最後の花嫁候補
よろしくお願いします!
あれから一ヶ月近くが経とうとしているのに、彼とはまだ一度も会えていない。
これまでは勝手に視界に入って鬱陶しいくらいだったのに、それもパタリと止んでいる。明らかに避けられていた。
その事実に、どこか安堵しているカトレアもカトレアだった。
会えば、今度こそ拒絶しなければならない。
ギルディオと顔を合わせずに済んでよかったと思っていること自体が弱さの表れだと、自覚はしている。猶予期間を引き延ばしているだけにすぎない。
それでも――と考えてしまう自分に嫌気がさす。
――駄目。……復讐のことだけを考えよう。前世の記憶があるのも、きっとこのためなのだから。
目蓋の裏に浮かんだ闊達な笑顔を、カトレアは見ないふりをする。
その時、高い鳴き声を耳が捉えた。
思わず見上げると、太陽を背後に従えながら滑空する鳥の姿があった。
優雅に舞う鳥の羽は、翡翠のごとく目の覚める青。ロメウスと共に立ち止まり、しばし見惚れる。
「綺麗ですね……」
「悪かったな、美しい羽色を持たずに」
特に他意はなかったが、気に障ったのだろうか。
確か以前、彼の種族は隼だと聞いたことがあった。ロメウスはなぜか、華やかな鳥に厳しい眼差しを送っている。
彼の横顔を観察したあと、カトレアは再び上空に視線を戻した。
「……隼は、とても早く飛べる。私にはどの種族より、自由に見えます」
美しさも、強さも、比べるようなことではない。
誰にでも秀でたところや素晴らしいところはある。ようは受け取り方の問題だ。
「どちらも綺麗、でいいのではないでしょうか。私は空を飛べないので、羨ましく思います」
病弱だった前世、空を舞う鳥達を眺めどれほど焦がれただろう。
今は健康な体があり、俊敏に動くことができる。
遠くで虫が動く音を捉える耳があるし、出し入れ自由な爪もある。羨ましいとは感じても、カトレアだって猫の獣人であることに満足していた。
見上げた先、ひらひら一枚の羽根が舞い落ちる。
カトレアは持ち前の動体視力を駆使し、空中で受け止めることに成功した。こんなふうに、動き回ることができて楽しい。
「ロメウス様、綺麗ですね」
先ほどと同じ言葉を繰り返すと、今度はロメウスも素直に頷いた。
「あぁ……綺麗だ」
いつも不機嫌そうなしかめ面が珍しく綻んでいて、つられてカトレアも微笑んだ。
ほのぼのとした空気に割って入ったのは、第三者の声だった。
「――すまない。羽根を、渡してもらえないか」
訥々と話す女性は、肩に翡翠色の鳥を乗せていた。あの鳥は彼女を目がけ滑空していたようだ。
「ラウ鳥、国で保護、している。羽根も、貴重」
「それは、たいへん失礼いたしました」
カトレアは態度を改め辞儀をした。
ロメウスがすぐさま気配を消したということは、彼女も来賓の一人なのだろう。
四人中まだ遭遇していなかった花嫁候補といえば、東のスウェン・テュール連邦からやって来たという、メイナ第七王女だ。
独自の文化が発展しているというだけあり、他の三人と異なり見慣れぬ服装をしている。
裾の長い上衣は前身頃が完全に開いており、それを幅広の腰帯で締めていた。生地自体も柔らかそうなもので、ドレスのように膨らませて飾り立てていない。一見簡素に思えるけれど、よく見ると若草色の上衣全体に細かな刺繍が施されており、光の加減で薔薇に似た多弁の花が浮かび上がっている。
趣は全く異なるけれど、女性のすっきり整った顔立ちに相応しい涼やかさがあった。
瞳は濡れたような漆黒、肌はなめらかな象牙色。栗色の髪は太ももまで伸びており、それを縄のように編んで右肩から垂らしていた。
凛とした佇まいのメイナを前に、カトレアの心は高鳴っていた。
転生前、リューリからもらった地形図。
遠くの国に思いを馳せては、胸がいっぱいになった。まだ見ぬ世界がどこまでも広がっていくあの高揚感が、一気に押し寄せてくる。
「直接、羽根をお渡ししてよろしいでしょうか?」
メイナの周りに使用人らしき者が見当たらなかったので、やむを得ず本人に伺いを立てる。
彼女はホッとしたように頷いた。
「ありがとう。助かる」
最後の一人もリリアンネのような令嬢だろうと想像していただけに、腰の低さに動揺しそうになる。訥々と話すのは、レディラム王国の公用語に慣れていないからだろうか。
カトレアは彼女に近付き、手の平よりも大きな羽根を捧げ持った。
