勉強会
おはようございます!
いつもありがとうございます!
勉強のためという名目で、カトレアは週に一度だけ登城するようになった。
ギルディオの厚意に甘えるのは抵抗があったけれど、学びと復讐の機会を逃すつもりはなかった。
そうしてついにやって来た勉強会の初日。ロメウスに指示された王城図書館の前まで来たところで――なぜか養父が抱き付いたまま離れない。
「寂しい……カトレア様が望むのならば否やはないはずなのに、どうしてこんなにも胸が痛むのでしょうか……」
「気安く触らないでください、お父様」
「気安くていいじゃないですか、私達はれっきとした親子なのですから」
「どこまでも気持ちが悪いですね、お父様」
ギルディオが提案していた通り、リューリと共に登城した。
当初は彼も、帰りは時間を合わせようと笑顔で話していたのに、待ち合わせをして帰るだなんて仲良し親子そのものだと嬉しそうにしていたのに、図書館まで送り届けた途端にこれだ。先が思いやられる。
城で働く者達が出仕する頃合いのようで、閑静な図書館前といえどそれなりに往来がある。
七歳の養女に情けなくすがりつく、レディラム王国が誇る辣腕宰相。
幽霊でも見たかのように青ざめる者や、決して目を合わせず足早に通り過ぎていく者。中には生温く微笑んで頷いている者までいて、果てしなく居たたまれないカトレアは心を無にするしかなかった。
「……まぁ、どうせこうなるだろうことは分かっておりましたよ」
その時、救世主のように現れたのは、既に図書館で待機していたらしいロメウスだった。
「ロメウス様、遅くなり申し訳ございません」
「いいえ、まだ時間前ですのでお気になさらず」
「ですが、この状態では……」
「先日の宰相閣下を拝見してから嫌な予感がいたしましたので、事前に報告済みです。すぐに解決すると思いますが……あぁ、ようやく来たようですね」
回廊の向こうからやって来たのは、文官の集団だ。リューリやロメウスと同じ色の肩章を付けているので、宰相府で働く者達だろう。
「閣下! 逃げられると思わないでくださいね! 早く書類に判を押してくださらないと、朝の決議に間に合いませんので!」
「可愛いお子さんに迷惑をかける暇があったら働いてください!」
「あぁ、あなたがカトレア様ですね!? はじめまして! 慌ただしいご挨拶となってしまい申し訳ございません! またぜひ宰相府にも、見学にいらしてください!」
カトレアが呆然としている間に、未練たらしくしがみ付いていたリューリが引きずられていく。何やら大声で叫んでいる上司などものともせず、電光石火の収容劇だった。
ロメウスは、リューリが邪魔をするだろうと見越した上で回収を頼んでいたらしい。さすが宰相補佐見習い。
喧噪が完全に遠ざかると、カトレアは彼に向き直って頭を下げた。
「改めて、よろしくお願いいたします」
彼は組んでいた腕を解き、表情を引き締める。
「改めまして、ロメウスと申します。鳥の獣人の中でも多少幼く見える隼の種族ですが、一応二十歳です。家名のない平民ですから、私に敬語は必要ございませんので」
まだ十四、五歳くらいに見えるロメウスもまた、獣人らしい。青年期の長い獣人でも、成人を迎えるまでの成長速度は種類によるのだ。
ロメウスが平民出身であることは分かっていた。
ギルディオも名前しか紹介しなかったし、本人も家名を名乗らなかった。王国に住まう獣人の内、貴族の位を与えられている者の方が珍しいのだ。
一応令嬢らしく努めようと浮かべていた笑みに、皮肉が混じった。
「それを言いましたら私など、実の親にすら捨てられた身です。そもそも教えを請う立場で敬意を失うわけにはまいりませんので、ロメウス様こそどうぞただの生徒として扱ってください」
リューリの下で働くロメウスならば、カトレアが養子ということくらい知っているはずだ。
先ほどの発言はずいぶん遠回しだが皮肉なのだろう。彼の本来の業務を妨げているのだから、嫌みの一つくらいは当然だった。
理解した上でカトレアが受け流したことを悟ったロメウスは、おかしな顔になる。
