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復讐したいのに、もふもふ陛下の溺愛から逃げられません!  作者: 浅名ゆうな


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笑顔と償い

いつもありがとうございます!

 常軌を逸した娘愛を炸裂させていた養父は、二人きりになった途端慎重な声音になる。

「エレミネア王女殿下の珈琲は、ボルテオ王国のリリアンネ・ゴルダー公爵令嬢から、お近付きの印にといただいたものだそうですね。ボルテオ王国のさらに南方には、珈琲の生産が盛んに行われているリマ帝国と並ぶ大国、イストリア大帝国がある。こちらも、彼の国から仕入れたものです」

「イストリア、ですか……」

 長く息を吐いたカトレアの横顔を、リューリが注視していた。

 煩わしい視線から逃れるように、カトレアは疑問を口にする。

「……あなたは、私を責めないのですね」

 使用人に眉をひそめられるほど高い買いもの。

 むしろ怒るべきは散財する羽目になったリューリであるはずなのに、彼からは相変わらず愛情深い眼差しを注がれている。

「責める理由がありますか? ただ……珈琲の購入についてデモントから報告を受けた時、少し寂しく感じました」

 彼はカトレアの前に膝をつくと、労りに満ちた笑みを浮かべた。

「……私では、あなたの助けとなれませんか?」

 眼鏡の奥で琥珀色の瞳が、明かりを受けとろりと揺れる。明け透けなほど彼の感情が伝わってきて――カトレアは俯いた。

 真っ直ぐ見つめ返すことが困難なほど優しい眼差し。全幅の信頼と親愛。ただがむしゃらにすがり付いて泣きたくなるような。

 それをぎりぎりのところで踏み止まっていると、リューリが笑声をこぼした。

「素直に甘えられないあなたも、愛らしいですね」

 声音に混じった明らかなからかいに、カトレアはムッと顔を上げる。

「お父様、気持ちが悪いです。二度と私の安住の地に踏み入れないでください」

「あぁ、一応ここも私が所有する敷地内ですのに、空恐ろしいまでの理不尽……照れていらっしゃるカトレア様の何と尊いことか……」

「照れておりません。蔑んでいます」

「蔑むカトレア様も素敵です……」

 リューリに絡まれているせいか、余計に体力の消耗を感じる。ホットミルクの力と相まって、今晩はよく眠れるかもしれない。

 ほんの少しだけ感謝を抱きつつも、カトレアは適当にリューリをいなし続けた。

 すげない幼女と、むしろそれを嬉々として受け止めている養父。

 実に奇妙な関係を織り成すセフィルス子爵家親子を、ルピナ達一家は物陰で半眼になって眺めた。


   ◇ ◆ ◇


 一週間後。いつものように登城したカトレアは、相変わらず嫌がらせを浴び続けていた。

 もはや日常と化しつつあるため、泥水の入った木桶は華麗に避けたし、進行方向に蛇が出現しても慌てることなく迂回することができた。

 慣れてきたというのもあるが、気力が充実しているからという理由もあるかもしれない。

 リューリが珈琲の件を正しく理解し、受け入れてくれた。そのことに、カトレア自身思いのほかホッとしていた。

 どこにいても悪意にさらされ続ける日々の中、彼にまで背を向けられたら。

 そんな不安がずっと心の奥底にこびりついていて、けれどリューリは何でもないことのように軽々と拭ってくれた。素っ気ない態度をとるカトレアを否定しなかったように、あまりに平然と。