『こちらを、どうぞ』
独学で進めていた言語の習得が少しは役立ったようだが、メイナは驚いたあと微笑ましげに笑った。独学にはやはり限界があったようだと、少し頬が熱くなる。
「スウェン・テュール連邦の、統一語、学んでくれてありがとう。私は、メイナ・ガラストバリ。連邦を統一する、頭領の、第七王女」
「慣れていないので、こちらの言葉で失礼いたします。私は、カトレア・セフィルスと申します。よろしくお願いいたします」
他言語での異文化交流の夢はまたの機会に叶えるとして、カトレアはとにかくゆっくり話すことを心がけた。メイナは微笑んで頷いた。
「ラウ鳥、我が国の、伝書鳥。一家庭、一羽。羽根は、お守りに、なる」
「まぁ、伝書鳥だったのですね。羽根もお守りになるから、国で保護を」
「友達」
「ずっと育ててきた、メイナ様の大切なお友達ということですか」
「違う。そう、だけど違う」
メイナは、恥ずかしそうに唇をすぼめながらカトレアを見つめた。
「……友達、なりたい。カトレア様と」
おそらくエレミネア達と同じく二十代だろう女性が、友人志望だと頬を赤らめている。
小首を傾げ窺うように覗き込まれたら、こちらまで心臓が早鐘を打つ。何だこのときめきは。
胸を押さえながら深呼吸をすると、カトレアは何とか笑みを作ることができた。
「嬉しいです。私も、お友達になりたいです」
答えてから、先走ってしまったことに気付く。慌てて振り返ると、いつもは偉そうなロメウスが殊勝に頭を下げた。
「カトレア様は、どうぞお心のままになさってください。異なる文化に触れてみる、というのも授業の一環となるでしょう。陛下にはあとで報告させていただきますが」
再び従者のように振る舞いだした彼は、国賓達には徹底して素を見せないつもりのようだ。
普段の彼なら『どうせ図書館までの道のりにもまだ何か仕掛けられていそうだし、いいんじゃないか?』くらいは言いそうなものなのに。
慣れない対応に戸惑いつつも、カトレアはメイナに向き直った。
「お茶は、いかがですか? ぜひ、ご一緒に」
すぐに茶会の手配をしたのはロメウスだった。
前回の使用人のふりといい、彼は本当に万能だ。メイナの口に合わない可能性を考慮し、スウェン・テュール連邦で親しまれている発酵茶と、砂糖でできた色とりどりの干菓子なるものを用意していた。
カトレアの前にも二種類の茶と菓子が供されているから、本当に互いの文化に触れ合っているようだ。これぞ本来の交流を深めるという意図の達成。
「優しい甘さの、お菓子ですね」
「こちらの、菓子も、おいしい。牛酪を、たくさん、使っている」
メイナは紅茶独特の渋みが苦手なようだが、焼き菓子は気に入っているらしい。
カトレアも発酵茶に初挑戦し、すっきりとした飲み口に驚いた。紅茶に慣れているからはじめの内は少々物足りなく感じたけれど、香ばしい味わいがだんだんと癖になってくる。
「メイナ様は、普段は、何を?」
名前で呼ぶことを許されたので、カトレアはややくだけた口調で問いかける。
エレミネア達に許された時とは圧迫感が違ったので、素直に受け入れることができた。
メイナは取っ手のないつるりとした茶器を、木製の茶托に置いた。
「ラウ鳥……ミケルと、遊ぶ」
「それは、楽しそうです」
今は彼女の肩を離れ、芝生の上で身繕いをしているラウ鳥は、ミケルという名前らしい。
にこやかに首肯を返しながらも、つい頭の片隅でメイナの立場について考えてしまう。
東棟に集う他の花嫁候補達は、互いに面識も交流もあるようだった。
彼女になぜ誘いの一つも舞い込まなかったのかといえば、それもまた差別が原因だ。
レディラム王国と地続きになっている国々のごく一部では、スウェン・テュール連邦を蛮族の地として蔑む傾向にある。獣人差別と同じような構図で、未知のものに対する脅威を嫌悪にすり替えることで、上位に立とうとしているのだ。
上流階級ほどそういった傾向にあるため、メイナは東棟の中で窮屈な思いをしているのではないか。カトレアが心配したところで何の助けにもならないけれど、話し相手になることで少しでもメイナの憂鬱を晴らすことができればいいのだが。
―許されるのなら、滞在期間が終わってもメイナ様と交流を続けたいけれど……。
彼女にしてみればさっさと故郷に帰って、煩わしいことから解放されたいかもしれない。




