑んでいる。致命傷は確実に負っているはずなのだが。

「あぁ、カトレア様がおかえりなさいませと出迎えてくれる無常の喜びよ……尊みがすぎるとしか言いようがない……毎日ご馳走様です……」

「『様』を付けるのはおやめくださいと何度も申しておりますし、気持ちが悪いです」

「気持ちが悪いと言いつつ嫌な顔一つせず受け入れてくださるカトレア様の包容力よ……」

「前向きに受け止めすぎるお父様、心底気持ちが悪いです」

 嫌な顔をしないというより表情が乏しいだけだし、罵倒は十分にしている。

 リューリに養子として引き取られた時、カトレアは復讐を決意した。

 できることが限られている中で、こうして日々彼を傷付けようとしているのだが、一度として報われた気がしない。むしろ毎回喜ばれている。

「抱きしめたい……ですが、私ごときが触れてはあなたを穢してしまうから、こうして同じ空間にいられることを感謝するしかないのでしょう……そうしてあわよくば、かぐわしい体臭を楽しむことができたなら……」

「気持ちの悪さが留まるところを知りませんね、お父様」

 何やら苦悩しはじめたリューリは、使用人らの視線など気にもかけず偏執的なことを呟く。

 カトレアは生気のない目で同じ言葉を繰り返すしかなかった。

 赤らんだ頬も、恍惚とした吐息も、変質者の特徴と完全に合致している。昔はもっと理知的な印象だったのに、詐欺だ。

「あぁぁぁぁぁぁ、お可愛らしいいいいいいぃ……死ぬまでに一度でいいから、そのもふもふの耳を、飽きるまで堪能させてはくださいませんか……?」

 頭上に伸ばされた震える手を、ひらりとかわす。

 性能のいい耳が『素っ気ないところもまたいい……』という小さな声を拾ったので、さらに距離をとった。彼が飽きてくれる気がしないので、絶対にお断りだ。

 そう。カトレアもまた、今世では獣人族として生まれていた。

 頭上には、緩やかに波打つ銀色の髪と同色の耳。出し入れ可能な長い爪。そして、銀色の毛に覆われた細長い尻尾。

 カトレアは、猫の獣人だった。

 リューリに比べて見るからに獣人で、革命直後と思われるあの当時、養護院前に捨てられていたのも忌避されてのことだろうと今なら分かる。

 王女だった頃のカトレアは、長い時間を病床で過ごしたためか、差別や偏見を植え付けられることなく育った。

 こうして生まれ変わったこと自体は忌々しく感じるが、獣人や孤児であることへの厭わしさは一切なく、健康な体に感謝さえしていた。

「カトレア様、今回新しく雇った教師はいかがでしたか? なかなか優秀な者でしょう」

「そうですね、とても興味を惹く語り口ですし、特に周辺国についての知識が豊富でいらっしゃるのですが、やはりあの方も私を幼児扱いするためなかなか次の段階に進むことができず――ってお父様、会話を長引かせようとするのはやめてください」

 うっかり今日の出来事を話し出そうとし、カトレアは慌てて口を押さえた。

 養父が座り込んでいるのは、屋敷の正面扉の前。

 進路を塞いで時間稼ぎをするなんて、意図が透けて見えている。

「私は森小屋に用があります。さっさとそこをお退きになっていただけませんか?」

「もう日も沈んだというのに、用とは何ですか? 子どもだけで出歩く時間ではありませんよ」

「出歩くも何も森小屋は敷地内ですし、そもそもあなたに教える義理はありません」

「義理って……一応親子じゃないですか……」

 リューリは若干芝居がかった様子で、さめざめと泣きだした。

「ひどいです……私というものがありながら、いつもいつも森小屋に入り浸って……それほど私がお嫌いですか……?」

 琥珀色の潤んだ瞳が、眼鏡のレンズ越しにカトレアを見上げた。

 嫌い。とても重い言葉だ。

 言葉に詰まったカトレアの脳裏に、前世での彼との思い出が甦る。

 当時まだ役職のない文官だったリューリだが、手土産を欠かすことはなかった。

 獣人差別のせいで俸給などほとんどもらっていなかっただろうに、絵本やぬいぐるみに、地形図や教科書。カトレアが一人で寂しくないよう、そして少しでも世界を知れるよう、配慮したものばかり。

 こんなにもらえないと控えめに告げてみても、彼は『ずっと側にいられない代わりに』と言って、穏やかに微笑んで――……。

 胸の奥が温かいことに気付かないふりをしていると、やけに視線を感じる。

 強い期待で輝くリューリの眼差しが、カトレアへと一心に注がれていた。

「即答されないということは、カトレア様、もしや私をお嫌いではない……? む、むむむむしろ逆に……」

「……き、き、」

 興奮に息を荒らげる様子は、控えめに言っても不気味だ。

 嫌い。彼を傷付けたければそう口にすればいいだけなのに、躊躇いが生じるのはなぜだろうか。『匂う』や『気持ちが悪い』は簡単に言えたのに。

「……き、今日受けたマナーの授業を復習しに行くだけですからーーー!!」

 視線に耐えきれなくなったカトレアは、リューリを押しのけて扉を飛び出した。



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