 本当はきちんと向き合うべきだと分かっている。

 それなのに、真実を突き付けられるのが怖くて優しさに甘えている。カトレアは卑怯だ。

 考え込みながら角を曲がろうとしたところで、侍女のお仕着せ姿の女性が突進してくる。

 危なげなくかわすと、隣を歩いていたロメウスが感心したようにうなった。

「うぅむ、ほとんど職人の域になってきたな……」

「褒め言葉にはなりませんからね」

 カトレアの苦情などどこ吹く風で、彼は走り去る背中を眺めている。

「それにしても、仕留め損ねたか」

「仕留めないでください……」

 不穏な呟きに答えつつ、ふと気付く。彼の言う『仕留める』とは、顔を確認できなかったという意味かもしれない。

 ロメウスは目がいいので、これまでの嫌がらせの実行犯は全て把握していた。

「珍しいですね。ロメウス様の動体視力を上回るほど、俊敏ではなかったように思いますが」

「相手が念入りに顔を隠していた。隠すということは顔見知りか、はたまたどうしてもこの嫌がらせを知られるわけにはいかない、何者かの犯行か……」

 顎に指を添えながら、ロメウスは歩き出した。

 カトレアもそれに続いたが――強烈な香りが鼻を刺激した。

 途端、猛烈な目眩が襲って回廊に座り込んだ。息ができない。

「カトレア!?」

 焦った様子で引き返してくるロメウスに異常はない。この濃密な匂いが辛くはないのか。

 炎を呑み込んだように熱くて、全身から汗が噴き出す。視界がかすむ。苦しい。

 彼の声が遠ざかっていくのを感じながら、カトレアは意識を手離した。




 目を覚ますと、辺りは暗闇に包まれていた。

 ここがどこで、自分が今どのような状況にいるのか、まるで分からない。

 頭のどこかが麻痺しているようで、思考がまとまらなかった。未だに体は熱く、目に映る全てがゆらゆらと揺れて見える。雲の上にたゆたっているような気分だ。

 カトレアの意識を導くかのごとく、小さな明かりが一つ灯っている。ぼんやり見入っていると、穏やかな声音が響いた。

「……カトレア様、具合はどうだ?」

 低い声が静かに気遣う。

 暗闇に灯る明かりのように穏やかな声音は、よく知っているものだった。

 ギルディオが、枕元でカトレアを見守っている。

 柔らかな笑みが薄暗がりに浮かび、まるで幻でも見ているかのようだ。体調のせいか、夢と現実の境がひどく曖昧だった。

 だからか、求婚されて以来一度も会っていない彼に対しても、感じるはずの気まずさがない。

「回廊に配置されていた花瓶から、またたびの成分が検出された。君は、またたびを大量に摂取したために倒れたのだ」

 またたび。

 彼の言葉を胸中で繰り返す。

 猫の獣人として生まれ、またたびの匂いを嗅いだのは初めてだった。

 体が十分に発達していない子どもにとっては劇薬に等しいからだ。少しずつ慣らしていかないと、最悪の場合、呼吸困難や麻痺を起こす。

 おそらく、相当成分の強いものを嗅いでしまったのだろう。

「ロメウスには犯人を捜してもらっている。彼の話を聞く限り、直前に会った使用人の女性が最も怪しいからな。リューリもそちらの捜査に加わっているが、カトレア様が目覚めたことを伝えるために遣いをやったから、すぐに迎えに来よう」

 ギルディオの状況説明が終わると、闇に包まれた室内に沈黙が落ちる。

 二人きりだ。

「……ギルディオ」

 どのような時でも決して触れようとしなかった、騎士の名を呼ぶ。

 カトレアは夜目が利くから、彼の緑色の瞳が驚きで見開かれるのが分かった。

「気を、落とさないで。あなたのせいじゃないわ」

 浮ついた心地が、自分という輪郭さえ曖昧にしている。彼が誰で、ここはいつで、自分は誰なのか。

 全部どうでもよかった。

 俯いていたギルディオが、悲痛な顔を上げる。

「カトレア様。専属の騎士を、おつけしましょう」

「いいえ、気遣いは無用よ。……あなた以外の、騎士はいらない」

 吐息混じりに呟くと、彼はますます悲しげに顔を歪めた。鋭い犬歯で唇を噛んでいるから、切れてしまわないかと内心でハラハラする。

「俺のせいです……もっと、俺を責めてください。憎んでください」

 カトレアも、できるなら心の全てで憎みたい。

「なぜそれができないのか……あなたは本当に分からないの? あなたが幸せになっていれば、私とて躊躇わなかったわ」

 もっと幸せそうにしてくれたならよかった。

 そうすれば、せめて憎みきることもできたのに。

 ギルディオは、吐息を解くように笑った。

「……俺は、不幸そうに見えますか」

 寂しげな笑みは、いつかリューリが見せたものによく似ていた。

 カトレアはやりきれなくなった。

 胸が痛い。

 底抜けに明るい彼の笑顔が好きだった。

 吹き流れる風のように自由で、伸びやかで。太陽のように誰をも照らす。

 尖った白い犬歯が覗くたび、見ているこちらまで元気をもらえたものだ。

「今のあなたの笑顔は、胸が痛くなる。なぜ、そのように笑うの」

「……覚悟の有無、でしょうか。国のため、民のため、どれほどの重荷であろうと、全てを背負う覚悟をしておりますから。それが、多くの命を散らした革命を主導し、前王家をも裏切った俺にできる唯一の償いだと――以前まではそう思っておりました」

 ギルディオは静謐な笑みを絶やすことなく、懐から何かを取り出した。

 鈍く光るのは、護身用の短剣。

 国王の所持品らしく鞘も柄も純金で、つる草模様と紋章が彫り込まれている。抜き身になった刃だけが鋭い銀色だ。

 ロメウスの声が甦る。フクロウの図柄――それは前王朝、最後の国王のもの。

 そう気付いた時には、固く手を握り込まれていた。振りほどくことすらできない力で、短剣ごと握られている。




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