なぜ、私なのか
今日は2話目の更新です!
呆然としたまま動かなくなってしまったエレミネアとフィネアをそれぞれの従者に任せ、カトレアは華麗にその場を離脱した。――ギルディオにうやうやしく横抱きにされながら。
ひたすら頭が理解を拒む展開だが、ギルディオの背中越しにしっかりついてきているロメウスを確認し、わけもなくホッとする。宰相補佐見習いらしく終始落ち着いていたからか、彼の側にいれば大丈夫という奇妙な安心感がある。
カトレアを宝物のように抱えるギルディオに、気付いた使用人達は漏れなく固まっていた。悪夢のような時間だった。
たどり着いたのは、初めてギルディオと面会した場所。彼の私的な居室だった。
そこでようやく下ろされたカトレアは、大きく深呼吸をする。城中から注目され続ける状況が耐えがたく、無意識に息を止めていたらしい。
沈黙が支配する空間で真っ先に発言をしたのは、やはりロメウスだった。
「陛下、どうするおつもりですか。あの様子では間違いなく侮辱だと抗議されますよ。令嬢方など知ったことではないですが、あちらの国々は敵に回すとかなり厄介です」
「どうとでもなる。カトレア様のお心が傷付けられたことの方が重大だ」
「リマ帝国まで粗雑に扱わないでくださいよ……」
彼らの会話が耳を素通りしていく。
国同士の親交を深めるための外交官という名目ではあるものの、実際は花嫁候補として招いているのだ。その前提を覆す発言を国王自身がしてしまったのだから、確かにロメウスの言う通り国際問題に発展する懸念があった。
これはすぐさま国の重鎮達と話し合わねばならないほど深刻な事態。だというのにカトレアは、極めて個人的な衝撃――求婚を処理しきれていない。
『心に決めた人』『永久に共にいたい』『生涯、唯一無二の伴侶』『結婚してほしい』。
先ほどギルディオが放った言葉の羅列が、頭の中をぐるぐると踊っている。
きっと、牽制の意図があったのだろう。
カトレアの失態が消し飛ぶほどの衝撃を与えることで、今後彼女達から浴びせられるであろう誹謗中傷から守ってくれたのだ。そうに決まっている。
――そう、だから落ち着くのよ……。
体が熱い。
全身真っ赤になっている気がして、顔を上げられなかった。頬が赤い理由を勘違いされては堪ったものではない。
彼の台詞も態度も、まともに受け取ってはならない。何も感じないふりをして聞き流すのだ。
復讐を企んでいるカトレアが花嫁に選ばれるなんて、あってはならない――。
「たいへん申し訳ない!!」
突然大声を上げたのはギルディオだった。
振り向くと、なぜか彼はカトレアに向かい深く腰を折っている。
「はい……?」
「すまなかった! カトレア様のお気持ちを考えず、不愉快な言葉を聞かせてしまった! 嫌われていると知りながら、あのような誤魔化しを……!」
誤魔化し。
やはり牽制のためであったかと頭では納得しているのに、どのような言葉も出てこない。
無反応なカトレアに代わって、ロメウスが苦言を呈した。
「さすがに短絡的すぎましたね、陛下。一時的には令嬢らも矛を収めるでしょうが、むしろ今後は彼女への風当たりがさらに強くなるはずですよ」
求婚の噂がリリアンネの耳に入れば激昂するに違いなかった。孤児上がりが高望みをするなと、まさにそう釘を刺されたばかりなのだ。
苛烈な美女を頭の片隅でぼんやり思い出していると、ギルディオが顔を上げて反論した。
「あの場合は仕方がなかった。カトレア様が令嬢達に軽んじられているなど、我慢ならなかったのだ」
「陛下は、カトレアが絡むと途端に愚かになり下がりますね」
「い、いつからカトレアと呼び捨てるようになったのだ、ロメウス!?」
「あぁ、駄目だこれ……」
ロメウスは、うんざりとした様子で匙を投げた。気持ちは分かる。
それにギルディオは、聞き捨てならないことを言っていた。カトレアが、彼を嫌っていると。
顔には出していないつもりだった。リューリも含め、彼らの気持ち悪い発言を不気味がっているといえば納得される範囲だろう、ぎりぎりの態度を心がけていたのに。
――嫌われて当然だと、思っている、から?
それは何度か頭を掠めた疑問。
やはり彼らは、カトレアに前世の記憶があることに気付いているのだろうか。
だが、だとしたら別の疑問が生まれる。
なぜカトレアを側に置けるのだろう。塔から飛び降りる直前、ありったけの暴言を吐いたのに。
苦しめばいいと。果てのない苦しみに絶望しながら生きるがいいと。それは、幸せを享受している時ほど抜けない棘のように縛る呪詛。
降りしきる雨に濡れそぼる彼らの顔は青白く、驚愕に彩られていた。
恐ろしかったはずだ。怯えていたはずだ。
――それなのに、なぜ……。
カトレアの唇は、噛み締めすぎて白くなっていた。握った拳も震えている。
視線を感じて顔を上げると、ギルディオは床に片膝をついた状態でこちらを窺っていた。
柔らかな眼差しにさらされていることを意識した途端、肩が揺れた。
切なげに細められた碧眼。今カトレアは、どれほどみじめな姿で映っているのだろう。
声高に叫んだはずの復讐もままならない、無力な子どもとして?
そんなのは我慢ならない。
「カトレア様……」
ギルディオの無骨な指が彷徨うように揺れた。
ふと触れかけては離れていく、少しかさついた指先。先ほどはいとも容易く触れたのに、それは前世、王女を護る騎士だった頃によく見かけた仕草。
あの頃の感情がまざまざと甦ってくる。
穏やかなひと時、向けられる優しい眼差し。焦がれていた眩しい笑顔。――カトレアだって、何度触れてみたいと願ったか。
なぜこの想いは黙っていてくれないのだろう。
いくら復讐を唱えてみても、簡単に息を吹き返してしまう。家族を失った痛みさえ徐々に薄れていくのに、なぜ。なぜ。なぜ。
ギルディオが躊躇いの末、動いた。
そろりと伸ばされた手が、カトレアの小さな握りこぶしに触れる。すぎるほど慎重に、当時の願いを実現させるかのように。
ギルディオは目を合わせると、泣きそうな顔で笑った。安堵のにじむ眼差しに、触れた指先が熱い。
「どれほど綺麗な言葉で誤魔化したって、俺の本音は醜悪そのものだ。……すまない。俺はもう二度と、あなたを失うつもりはない」
自嘲気味に呟き、ギルディオは一度瞑目する。
次に顔を上げた時、彼は強い意志を感じさせる碧眼でカトレアを貫いた。縫い止められ、ただ見つめ返すことしかできない。
「たとえこの先嫌われ続けようと、憎まれ続けようと、逃がしてやれない。カトレア様――どうか生涯、俺の側にいてくれ」
牽制のための演技ではない、これは本気の求婚。
瞳に宿る熱量の違いで、そうと分かってしまう。
ゆわんと揺らぐ視界。
耳の奥から聞こえる耳鳴りは、あの日の雷鳴に似ている気がした。