「……カトレア嬢は、なぜ今回の話をお受けしたのですか? 私はこの通りの性格ですので、あなたのお眼鏡に適うとは思えませんが」
婉曲な言い回しだが、『好感を抱いていないのが丸分かりの相手を教師にしようだなんて、馬鹿なんじゃないか』くらいの意味合いだろうか。
これから教えを請うにあたって、体裁は邪魔だ。
カトレアはあえていつもの無表情になると、本心を直截に伝える。
「小娘の我が儘に付き合い職務を離れねばならないことが不満だと、顔に書いてあったからこそ、よい教師になると考えました。――養父があれなので、これ以上私を甘やかそうとする者は不要です」
それでも国王の前だけの口約束で終わらせようとせず、しっかりと相手をするつもりがあるから図書館を指定した。彼は元来面倒見がいいのだろう。
「なるほど……」
意外そうに呟いたロメウスの視線が向いた。
鋭い眼差しは相変わらずだが、唇には面白そうな笑みを刻んでいる。興味深い生きものを見つけたとでもいうような、観察する眼。
「宰相閣下を心から尊敬しているゆえ、なおさら疎ましく思っていたが、どうやら君を侮っていたらしい。これからは考えを改める必要がありそうだ」
敬語をかなぐり捨てることで、彼はようやく向き合ってくれたのだろう。
教師と生徒として信頼関係を築いていけるかは、これからの付き合い方次第。
再度辞儀をするカトレアを、ロメウスは図書館の中へと促した。
「まぁ、改めると言えば、閣下への憧憬についてもだがな」
「それは……たいへん申し訳ないとしか……」
そういえば、先ほどまで締まりのない表情をさらしていたのが、彼が心から尊敬しているという宰相閣下だった。情けなく部下に引きずられていく姿も。理想を壊してしまいひたすら恐縮だ。
王国内において圧倒的な蔵書量を誇る王城図書館は、申請すれば平民でも出入り可能な仕組みとなっている。館内の通路奥には個室があり、こちらは貴族または官人のみが使用できる区画として、住み分けがなされていた。
とはいえ、一応貴族令嬢に数えられるカトレアが男性と個室に二人きりというのは、あまり外聞がよくない。子どもが相手だろうとロメウスもその辺りに抜かりはなく、一般開放されている区画の最奥に設置された長机に着いた。
「既に閣下より、君の学習の進捗状況は聞いている。世界情勢から諸外国で扱われている複数の言語、地理に植生など、広く浅く知識を吸収しているようだが……正直、もし将来何かしらの職業を志しているとしたら、ずいぶん効率の悪い学習方法というのが僕の印象だ」
それは、これまで屋敷に招かれた教師からも指摘されていたこと。淑女教育には不要な知識だが、どうしてもというならせめて項目を絞るべきだと。
「目指している職業はありません。だからこそ、あらゆることを知りたい。知ることで、先が見えない人生に光が差すのではと……そう考えております」
カトレアは何も知らない。世界のことも、この国のことも。
獣人革命の前後で、国内外はどのように変化したのか。現在のレディラム王国はどのような立ち位置にあるのか。
前王朝の王女だった頃の記憶があるからこそ――カトレアは知らなければならない。義務感ではなく、知りたいのだ。
子どもらしからぬ物言いに眉をひそめられるだろうか。悲観せずとも未来は無限に広がっていると諭されるだろうか。
これまでの教師はそうだった。
けれどカトレアは不思議と、ロメウスならば受け入れてくれるような気がした。きっぱりとした物言いが友人のルピナに似ているからだろうか。
顎に手を当てて思案する様子だったロメウスが、席を立った。
「では、学びの方向性を変える必要はないな。資料を持ってくるから少し待っていろ」
あっさり納得されたことに驚いている内に、少年の華奢な背中が遠ざかっていく。
階級と所属を表す短いマントが翻り、制服の肩甲骨辺りに空く二つの穴に気付いた。彼の翼は、カトレアの爪と同じく出し入れ自在のようだ。
隼は高い位置から獲物を補足するために、とても目がいいのだと聞く。彼にもその特性があるから、広い視野で物事を考えることができるのだろうか。
教師と生徒としてだけでなくいい関係が築けそうだと、カトレアは薄く微笑んだ。




